12 泊まってく?
カーテンの切れ目から覗く外の風景は暗くて何も見えなかったが、隣のビルの壁がすぐそこにあるのだと思うと
律はテーブルについて「もう、お腹ペコペコ」と洗ったカップに作り置きの麦茶を注ぐ。修司が座ったタイミングで、「いただきます」と先におにぎりへ手を伸ばした。
具は空に近い冷蔵庫にそっと潜んでいた、賞味期限ギリギリの梅干しだ。
「美味しい。男の子なのに
「同居の伯父が忙しい人なんで、家事は一通りやりますよ」
「偉い!」と
「自分の分だけだと面倒だなって思う事もあるけど、美味しいって喜んでくれる人がいると作り
家事をすることは苦ではなかった。体の弱かった母親が、小さい頃から家の仕事を一通り教えてくれて、
「律さんは一人でここに居るんですか?」
「そうよ。でも、少し前に会ったバスクの人がたまに来てくれるの」
「えっ! 他に仲間がいるんですか?」
ドアの外を警戒して、しかし精一杯の声で修司は驚愕する。
「仲間じゃなくて、同志って言うのかな。ここに来てればそのうち会えると思うわ」
「凄い。俺、東京に来て初めて会ったバスクが律さんなんです」
「全体の数は少ないだろうから、それが普通よ。だから出会えるのは運命みたいなものじゃない?」
今の日本で、アルガスの管理下にあるキーダーは二十人程だという。対してバスクはどれくらいいるのだろうか。
「修司くんと会えたのは本当に偶然。でも力を隠すのは苦手? 今はちゃんとできてるけど、さっきは驚いたわ」
平野と居た五年間で習ったことは三つだ。撃つ事、操る事、そして消す事。
『まぁ基本だな』と平野は得意気に言っていたが、その中でも重要な『気配を消すこと』が修司はあまり得意ではなかった。
町で彼女とぶつかった時のように、ふとした
「律さんはどうして追われているんですか?」
「そりゃバスクだからよ。捕まえるのが仕事のキーダーに顔が割れちゃってるから」
「それでも捕まらないんですね。戦うこともあるんですか?」
「ううん、
言われてみれば、と修司は玄関に目をやった。フワフワのロングスカートにはサンダルやヒールでも合わせそうなものだが、彼女の靴は履き古した白いスニーカーだ。
「いい? 修司くん。どっちが先に敵に気付けるかで
「そんなに」と言葉を濁して修司は首を横に傾けた。
一通りの基本は平野に習ったつもりだが、動力系の力が
「そっか。もしもを考えるなら戦えるようにしておいた方がいいわね。ある程度まで高めておけば、銀環付きのキーダーに負けることはないと思う――でもさっきみたいな一般人が多い場所は駄目よ? 関係ない人を巻き込んじゃダメ」
フワリとしたイメージを逆らって、律は強い目を見せる。
強大な力を恐れた国が、銀環でキーダーの力を抑え込んでいるという。けれど、颯太は修司がキーダーを相手に戦う事を良く思っていない。
「アルガスや国は、
厳しい表情で言い切って、律はまだ手を付けていなかった麦茶をごくごくと飲み干す。
彼女の意見は、颯太や平野から聞かされていたバスクそのものだ。バスクがキーダーになるのを嫌がる最大の理由が『銀環を付ける』ことらしい。
「またいつでも来ていいからね」
平野の所に居たように、今度はここが自分の場所なのかなと
一人でバスクとして生きるには、まだ足りないものが多すぎる。母親が家事を教え込んでくれたように、一人で生きる力を付けなければならない。
そして彼女と居ればまた
美弦の事を考えていると、律が突然「あっ」と声を上げた。
何事だろうと彼女の見上げた先へ顔を向けると、時計の針が十二時を回っていた。恐らく終電ギリギリだ。
「ごめん、こんなに遅くさせちゃって。良かったら泊まってく?」
「とまっ……」
そう言われて少しだけ考えてしまう。
けれど、首を縦に振ることはできなかった。彼女にしてみれば深い意味などないのだろうが、この初めての空間で
「片付けられなくてすみません、帰ります」
慌てて立ち上がる修司に律は棚から小さなノートを取り出して、急いでペンを走らせた。
「これ、私の番号だから。いつでも連絡して」
ビリっと
「ごちそうさま」と片手を振った彼女の笑顔に後ろ髪をひかれつつ、修司は駅までの数百メートルを全力でダッシュした。
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