【蟹漁の解禁日特別編】東京へ

 突然の異動命令が出たのは、十月の初旬だった。

 出発までの三日間で荷物をまとめ、報告がてら久しぶりに隣県の実家へ日帰り帰省をした。

 慌ただしいまま迎えた当日は、朝から秋晴れに恵まれている。


 まだ新築の匂いが残るアルガスの北陸支部は、金沢から少し離れた能登半島の根元に位置する。低い山や緑に囲まれた自然だらけの場所で、二階以上の窓からは遠くに海を見渡すことができた。

 

 一日分の着替えと少々の荷物を詰めた鞄を手にヘリポートへ向かうと、待機するヘリコプターの前でキーダーのやよいが綾斗あやとを迎える。昨日他の施設員には挨拶を済ませていて、今日は静かな出発になった。


「見送りまですみません。学校の編入手続きもしてもらったみたいで」

「遠慮しないの。綾斗は私の可愛い後輩だろ?」


 時折吹く強い風が、彼女の細いポニーテールを揺らしている。

 土地の広い北陸支部では、ヘリポートが建物の外にあった。Hとだけ描かれた広い地面を、低い鉄柵がぐるりと囲むという簡易なものだ。


「ありがとうございます。ところでやよいさん、久志ひさしさん見ませんでしたか?」

「久志? 朝から会ってないけど、もしかして挨拶まだだった?」

「そうなんですよ。部屋にも技術部の方にもいなくて」


 北陸支部に在籍するキーダーは、やよいと久志の二人だけだ。二十代後半の二人は歳が一つ違いの同期だが、子供の居るやよいと落ち着きのない久志とではもう少し離れているように見える。


 綾斗がここに来て二年が経つが、二人には色々な意味で世話になった。

 だから最後の挨拶をしたかったのに、この三日間というもの久志に全く会えていない。


「俺、避けられてますかね」

「大好きな綾斗が行っちゃうから、寂しいんだよ。綾斗はアイツにとって初めてできた同性の後輩だろ? 可愛くて仕方ないんだよ」

「何となくそれは気付いてます」

「だろ? まぁ永遠の別れでもないし、会おうと思えばいつでも会えるからね」

「まぁ、そうですね」


 別れの挨拶を諦めようとしたその瞬間、綾斗はふとその気配を感じて顔を上げた。やよいも「来たね」と笑って、建物の方へと視線を投げる。


 個性的なおかっぱ髪を振り乱して、長い白衣をマントのようにバタつかせながら、空閑くが久志は猛ダッシュでやって来た。綾斗の目の前で急ブレーキをかけ、ぐしょぐしょの涙目で訴える。


「綾斗ぉ、僕に挨拶なしで行くなよぉ」

「すみません。会えなかったんで……」


 迫る顔に一歩引いて謝ると、やよいが横から「アンタが逃げてたんでしょ」と溜息をついた。「まぁそうだけど」とあっさり認めて、久志は負けじと綾斗との間を詰める。


「急に居なくなるなんて、信じたくなかったんだよ。綾斗は高校卒業するまでここに居るだろうと思ってたんだ」

「俺もそんな気はしてたんですけどね」

「だろ? それにかに漁の解禁日までまだ一ヶ月もあるよ? 今年も一緒に蟹鍋しようって言ったじゃないか」

「すみません、命令なんで……」


 確かに解禁日直前で北陸を離れるのは勿体ないと思う。

 福井育ちの綾斗にとっても、11月6日の解禁日は毎年の楽しみの一つだ。


「俺も蟹食べたかったですよ」

「だろぉ? 解禁日を待ち望んでやっと食する青タグの付いた蟹こそが、北陸にいる醍醐味じゃないか」

「あぁでも、俺福井出身なんで、タグは黄色──」

「綾斗」

「は、はい」

「ここは石川県だよ? ズワイガニは、越前ガニでもセイコガニでもなく、加能ガニと香箱ガニなんだよ。郷に入れば郷に従えって言葉、頭のいい君なら分かるだろう?」

「は、はぁ……」


 蟹は採れる場所で付けられるタグの色や呼び名が変わる。中身は一緒だと思うけれど、地域毎に何となくこだわりがあるのは綾斗自身も納得していることだ。


 久志の熱弁を聞き流しながら、綾斗はチラリとヘリのコクピットを一瞥いちべつした。待たせてしまって申し訳ないと思うが、当のコージはコクピットで満面の笑みを見せている。

 そこに、呆れたやよいのツッコみが入った。


「面倒なことばっかり言って、綾斗を困らせるんじゃないよ。大体アンタの出身は埼玉だろ? 北陸ココに来る前だって広島に居たじゃないか」

「過去の事はいいんだよ。僕は今、石川人なんだからね?」


 大きく広げたてのひらを胸に当てた久志は、勢いのままに綾斗の手を握り締めた。彼の手首にぶら下がっていた紙袋が大きく揺れる。


「久志さん……分かりました。じゃあ、久志さんと食べる蟹のタグは青って事にしときます」

「綾斗ぉぉお」


 何故かぎゅうと抱き締められて、綾斗は溜息を吐き出した。彼の熱すぎるコミュニケーションも最初は嫌だと思っていたが、すぐに振りほどかないでいられるようになったのは自分でも成長したなと思う。


