57 傾いだ柱

 戦闘開始を告げる合図と同時に、大舎卿だいしゃきょうと浩一郎が激しくぶつかり合う。

 それを横目に、彰人あきひとが後方へ走り出した。


「彰人くん?」


 彼は、学生時代毎年陸上の選手に選ばれるような人だ。

 辺りに立ち上ったむせるような強い気配に息を呑んで、京子は暗闇の奥へ消えそうになる彼を必死に追い掛けた。

 背中から「気を付けて下さい」という綾斗の声が聞こえ、すぐ後にドンと衝撃音が鳴る。


『死ぬなよ、お前ら』


 イヤホンから緊迫したマサの声が届いた。

 彰人の背中が闇に飲まれそうになったところで、突然殺気が湧き上がる。

 警戒すると、彼のいる位置から空へ向けて細い光が跳び上がった。


「何する気?」


 光は勢いのまま闇を真っ二つに裂くように、白い軌跡を空中に貼りつけていく。アルガスを囲う高い壁を超える位置にまで上り、暗い闇に溶けた。


 吸い込まれるような沈黙を何かが起きる前触れのように感じる。

 ただそれも一瞬で、恐怖に似た衝動に悲鳴を上げたのは数秒後の事だ。


 ズズ、と重量のある堅いものが擦れる音が響いて、敷地の端にそびえ立っていた鉄塔がぐらりと宙にかしぐ。

 ラッパ型のレーダーを備えた長く太い鉄塔だ。それが塀のすぐ上から二つに分かれ、上半分が落ちようとしている。


 京子はぞっとして足を止めた。重い鉄塔の先端が、アルガスの外へと落ちていく。


「駄目っ!」


 京子は趙馬刀ちょうばとうを腰に差し、銀環をでた右手を高く掲げた。

 落下速度が少しだけ緩むが、人の重さとの比ではない。

 鉄柱が轟音を立てて地面を打ち付ける様は、スローモーションのようであっという間の出来事だ。

 姿勢を崩す程に地面が軋んで、京子は体勢を整える。


 ──『俺の家に何かあったら許さねぇからな』


 少しでも被害が小さいことと、逃げ遅れた人がいないことを祈る。

 そんな京子に向けて、今度は闇から光が飛んできた。身体のサイズよりも遥かに大きな球に狙われて、京子は咄嗟に防御する。


「彰人くん……?」


 鉄塔の崩壊など、彼にとってはウォームアップのようなものなのかもしれない。

 予想以上の力に跳ね飛ばされ、身体が数メートル先に叩き付けられる。全身で受けた衝撃に声にならない悲鳴を上げると、すぐ側に彼の気配が迫った。


「無駄だよ」


 薄れた視界に目を見開くと、彰人が刃を振り下ろす。京子は驚愕して体をひねった。


 かろうじて第一打を逃れ、そのまますぐに立ち上がる。

 痛みを堪えて生成した趙馬刀の刃で、二打目をガンと受け止めた。


 怖がっている暇さえない。立ち止まったら死ぬだけだ。


「口から血が出てる。可愛いのに台無しだよ」


 言われて初めて口の中を切っている事に気付いた。

 鉄臭いどろりとした感触を片腕で拭い、京子は押し出すように彼の刃を弾く。


 砂埃すなぼこり硝煙しょうえんが混じったような匂いが鼻を突き、京子は倒れた鉄塔を一瞥いちべつした。


 えぐられた壁の向こうは丸見えだ。鉄塔は外側に隣接する工場の屋根をつぶすように倒れ、白い煙を立ち昇らせている。

 頭に浮かんだ工場主の顔に「ごめんなさい」と小さく詫び、京子はジージーとうるさいイヤホンに眉をひそめた。



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