77 さようならの涙

 アルガスの屋上は、清清すがすがしい春の陽気に包まれていた。

 副操縦士と操縦席でスタンバイするコージの愛機の前で、本部から出発する三人と綾斗あやとが二人を待ち構える。


「あれ。じいは来てないの?」

「若いのだけでどうぞって言われちまってな。下でガミガミと見送られてきたトコだ」


 疲れ顔をアピールするマサを、京子は「お疲れ様」とねぎらった。


「これ平次さんから、みなさんで食べて下さいって預かってきました」


 綾斗が両手で抱えていた紫色の風呂敷包みをマサに渡す。

 昼時を迎えるアルガスで、食堂長の平次は一番慌ただしい頃だろう。

 マサは「サンキュ」と昼食に鼻を当て、満足気な表情を浮かべてヘリの中へ積み込んだ。


 そんなマサの横で彰人あきひとと並ぶ桃也を、京子はぼんやりと見つめる。

 彼が発つということに、まだ実感が湧かなかった。

 ふと重なった視線にたじろいで、京子は思わず目線を逸らす。


「皆さん気をつけて行って来て下さいね。やよいさんや久志さん達にもよろしく伝えて下さい」


 はきはきと送り出す綾斗は戦闘で壊れたメガネを新調し、以前とは少しだけ雰囲気が違って見えた。若干丸みを帯びたフレームの効果で、表情が柔らかくなったような気がする。

 自分も何か言わねばと京子が言葉を探していると、黙っていたセナが横から一歩前へ出た。


「彰人くん、桃也くんと喧嘩しちゃダメよ? 雅敏まさとしさんも気をつけて」


 「分かりました」と微笑ほほえむ彰人に重ねて、マサが「おぉ」と歓喜する。セナへの一方通行な愛は、まだまだ健在のようだ。

 マサは左手を自分の頭に当てて破顔する。


「いやぁ光栄だな。セナさんが俺の為に見送りに来てくれるなんて」


 あぁまた始まったと、京子と綾斗が顔を見合わせると、


「そのつもりで来たんだけど」


 予想外のセナの言葉に、聞き間違いではないかと耳を疑う。

 しかし、それは言われた本人が一番驚いたようで、マサは呆気に取られた表情で、


「そう……なんですか?」


 思わず聞き返すマサに、セナはきまり悪そうにほおを染め、きつく彼を睨み上げた。


「だから、待ってるから。きちんと仕事をしてきて下さい」

「セナさん……」


 言葉を噛み締めて、マサは「はいっ!」と武者震いする腕を高く掲げた。


「よっしゃああああ!」


 春を夏に変えてしまいそうな、熱く力強いガッツポーズだ。


「京子ちゃんも、ちゃんと伝えるのよ?」


 セナにそっと耳打ちされ、京子はぐっと息を呑み込む。


「じゃあ、僕は先に下りますね。皆さん気をつけて」


 女子二人の様子に気付いた綾斗が一足早く屋上を後にすると、「私も」とセナがマサの期待を裏切って屋上を後にしてしまった。

 それでも彼女に手を振るマサは満足そうだ。扉が閉まるまでその背を見つめ、「じゃあな」とヘリへ乗り込んでいく。


「京子ちゃん、僕等に遠慮しなくていいからね」


 彰人は悪戯っぽく笑い、「バイバイ」とマサの後に続いた。

 シートに座った彼は窓の奥でもう一度京子に手を振り、反対の方向へと顔を向ける。


 桃也と二人きりになってしまった。

 笑顔で送り出す予定だったのに、いざその時が来ると何も言葉が浮かばない。

 泣くまいと思うと、彼の顔を見ることさえ出来なかった。


 出発の時間だ。

 ヘリのエンジン音に急かされて、刻々と迫るその時に焦りを覚える。

 行かないでと言ったら彼を困らせてしまう。淋しいと言ったら、きっとそのまま泣き崩れてしまうだろう。

 答えを求めるように視線を上げると、桃也が「どうした?」と京子を待った。


 ――「一年は短くなんかないのよ?」


 後悔の無い様に、セナは気丈にマサを送り出した。彼女もまた同じ想いだったのかと思うと、泣くわけにはいかない。


「とう……や。気をつけてね」


 口を開くだけで目頭が熱くなる。

 それだけ言うのが精一杯だった。歪んだ視界に人差し指を押し付けると、桃也の短い溜息が耳に届く。


「ばーか」


 吐き捨てるような声に顔を上げると、呆れたような表情が京子を見つめていた。


「ったく。そうじゃないだろ?」


 桃也は組んだ腕を解き、「ほら」とかすかに笑って見せる。

 広げられた腕に涙が流れ、京子は飛び込むように彼の胸へ顔を埋めた。子供のように声を上げ泣きじゃくる京子を、桃也は強く抱きしめる。


「一人で無理するなって言っただろ?」

「淋しいよ。行かないで」


 それが叶えられないことだと分かっている。だから、口にする事が出来なかった。


「たまに帰ってくるから、一年だけ我慢してろ。そしたらずっと一緒に居てやる」


 すがりつくように彼の上着を握り締める。

 うっすらと鼻腔をくすぐる彼の匂いを名残惜しく感じた。


「ちゃんと帰ってきてね」

「あぁ。お前も元気でいろよ」


 見上げる彼の顔に、涙いっぱいの笑顔で「うん」と答える。

 最後のキスは、ほんの僅かの時間だ。

 お互い見合わせた顔に微笑んで、もう一度きつく抱きしめ合った。


 


 エピソード1~END~

 エピソード2へ続く

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