 閉鎖的なアルガスに来て、二人の漫才のような会話にどれだけ救われただろう。

 別の支部にいる彼等の同期は他に二人いて、たまに顔を見せてくれた。四人は愚痴を言い合いながらも仲が良い。

 綾斗の年は他にキーダーがいないせいで、彼等の境遇が羨ましくてたまらなかった。


「これは僕からの餞別せんべつだから、僕だと思って部屋に飾ってね」


 紙袋を渡されて、嬉しさよりも警戒心が湧く。

 中には顔くらいある大きな金色のだるまが入っていた。

 「ありがとうございます」と礼を言いながら目の前に持ち上げて、ダルマをぐるりと確認する。底に刻まれた老舗メーカーの名前の横には、何故かマジックで『綾斗へ』と久志の文字が書かれていた。


 まさかと確認してみたが、特にそれ以上のおかしな点は見つからない。

 愛嬌のあるだるまの表情に久志の顔を重ねて、綾斗は口元を引きつらせた。いつも監視されている気分になりそうな予感がする。


「ちょっと綾斗、僕の事疑ってるの? 爆弾なんて仕込んでないからね?」

「いえ、盗聴器とか盗撮カメラとか付いていないかなと思って」

「あっ──」

「ちょっ、何ですかそのしとけば良かったみたいな反応は……」


 あからさまに表情に出す久志だが、実際は何もしていないようだ。彼はキーダーでありながら、アルガスきっての技術員でもある。盗聴器を埋め込むことなど容易たやすいことだろう。


「僕がそんなことするように見える?」

「見えるわよ」


 やよいが先にズバリと答えた。「えぇ?」という久志の悲痛な声に重ねて、今度は建物の方からやって来た二人の女子が少々怒り気味に彼を呼ぶ。


「こんなとこに居た! 久志さん、忙しいのにスマホ置いて雲隠れしないでください!」


 久志と同じ白衣姿の二人は、ツインテールがキイでポニーテールがメイだ。

 去年配属になったばかりの二十歳で、アルガス技術部では久志の直属の部下に当たる研究員だった。双子で顔の見分けがつかないという理由から久志が髪型をリクエストしたらしいが、単に彼の趣味だろうという噂もある。


「隠れてたわけじゃないよ。僕は綾斗の見送りに来たんだ」

「またすぐ会えますよ。綾斗くん気を付けてね」

「気を付けてね」


 二人の声がハモる。


「ありがとうございます」


 そして久志は半泣きになりながら、あっという間に二人に連行されていった。


「あの二人が来て、久志も大分大人しくなったよね。何だかんだ言って、可愛いと思うよ」

「そうですね」


 綾斗は金色のだるまを袋に戻して、「それじゃあ」と改めてやよいに向いた。


「今までありがとうございました」

「アンタがここに来た時は驚いたけど、楽しかったよ、こっちこそありがとうね。アンタのやらかした事だって、私は間違ってなかったと思ってる。堂々としてな」

「そう言って貰えると、嬉しいです」


 浅く頭を下げると、やよいがポンと綾斗の肩を叩いた。


「マサや京子に宜しくね」

「そういえば、田母神たもがみ京子さんってどんな人なんですか?」

「えっ京子? まだ会ってなかったっけ」


 向こうに居るという、女性キーダーの名前だ。ついこの間聞いたばかりで、三つ年上という情報くらいしか持っていない。

 「そうだねぇ」と考えて、やよいは小首を傾げながら彼女の話をした。


「強いけど、結構弱いとこもあるかな。まぁ可愛い子だよ。彼氏いるみたいだけど」

「はぁ、そうですか」


 ニヤリと笑うやよいに、綾斗は苦笑する。そこまでの情報は別に要らなかった。


「まぁ、あと数時間後には会えるんだから楽しみにしときな。あと、ヘリで上ったら下向いてみて」

「下?」


 やよいが空を指差したが、何の事かは分からなかった。綾斗は首を傾げたまま「はい」と答えて、彼女に最後の挨拶をする。


「やよいさん、お元気で」


 ヘリコプターに乗り込むと、機体はあっという間に上昇した。

 真上に飛んだヘリの窓から言われた通りに下を見下ろすと、アルガスの屋上に驚くほどの人が居て、綾斗へ向けて手を振っているのが見えた。


「あ……」 


 昨日まで一緒だった人たちが急に懐かしく思える。その中に久志の顔を見つけて、綾斗は熱くなる目頭を手で押さえた。


「泣かせないで下さいよ」


 綾斗は窓から大きく手を振り返して、小さくなっていく風景に「さよなら」と呟いた。


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