35 お前に二つ嘘をついていた
マンションへ戻ると、部屋に
陽の届かない暗い玄関に胸が苦しくなる。
汗ばんだ身体にコートを脱ぎ、力なくリビングの椅子に座ると、取り出したスマホが着信音を鳴らした。
「とうや……」
コールがやみ、ひっそりと静まり返った部屋に電車の走る音が小さく流れて行く。
感情的になって飛び出してきたが、マサたちの話は全然理解できていなかった。
頭の中を整理しようとするが、情報の糸がうまく繋がらない。いや、真実を知ることに
五年前の大晦日の夜、京子は事件から二時間遅れで現場へ入った。焼け跡に漂っていたのは、確かにバスクやキーダーが残す能力者の気配だ。
目に焼き付いた灰色の光景は夢じゃない。ただ京子にとっての『大晦日の
バスクの力で焼かれた土地に、四人の死者と八人の負傷者が居たらしい。
家族を三人も失った桃也は現場の近くでマサに発見されたが、怪我一つなかったという。
どれもこれも聞いた話だ。アルガスで得た情報を、京子は何も疑わなかった。
「マサさんと、桃也……」
最初現場に入ったのはマサだと聞いている。そこで彼は何を見たのだろう。
どうして真実を隠さなければならなかったのか。
『大晦日の白雪』を起こしたのがマサだったとしたら――ふと、そんな考察が浮かぶ。キーダーだったマサに、もしその時まだ力が残っていたとしたら。
この力は不安定で、確実なルールなど何もない。
けれど、もし本当にマサだったとしても、
「何で、隠したの?」
不安から逃れるように目を伏せると玄関の鍵が開く音がして、京子は緊張を走らせた。
「京子?」
リビングに入ってきた桃也に京子は立ち上がる。
唇をぎゅっと閉じて、彼を見つめた。何をどう切り出していいのか分からない。
「お帰り。悪いな、ちょっと叔父さんに呼ばれて行って来た。まだ風邪辛いのか?」
表情を伺う桃也に、京子は首を振る。アルガスからの数キロを走って来たせいか、身体は大分スッキリしていた。
けれど、彼を求める気持ちとマサの言葉がぐしゃぐしゃに絡み合って、頭の中は混乱している。
「なに不安そうな顔してんだよ。何かあったか?」
押し黙るように
「話し
マサたちに聞いた事を隠すつもりはないし、聞かなかったことにする器用さもない。
真実を知りたいという思いはハッキリしている。
迷って迷って、けれど進むことを選ぶ。
京子はゆっくりと彼を仰いで、彼の左手をそっと握り締めた。
「この間言ってた大事な話って、もしかして『大晦日の白雪』のことなの?」
「マサに聞いたのか? やっぱり行く前に話しておけば良かったな」
肯定──桃也は寂しそうに笑い浅く
震える唇を嚙みしめて、京子はその想いを伝える。
「マサさんとセナさんが話してるのを偶然聞いちゃったの。桃也の家族の最期について。でも、それだけじゃ全然分からなくて」
いつもの腕の中。声も、ふわりと漂う煙草の匂いも、この数日自分がずっと求めていたものだ。
髪を
「京子と一緒になって、きちんと話さなきゃいけないと思ってた。けど、なかなか言い出せなくて。今になって、ごめんな」
京子は小さく首を振る。
桃也の心臓の鼓動が速くなるのが分かった。
そして彼は大きく深呼吸をすると、腕を解いて左手を京子の目の前に広げて見せる。
「俺は、お前に二つ嘘をついてた」
銀色の指輪が小指に光る。片時も外される事のないそれに、京子はいつも嫉妬していた。
「お姉さんの形見の指輪……?」
不安を覚えて尋ねると、桃也は静かに指輪を外す。
「本当は、そうじゃない。これを俺にくれたのはマサだ。お前なら分かるだろ?」
身に覚えのある感覚に、京子は全身を凍らせた。
ずっと一緒に居て、どうして今まで気付けなかったのだろう。
指輪が彼を離れた途端に溢れ出した気配は、自分と同じものだと分かった。
京子は恐る恐る桃也を見上げる。
そういえばこの間公園で襲われた時、先に光に気付いたのは彼だった。
「なん……で?」
「形は違うけど、キーダーの銀環みたいに力を押さえられるらしい」
外すことのできる銀環は、キーダーによって結ばれていないものだ。
つまり、
「バスクなの? 桃也」
桃也は悲痛に顔を
「俺は、人を殺したことがある」
「いや……やめて」
聞きたくない。
彼の言おうとしていることが分かった。
頭の中の混乱の糸が真っ直ぐに繋がってしまう。
間違いであって欲しいと願うが、桃也はその答えをはっきりと告げた。
「『大晦日の白雪』を起こしたのは、俺なんだ」
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