少年は二度、異世界転生をする。

岩本剛

第1部 ギルド入団編

第1話 リトルクライベイビー part1

『なっ、なんで裸なんですか!?』

『いやぁ農作業をしていると、ドロが服について汚れるじゃあないですか! 初めから服を脱いでおけば、汚れる心配はありません!』

『わ、私の目が汚れます!』

『何をおっしゃいますかシンディさん! 見てくださいこの上腕二頭筋を! ここに一つの生命が宿るがごとく躍動! 生命が駆け巡り、ほとばしっているでしょう!』『畑仕事をしてください!』



 ――――帰路につく少女は、肩をがっくりと落とし、疲れ切った顔をしていた。


 お昼時、人であふれかえるレンガ造りの街、バラキーアは、彼女の思いとは関係なく、日常の騒がしさを演出していた。


 シンディ・フォックスは、今年で十六歳になる少女だが、同世代と比べれば非常に大柄で、大人の女性と見なされてもおかしくはないような体格をしていた。


 黒髪なのだが、前髪の一部に、暗闇に刺した一筋の光のような白髪が伸びている。これは彼女のアイデンティティにあたるのだが、今日は疲労に伴い、そのチャームポイントがしょんぼりと落ち込んでいた。

 

 ――――この世界には【愨】という概念が存在する。

【愨】とは、人の生命のエネルギーで、人の尊厳、人の象徴としてあり、【愨光】という光によって肉体から現れる。


 これらの【愨光】には、【愨能】という、異能が備わっている。


 それが、その人を表し、その生きざまを現す。

 様々な能力によって、この世界の経済、政治、軍事、警察、職業――――、ありとあらゆるものが回っている。


 食もまた例外ではなく、【愨能】によって食材を生み出す者たちが中心となって、食の世界は動いている。

 そんな時代の中、実際に畑を耕し農業を営むという者はそう多くはない。


 シンディ・フォックスは世界の在りように逆らい、野菜が本来の形で育まれるように……、という思いから、畑で、一から野菜を育て作っていた。


 最近バラキーアでは、「野菜を放出できる能力者の野菜より、種から育て上げて作る野菜の方が美味しく、栄養価も高い」という(自称食物専門家による根拠のない)話が広まって、空前の農業ブームが到来していた。


 ブームより以前から土で野菜を育てていたシンディは、そうした流行に乗り始めた初心者農家たちにアドバイスを送るため、農業のための意見交流会を開いた。

 人間、エルフ、ドワーフ、巨人族、翼人族、獣人族……、種族関係なく集まる会だ。


 ――――しかし……、現実は残酷だった。

 目も当てられないほど悲惨だった。


 それは……、会に参加している人物のほとんどが、一般的な農業への姿勢が欠いていたからである。


 水が必要なことを知らないと言う者、日なたに当てることを知らない者、スイカを育てたはずなのになぜか緑色の植物が育って驚いたと言う者など……。

 逐一優しく説明するシンディだったが後半は頭を抱えた。


特に彼女の頭を悩ませたのは、全裸で畑を耕すというグループの主張だった。


『畑を耕す、というのは素晴らしいですね! なんといっても、このはちきれんばかりの肉体美をいろいろな人に見せつけられるんですからねぇ! ホラぁ、見てくださいよ! クワを持ち上げた時のここ! この胸筋を! そしてホラホラ! 腹筋も見事六つに耕地整理されていますよ!』

『耕すのはそこじゃないです!』


 ――――色んな人に野菜作りを楽しんでほしいという思いを持っていたシンディだったが、彼らにとっては、野菜という結果よりも、農作業という過程がとても魅力的だったようだ。


