鵲上の恋

@ajisawa-0410

第1話

織姫と彦星は、会えなくなってしまった。


 一年に一回の、短い時間。


 二人は鵲かささぎの橋を渡り、再会する。




 どうして、二人は別れなければならなかったのだろう。


 周りが、共に居る事を許さなかったから。そういう、運命。




 どうして、二人は出会ってしまったんだろう。


 傷付いても尚、出会いたいと心が願ったから。そういう、運命。




 どうして、運命は彼ら彼女らを引き合わせたの。


 神様はきっと、幸せになる事を望んでいたから。そういう、運命。




 じゃあなんで、神様は二人が残酷にも引き裂かれる事を許したの。


 人とは、時に神をも越える。意思とは、想いとは、何よりも鋭利な刃物で、何よりも温かい光。




 最後に聞かせて。引き裂かれる事の決まっている物語に、意味は在るの。


 …………………………………‥。


 …………………………………………ある。


 ……………………二人はたったひと時でも、共に居る事を望んだのだから。






 例え苦しい時間の方が長くても、いつか幸せになれる。


 そう、信じている。


 だって、そう。


 幸せとは掛け替えが無くて、だから愛おしく、儚い。


 幸せとは、そういう物ではないのか。








 石楠花しゃくなげ色、茜色の空が街全体を赤に染め上げる。プラットホームで電車を待つ人々の吐息は白く曇っている。駅付近の自動販売機では、冷たいジュースの売れ行きが悪くなり、温かいコーンスープの缶がよく売れている。


