28 ペナルティの謎

 翌日、開店時刻の少し前に店を訪れるが、平野ひらのの姿はなかった。

 ハタハタと揺れる『臨時休業』と書かれた紙を無視して京子は何度も扉を叩くが、反応はない。

 綾斗あやとは扉に手を触れて、首を横に振った。


「いないですね。平野さんの気配は感じられません」


 「やられたかぁ」と肩を落とす京子。平野の希望通りに着てきた私服が思っていた以上に薄く、で付けるような風に身を縮める。


「逃げる気なんですかね」

「そんなことしないよ。ここは彼にとって力と同じくらい手離したくない場所だと思うから」


 キーダーとして店と力の両方を選ぶ事は不可能じゃない。けれど平野がそれを叶えるには最短でも数年は掛かるという話だ。


「今日は引こうか」


 何の成果もあげられないまま、仙台の二日目が過ぎる。


 三日目、今度は昼間に彼の自宅へ足を運んだ。

 町外れの古いマンションで、表札プレートに名前はない。

 支部の調査資料にもあるが、住民票に登録されているだけの場所で住んでいる痕跡こんせきは確認できなかった。

 店はその日も休業のまま明かりが灯ることはなかった。


 四日目の朝を迎え、京子は仙台入りしてから日課にしていたマラソンを終えると、綾斗を連れて町へ出た。

 通勤途中のサラリーマンを横目にまだ閑散かんさんとしたアーケードへ入り、ベーカリーで焼き立てのパンとコーヒーを買い込む。天気予報で今日は晴れと言っていたが、朝の冷え込みは半渇きの髪を下ろしてきた京子にはビリビリと刺すような寒さだ。


 雪が降らないだけましだが、マラソンとシャワーで温まった身体がみるみるうちに冷えていく。

 マフラーに篭る息の温もりさえ冷めるのはあっという間で、保温用に買った缶コーヒーも、目的地に付く頃にはすっかりぬるくなってしまった。


「早く来て。お願い」


 平野の店の前で、京子は黒い鉄の扉に向かって強く祈る。

 彼が現れる予定はないが、もうこの場所で待つことしか策が浮かばなかった。

 少し離れた場所に植えられた、背丈ほどの無花果いちじくの陰へ移動する。


 建物の隙間から射す太陽に身体を当て、買ってきたパンを頬張ほおばった。

 他愛のない会話もやがて途切れ途切れになっていく。

 昼食を交代で済ませた頃にようやくマフラーを外せる気温にまで上がり、京子はホッと穏やかな空を見上げて綾斗に一つの話を切り出した。

 ずっと聞きたいと思いながらも遠慮していた彼の過去についてだ。


「綾斗って、どうして北陸に行ったの?」


 キーダーは十五歳でアルガスの本部に配属されるのが基本だが、彼はとある事件を起こしたという理由で二年を超える長い間、能登半島にあるアルガスの訓練施設に入ったのだ。

 キーダーの京子にさえ、その詳細は知らされていない。


 覚醒の早かった彼に対する処置だと言えば聞こえはいいが、はっきり言えば収監しゅうかんだ。

 普段アルガスの資料整理を主な仕事としている朱羽あげははその事実を知っているようだが、「シークレット事項よ」と言って何度聞いても教えてはくれなかった。

 

 「それは……」と口籠くちごもる彼も、やはり言い難い事情があるらしい。


「まぁ、教えたくないなら無理に聞かないけど」


 本当は聞きたくて仕方ないが、アルガスは支部単位の極秘事項を抱えていることも多く、あまり強くは聞けなかった。

 能登で二年というペナルティは、キーダーにとって少々重い気もする。あの事後処理をしたのは九州支部だ。あそこにはマサの同期で京子とも仲の良い一條いちじょうという男がいるが、やはり彼も口を閉ざした。


 そんな好奇心を押さえつけながらもとする京子に、綾斗は「まぁいいですよ」と諦めた様子で口を開く。


「やった、ありがとう」

「京子さんに隠しておける気もしませんからね」


 綾斗は辺りを見回して、京子の横へ移動する。触れなくとも体温を感じられるような、小声でも十分に届く距離だ。

 期待に目を輝かせる京子に、綾斗は「そんな大したことでもないんです」と前置きする。


「俺、中学の修学旅行の時に誘拐されたんです」

「えぇ?」


 その事実に、京子は想像していた何倍もの衝撃を受ける。思わず上げた声は、離れた大通りを行き交う人々の視線を振り向かせる程だった。



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