物理少年と文学少女

うたた

第1話 出会い

爽やかな春風の中。眼鏡を掛けた少年は、真新しい制服に身を包み、中学校の廊下を走っていた。

「ふふ、ふふ。」

彼の口からは、楽しくてたまらない、というふうに笑みが零れていた。

「こらっ、危ないぞ。」

先生に注意されるも、少年は気に留めず思い切り階段を駆け上がった。

少年の目指す先は、校内の図書室。

階段を登りきり、戸に手をかけようとした時、そこに少女が走ってきて、勢い余って少年にぶつかった。少年の眼鏡がずれて、視界が曲がった。

「ぎゃっ!?」

「うわ!?」

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!」

「え、あ、うん。いてて…。」

二人は立ち上がって、戸に再び手を伸ばした。

「あ、どうぞ。」

少年は、先に戸を開けて少女に呼びかけた。

「あ、ありがとう…。」

広い図書室の入り口から、二人は別々の方向へ歩いて行った。


少年は、机で重たそうな本を読んでいた。分厚い図鑑だった。

ページを真剣に見つめ、ぱらり、とゆっくりめくる。本をいたわるようなその仕草は、この広く静かな図書室に溶け込んでいた。

そこへ、先程の少女が現れた。

「何を読んでいるの?」

「…?」

少年は、ゆっくり顔を持ち上げた。

「…あ、さっきの…。僕は、物理学の図鑑を読んでいるんだ。これを読んでいると、世界が全て理解できるような気分になるんだ。理解できるだけだけれど、いつかこの知識が何かに役に立つと思ったら、わくわくしていくらでも読んでしまう…って、なんだか恥ずかしいこと言ってるかな。」

「…へえ…。そんなに大事そうに読んでるから、よっぽど面白いんだろうね。いいねえ、私にも教えてよ。」

少年は、目を見開いた。このように自分に話しかけてくれる人に初めて出会ったからだ。「難しそうな本だね」と言ったきり、関わってくれない人とばかり出会ってきたので、彼女の反応にとても驚いたのだった。

少年は、少女を見上げた。

「あ、あれ、私なんかおかしいこと言ったかな?」

少女は、黙りこんだ少年に、不安になったようだった。

「いや、ちょっと…驚いただけ。なんでもないよ。君も急いでいたようだけど、何かあったの?」

「あ、私は、図書委員で。今日は当番だったから。」

「なるほどね。…本が好きなの?」

「もちろん!どんな本にも、素敵な物語が詰まっているからね。」

少女の星のようにきらきらとした明るい表情が、少年の心を震わせた。

「……、そっか。」


キーンコーンカーンコーン。


「あ、授業始まる。」

「そうだね。」

図書館を出ようとした少年が、ぴたりと歩みを止め、振り向きながら少女に再び呼びかけた。

「あ、…あのさ、名前は?クラスは…?」

「クラスは1C、神田…だよ。」

「そっか。…僕は1Aの風見だよ。じゃあ、またね。」

そう言って、少年は駆けて行った。少年が同じ歳の子とこんなに話したのは、初めてのことだった。なんともこそばゆい気がして、少年は思い切り階段を駆け降りた。


その場に残された少女は、同じくそこに残された図鑑を見つめていた。

「…私には、内容はさっぱりだけど、面白いと思ってくれる子がいるから、君は幸せだね。ふふ、君のことも勉強しちゃおうかな?」

そう言って、重たそうに図鑑を持ち上げ、本棚へと返した。そして腕時計に目をやった。

「あ、もうあと3分⁉︎」

少女は、慌てて図書室を飛び出していった。

少女の髪を、春の日差しが明るく照らした。

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