 結果、農業意見交換会は筋肉美披露選手権へと変わり、目的や希望を失った彼女は足早にその会場をあとにした。


 会場をあとにしてから二十分、街から離れ、彼女は自宅のある山の中へと入っていった。

 山の名をオカルタの山。

 別名黒の森の山と言われるその山は、正午の太陽の光も遮る巨大な木々に覆われていて、霧が年中立ち込めている薄気味悪い山だ。


 いたる所に醜悪で臭い虫ばかりが這いつくばっており、普通の人であれば気分を悪くして立ち寄ろうともしない。

 そんな森の中を、彼女はとぼとぼと進んでいった。




 ◇ ◇ ◇


 ――――森の中の獣道は高低差が随分あるため、歩くだけで汗をかいてしまう。普段体を動かし慣れているシンディでも、息を切らしてしまう程である。


 温まった体を少しでも冷やそうと、彼女はつなぎ服の上をまくった。

 巨大な山二つ並ぶ胸を支える黒の肌着が露になったが、ブラジャーには汗によって出来た大きなシミがあった。


 確かに服の中に風が入ってきて涼しくはなったが――――、彼女の胸ポケットにしまってあったジャガイモが、上着を脱いだのをきっかけに飛び出してしまった。


 このジャガイモは先の集会での唯一の収穫物といえる、大切なジャガイモだった。

内職をする若い女性が、仕事の合間を縫って、庭の小さな畑で育てたものである。


「いけない……、せっかくもらったものが……!」


 サイズは女性のゲンコツにも満たない程の小さなものだったが、形の良いものを彼女からわざわざもたったので、このまま飛び散ってしまったジャガイモを一つ残らず拾わないわけにはいかなかった。


(もらった数は記憶が正しければ七つ。全部拾わなきゃ……)


