22 誘い

 暗い夜にヘリの音が響いて、りつが叫ぶ。


「気配消して! 隠れるわよ!」


 言い切ると同時に全力で彼女に腕を引っ張られた。

 瞬時に反応できなかった修司しゅうじは、足を取られて地面につまずく。転倒こそ防いだが、体勢を立て直す間も与えず「急いで」とかす律に、修司は転がったかばんを拾い上げ必死に足を動かした。


 恐怖を漏らす余裕すらない。離れた手を今度は自分からつかんで、彼女が示す森を目指した。

 有刺鉄線ゆうしてっせんを抜け、来た道をれて林へと飛び込む。彰人あきひとの姿はなかった。


 律は百メートル程走った所で速度を落とし、「しゃがんで」と指示する。

 さっきまで居た広場が遠くに見えた。天井の闇にポツリと打たれた紫の光はまだ遠いが、確実に音が近付いてくる。


 律はずっと戦闘モードだ。その横で修司は必死に気配を閉じ込める。

 逃げ出したくなる気持ちを、繋がれたままの律の手がそこへ留めた。


迂闊うかつに動くと本当に捕まるわよ?」


 真上を過ぎる爆音に、死という言葉がよぎる。

 アルガスのヘリなんてしょっちゅう見ている筈なのに、こんな音は耳にしたことがない。確実に自分たちが狙われている。


 「もう駄目だ」と零れた声が、彼女に届いたかどうかは分からない。

 次の瞬間突然に撃ち落とされたサーチライトに、修司は「うわぁあああ」と悲鳴を上げた。


「ただの光よ。キーダーは私たちを殺そうなんて思ってないわ」


 言葉も理解できないくらいに狼狽ろうばいして、彼女の腕にすがり付く。ここで死ぬなら初めからアルガスに投降すればよかったと後悔さえ沸いて来て、修司は力なく顔を上げた。


 逆光で物々しく黒い影を見せつけてくるヘリの腹は、今まで見た中で一番大きい。

 機体の後方には紫のテールランプが光っていた。青白いサーチライトがうろうろと辺りを探る。


 修司は律にぴたりとくっついて身をゆだねた。

 なさけないと自覚しながらも、行動を起こす術を何も知らない。空を凝視ぎょうししたままの彼女とは対照的に、修司は怯えた小動物のように背中を丸め、履き古したスニーカーの爪先をにらみつけることしかできなかった。


 しばらくして、律の「あれ」という疑問符が届く。

 恐怖から我に返ったところで、ようやく修司も気付くことができた。彷徨さまよっていたサーチライトがブツリと消えたのだ。

 ホバリングしていた機体が再び動き出し、来た方向とは逆へと遠ざかっていく。


 助かったと理解した途端とたん全身の力が抜けて、修司の目に涙があふれた。

 「良かったね」と律に横から抱きしめられ、ほんの少しだけ子供のように泣きじゃくる。


 遠退いていく音を辿たどると、黒い機体は闇に隠れ、紫色のライトが真っすぐに都会の方向を目指していた。律に差し出されたハンカチを断って、修司はまくり上げたシャツの袖口で目をぬぐう。


「遠慮しなくていいのよ?」


 「ふぅ」とつやのある安堵を広げて、律は地面に転がる大振りの岩に腰を下ろした。少し高い位置から見つめられ、修司はほお紅潮こうちょうさせる。

 彰人は側に居ない。月明りしかないこんな山奥で、表情が分かるくらいの距離に彼女と二人きりだった。

 頭を巡るワードから『恐怖』や『死』や『キーダー』の文字が薄れてしまうのは、何もなかったかのように彼女がいつも通りの笑顔を見せたからだ。


「さっきの修司くんの力、凄かったよ。初めてだなんて思えないくらい」


 ヘリコプター騒動で大分前に感じるが、力を出し合ってからほんの十五分ほどしか経っていない。


「修司くんはキーダーになるか、今のままでいるか迷ってるって言ってたよね? それなら、もう少しこのままでいて、色々な世界を見るのは将来を決めるためにも良い機会だと思うの」

「色々な世界? 海外に行くってことですか?」

「ううん。私の側に居てくれない?」


 魅惑的な視線に一瞬よぎった妄想を、そんな訳ないだろうと自分自身であっさり否定する。

 律がこんな状況でからかう人でないことを知っている。だからこそ意図が読めず、修司は困惑した。


「どういう意味かわかりません」

「そのままよ。一緒に居たら楽しそうだなって。今のままじゃ次また会える保証がどこにもないでしょ? 一歩踏み込むってことなのかな。仲間になる、って言うの?」

「律さん、それは俺も思っていました。けど……」


 もちろんです、と二つ返事で受け入れることができなかった。たった今起きたばかりの恐怖が、前向きな気持ちを遮断しゃだんしてしまう。

 彼女と一緒に居るという事は、平野の店で身を隠していた時とは状況が違うのだ。


「急がなくていいから。でも、また会って欲しいな」


 少女のような笑顔でそんなことを言う彼女と、今日で最後にはしたくない。


「俺も律さんにまた会いたいです。それって、彰人さんにも同じこと言ったんですか?」


 気になって、聞いてみる。潜在能力せんざいのうりょくに魅力を感じたというなら彼の方が断然上だと思ったからだ。

 自分だけであって欲しいと淡い期待を抱いたが、律は表情を陰らせて「誘ったよ」と答えた。その表情で彰人の答えが読めてしまい、修司は失言だったと後悔する。


「断られちゃったけどね。放浪者だから、一ケ所に留まるのは嫌なんですって。あの顔でそんなこと言うのよ。笑っちゃうでしょ?」

「放浪者、って。イメージと真逆ですね」

「でしょ? 彰人がずっと居てくれないのは寂しいけど、でもまだここに居たいって言ってくれたの」


 嬉しそうに微笑んだ顔が一瞬で曇って、修司は息を呑んだ。

 こんな時、暗がりのままならいいのに、よりによって月明りがはっきりとお互いを照らし出してしまう。


 修司は精一杯の気持ちを込めて、彼女の右手を握りしめた。

 「ありがとう」と少しだけ明るい律の笑顔。ホッとした空気を引き継ぐように、ガサガサと葉の擦れた音と共に「二人ともそこに居ますか?」と彰人の声が闇の奥から無事を尋ねた。


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