43 免疫力が足りない

 そして、颯太そうたの手首に銀環ぎんかんが結ばれる。

 今回は「俺がやるよ」と綾斗あやとが割れた銀環を手に取った。


 昨日修司に銀環を結んだ美弦みつるは、初めての作業と言う事でたどたどしい手つきだったが、彼ならきっとホルスの動きを止めた時のようにスマートに決めてくれるだろう。

 そんな期待をふくらませてたものの、綾斗は何故か記憶にも新しいクリップ留めの紙束を持ち出してきた。これには修司も再び「えっ」と唇を引きつらせる。


「銀環を結ぶ機会なんて滅多にないからね」

「初めてではないんですね?」

「まぁ前に一回やっただけだから、保険って事で」


 綾斗は向かい合った颯太の左手を掴んだ。


「俺だってやったことねぇよ。ここに居たのは数年で、ずっと下っ端だったからな。いいか修司、キーダーになっても実戦なんか滅多めったにないぜ。今も毎日馬鹿みてぇに基礎鍛錬たんれんしてるんだろうよ。腹筋やら腕立て伏せのフルコースだ。選ぶんなら覚悟しとけよ?」

「そうなんですか?」


 颯太がキーダーだったのは二十年以上も前の話だ。

 けれどその基本的な所は変わっていないようで、綾斗も「ですね」と苦笑いする。


「嫌ならトールになれって事。中途半端に身体作っても仕方ないからね」

「……はい」


 これは予想外だった。

 能力者は手放しに歓迎されるものだと思っていたが、キーダーになるようにと説得されるわけではないらしい。


 颯太の手が綾斗の放つ白い光に包まれて、割れた銀環の継ぎ目がにじむように消えていった。持ち主の手首に合わせて縮むところも昨日今日と目にしたが、毎回神業だと感動してしまう。


「また、これかよ」


 颯太は銀環の感触を確かめながら、あきれた溜息ためいきらした。それまでしていた時計を銀環の入っていた袋にしまう。


「じゃあ、後は修司の事頼むぜ」


 「勿論です」とにっこり答える京子の顔を、颯太が前屈まえかがみに覗き込んだ。

 突然パーソナルスペースに飛び込んできた彼にたじろいで、京子が「何ですか?」と眉をしかめる。


「ホルスの女も美人だと思ったけど。アンタも相当綺麗だな」

「……えっ?」


 京子は一瞬無表情になった顔を、みるみると紅潮こうちょうさせていく。

 昨日見た酔っぱらいの赤ら顔とは違い、恥ずかしそうに狼狽うろたえる彼女は修司にも可愛いと思えてしまう。


「へ、変な事言わないで下さい!」


 少女のように声を震わせ、京子は仰け反るように後ろへ一歩下がった。


「恥ずかしがるなよ。間違ったことは言ってねぇだろ?」


 颯太は「なぁ?」と綾斗に同意を求める。

 たまに出るナンパ癖が発動したのは、銀環を付けて緊張が解けたからだろうか。

 けれど京子は、それを素直に受け止める事や適当にあしらう経験値は持ち合わせていないらしい。

 「それくらいで」と注意する綾斗に、颯太は口角を上げて見せた。


 京子は恥ずかしさを振り切るように「嵯峨野さがの!」と扉の向こうへ声を掛ける。 

 「はい」と入室してきたのは、廊下で待機していた護兵ごへいの男だ。


「修司くんの事は、こちらに任せて下さい」


 それだけ言って、京子は颯太をそのまま護兵へ託す。

 二人の足音が遠ざかった所で、綾斗が京子を振り返った。


「京子さん、ああいうタイプ全然ダメですね」

「だって、こんな所で言う事じゃないでしょ?」


 動揺を隠せない京子に、修司は「すみません」と謝った。


「修司くんが悪いわけじゃないんだから。私の免疫力が足りてないだけ」

「そんな免疫いりませんよ」


 綾斗がバッサリと切って、浅い溜息を漏らした。


「俺から見れば、マサさんだって同じ部類なんですけどね」

「はぁ? 全っ然違うから!」


 ムキになって否定する京子。

 『マサさん』という名前が出たタイミングで、美弦が「アンタの部屋主よ」と小声で教えてくれた。

 マサのことは知らないが、颯太のようなタイプは珍しいと思う。


「マサさんにあんな色気ないし」

「色気って。マサさんだって男らしいって思いますよ」

「はあっ?」


 綾斗の『マサさん』への評価を、京子が顔いっぱいで否定する。

 そんな漫才まんざいの掛け合いのように言い合う二人を眺めつつ、修司は美弦の説明に相槌あいづちを打った。


 今、北陸の施設に居るという『マサさん』は、元々京子のトレーナーでアラサー未婚彼女アリということ。今日帰ってくる京子の恋人の桃也は、彼女よりも年下ということ。

 いかにも噂好きの女子が飛びつきそうな話題だが、まだアルガスに慣れない修司にとっても興味津々きょうみしんしんの内容だ。


「それより綾斗、そろそろ行く時間じゃない? 美弦の事は任せて」


 ハッと京子が胸ポケットにある時計を確認した。

 綾斗も「よろしく頼みます」と従って美弦に声を掛ける。


「今日まで学校休むだろ? 俺別件で出るから、二人と一緒に居てくれる?」

「あ、はい。明日はちゃんと学校行きますから。京子さん、よろしくお願いします」


 美弦は素直に返事して、京子に頭を下げた。立場上とはいえ、修司への対応とは大分温度差がある。

 人格さえ変わったかのような態度に釈是しゃくぜんとしない気持ちを抑えて、修司は女子二人を追い掛けるように訓練場のホールへと移動した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る