 一つはポケットにまだ入っていたが、いたる所にジャガイモが散乱してしまった。拾っては土を手で軽くはらいポケットに戻していく。


 そして今度は飛び散らないようにしっかりとポケットのボタンを締めた――――。


 ようやく六つのじゃがいもがポケットに収まった。だが肝心の残り一つが見つからない。遠くに飛んでいったのは分かるが、地面とジャガイモの色が同化し見分けがつきにくい。


 目を凝らし、迷子にしてしまったジャガイモを探そうとした時、ふと彼女は森の空気の不思議な流れに気が付いた。


 立ち込めていた霧が、下流の川のようにゆったりと、木々の間をすり抜けながらどこかを目指して流れていく。いつもと違う木々のざわめきに思わずシンディは顔を上げた。


 ジャガイモ探しの手を止め、空気の道筋を辿った。


 少し歩くと、ところどころ大木の手が届かず、日がまばらに差し込んで明るくなった、開けた場所に出た。空気も少し温かく感じられる。

 開けた場所はくぼみになっており、空気はそこへ下降していた。


 中央には、シンディを二人縦に重ねても、てっぺんに届かない大きさの巨大な岩があった。しかも綺麗な円形で、人工物かと疑うほど側面に凹凸がなかった。

 長い年月をかけて育ったツタやコケがこの大岩に絡んでいるが、見るからに岩だけは天然の物ではない。


「なんでしょうこれ……、ここで暮らして三年以上たつのに、こんなのがあるなんて初めて…………」


 開けた場所と岩の存在に驚いていると、その岩のすぐ下に、探していたジャガイモが落っこちていることに気が付いた。


「あぁ、よかった……、最後の一個……」


 駆け足でジャガイモを拾いに行きポケットに閉じ込めた。


 その時、彼女は木を踏みしめる足音を聞いた。

 その音はこれから起こる不穏な出来事を予期しているかのような意味深いものだった。


 顔を上げると泥の塊のようなものが彼女を取り囲んで見下ろしていた。


 その泥の塊には、左右の大きさの異なる目が付いていて、獣のように、尖った牙を備えた大きな口があった。

 崩れながらも、形を繰り返し成していく。


 この生物は魔獣という、人を意味もなく襲う有害な生き物だった。本来群れないとされる生き物なのだが、彼女からは十体ほどの魔獣が目視できた。


「魔獣……! 最近見てなかったのに、まさかこんなに出てくるなんて……!」


 すると彼女の右手から赤く、眩い光が放たれた。


「第一愨光を愨能へ変換! 解放せよ! ――――【誕生の技術スキルマッド】!」


 炎のように揺れる光は渦を巻いて形を成していった。

 赤は徐々に質量を覚えると黒みを増していき、最終的に彼女の右手にはあふれるほどの泥が出来上がった。


 彼女はその泥を急いで丸め、拳大の大きさの泥ダンゴを作った。


「これでなんとか追い払えれば……!」


 魔獣がずるずると音を立てて、彼女の方へゆっくりと降りてきた。

 その魔獣目掛けて泥を投げつけようとした時だった――――。


「GYUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――――――ッ!」

「なっ!?」


 想定外――――。


 大岩を飛び越え、彼女の後ろからもうすでに攻撃態勢に入っていた魔獣が、シンディに襲い掛かってきた。


 不意を取られたシンディはすぐさまこの魔獣に向けて泥ダンゴを投げつけようとした。しかし投球動作が間に合わない。

 多少の痛みを覚悟して目を思いきりつぶった時だった――――。



 ――――ふと、風の音も葉の音も、獣の声も、何もかも音が消えた。



「――――――――ッ!」


 ふわっと、何かが彼女を包む感触がした。

 ――――刹那、魔獣が引き裂かれた。


 あまりにも突然な出来事に、彼女は持っていた泥ダンゴを落としてしまった。


「え……!? なん……ですか……?」


 彼女の声が漏れる。魔獣が塵に変わっていく――――。

 魔獣は死ねば塵となり消える。ということは今、彼女に飛びかかろうとした魔獣が、死んだのだ。


「死んだ……!? 魔獣が……!?」


 また一匹――――、魔獣が切り裂かれて塵に消えた。

 彼女はあたりを見回した――――。



 ――――何かいる。



 今、この空間にはどうやら「何か」がいるようで、それが目にも止まらぬ速さで魔獣たちを次々と切り裂いているようだった。


 風を切る音、そして魔獣が切られて呻く声。

 彼女は繰り返される音に、体が震えてしまった。


「だ、だれ……!? 何!?」


 ――――すると、彼女の横を「何か」が駆け抜けていき、風を受けた彼女は思わず甲高く短い悲鳴をあげてしまった。


 何者かは分からないが、自分が標的になるかもしれない、と思った彼女は体を屈ませ、目を思いきり閉じた。


 するとどうだろうか。すぐに風を切る音が消えた。

 沈黙が続き、事態の収束を予感した彼女が恐る恐る顔を上げると、周りを取り囲んでいたはずの魔獣が、すべていなくなっていた。


「い、一体何が…………!?」


 もう一度あたりを見回す。

 ふとあることに気が付いた。


 ――――彼女の興味を引き付けてやまなかった大岩に、四角い穴が開いていたのだ。体を丸めれば、小さな子ども程度なら一人ぐらいは入れるサイズの穴だ。


 さっきまでそんな特徴はこの岩にはなかった。


 再び風が吹き始め、森の木が揺れ、その開けた場所に一筋の光が差し込んできた。

陽の光に照らされた岩の上に、背丈がとても幼い少年が、何か長細い物を持って立っていることに彼女は気が付いた。


実に――――、小柄な少年だった。


 風で少年の赤茶色の前髪が揺れ、シンディの目と彼の目があった。

 そしてその時、彼女は少年の異様さに気が付いた。


「あなたは……【愨光】は……? どうやって魔獣を倒したんですか……!?」


 異様さはその少年の武装状態にあった。

 この世界に人間意志を持つ者はみな【愨光】という超能力の源、魂のエネルギーを所持している。彼女の泥もまたそれの産物である。


 ――――しかし、彼にはその魂のエネルギーがない。

 ――――それでも、彼はからっぽではなかった。


 別の【何か】が彼を満たしていて、その力を前に、シンディはうろたえた。


 唯一、武器と認められたのは、彼の右手に構える黒の刀身の剣のみ。

 長さは、目の前の少年とほぼ同じぐらい。そんな巨剣を右手一本で、しかも【愨光】なしで支えるという違和感。


 シンディは彼の特殊さを前にいよいよ恐怖を覚えた。

 しかし彼は怖がる彼女を気にするそぶりも見せず、二人を囲う黒い森を見回しながら小さく呟いた。


「『また』……?」


 ふらりと彼の体が揺れたかと思うと、少年は気を失い岩から転げ落ちてしまった。


「え…………?」



 時が止まったかのような空間に、少女は取り残された。

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