 七夕、七月七日。


織姫と彦星が一年に一回、出会う事を許される日。


されど、空は薄い雲に覆われていた。


「お久し振りですね、三鷹くん」 


「七年振りかな。平河さん」


 三鷹みたか佑ひろ幸ゆきは平河ひらが野々花ののかの顔を見、切なげに微笑んだ。


 平河野々花は三鷹佑幸の顔を見、淋し気に微笑んだ。


 二人は中学校から高校にかけて交際をしていた。けれど大学へと進学する平河と、形振なりふり構わず小説家になるという夢を追掛ける三鷹とでは、歯車はかみ合わなかった。


 プラットホームに、電車の到着を告げるアナウンスが流れ、次いで電車が風を切って停車した。


 それは三鷹が職場から自宅に帰宅する為の電車であったが、三鷹は視界にも入れない。


 ただ静かに、平河の瞳孔を覗く。


「高校の時みたいに、三鷹、って呼んでいいですか。ついでに敬語も取っていいですか」


「嫌です」


「ケチですね」


「そうですか」


 単調な会話。


 けれど、二人は僅かに微笑む。


 まるで、二人の高校の日々が還って来たとしか思えなかったから。


 しかし少なからず、変わってしまった物はある。


 時、関係、想い。


 平河野々花の薬指には、指輪。


 平河はそれに気付いて、まるでじっくりと見せる様にしてから、ポケットに入れた。


 三鷹の鞄には、原稿用紙が何枚も入っている。


 三鷹はそれを隠す様に、鞄を持ち直した。


 全てが、高校生活と同じであるように。


 気付けば、辺りに人は殆どいなくなっていた。


「とりあえず座りませんか。立ったままでは積もる話も積もりませんから」


 そう言って、構内のベンチを示す。


 平河は無言でその後ろに付き、肩を寄せる様にして座った。


「三鷹くん、小説家になれましたか」


「一応。雑誌で短いですが連載企画を持っています。それと同時に今は、出版社で働いています」


「二つ仕事があるって恰好良いですね」


「平河さんは、今何をやっているんですか」


「luceルーチェっていうファッションブランドを立ち上げました。結局、私も夢を追う仕事に就きました」


「光……平河さんらしい名前ですね」


「ありがとうございます」


 そして、近況について話終わり、沈黙が二人を包む。


 頬を撫ぜる様な優しい風が吹く。


「煙草、吸ってもいいですか」


 三鷹は、平河の返事を待たずしてライターの火を灯した。


 暗く静まり返っていた辺りが、赤く照らされる。


 平河の顔も赤く照らされる。


「変わりませんね」


「そうですか。俺は変わりましたよ。夢は叶って、やりたい事を、自分で出来る様になった」


「本質は変わりませんよ」


 平河は、はあ、と大袈裟に溜息を吐く。


 三鷹は煙草の火を燻らせると、


「ほんの少し前にやっと熱が冷めたのに」


と言った。誰もいない、暗闇を見つめて。


「ずっと好きだった人でも?」


「恋人だった人に言う言葉ですかね……。気付いている癖に」


 三鷹はふっ、と自嘲する様に笑った。


 きっと、二人は各々の想いに、気付いていて、でも、相手の事を想えば想う程に距離は遠のき、想いは別れていった。


 きっと、あの時、高校最後の日。


 言葉を、伝えていれば。貴方の事を忘れられないと、言えば。


 何かが違ったのかもしれない。


 けれど、もう既にその時は過ぎたのだ。


 時が、季節が移り変わり、距離ははなれて、想いは違たがう。


「それでも、もう遅いでしょうね」


 三鷹は、飲み物買ってきます、と言って立ち上がる。


 駅の構内には錆びれた青鈍色の塗装の自動販売機。


 売っているのは季節感の無いお茶各種と、ジュース。


 それと無糖のコーヒーと、甘い、カフェオレ。


 しかも値段は廉価とは言い難い。


 無糖のコーヒーと、カフェオレを一本ずつ。


 両方を手にして、どちらが良いですか、と言わんばかりに平河の目の前に押しやる。


「コーヒーで」


「平河さんがカフェオレかと思ったんですが」


「分かってませんね、三鷹くん。私は、大人の女性ですから」


「高校生の時も、『私は大人の女性だから、珈琲を飲むの』って無理して苦しんでいませんでした?」


「あれから何年経っていると思ってるんですか」


 ふふ、と高校時代に思いを馳せて笑う。


 なりたい、じゃなくて、もう、大人の女性ですよ、私は――――




 もう終電は終わっていて、二人以外に誰も人はいない。


 二人は、高校時代の思い出を語った。


 人生の岐路なんてとうの昔に越えているのに。


 二人は、違う道に進む事を決めたのに。


 まるでもう一度、交わろうと。


 二人は、互いは、愛する誰かと、目指し続ける夢と共に生きる事を決めたのに。




 もう、時刻も一時となりつつあった。


 平河の携帯が震えた。


 平河は携帯を一瞥して、バイブレーションを停止させた。


「夫じゃないんですか」


「まあ、そうですけど。あまりうまくいってなくて。けれど世間体を気にして離婚なんてとても言えないし…………」


 平河は一度そこで言葉を切った。そして、三鷹と同じく立ち上がった。




「貴方と添い遂げていれば、こうはならなかったのにね?」




 高校時代、口付けた日。


 それと同じ顔で、悪戯に、けれどそれでいて、寂しげに、悲しそうに笑った。


「もう、全て遅い」


 かんっ、と音を立てて荒々しく缶をベンチに置いた。


 缶の中のカフェオレがとぷんっ、と揺れて零れる。


 薄い水色で、少し黒ずんだベンチに、シナモン色にも似たカフェオレの、円い染みが出来る。


「そろそろ帰ります」


 少し苛立たし気に歩き出す。


「まっ…………待って……」


 平河は帰ろうとする三鷹の袖を掴んだ。


 三鷹は、少し驚いた顔をしてから、また前を向く。


 けれど、立ち止まったまま。


「なんですか」


 まるで平河を突き放す様に、近寄るなと、関わるなといった声で応えた。


「また、私達」


 希望に、唯一の望みに縋る様に袖を握りしめる。


「高校生の頃に、戻れないかな」


 あの日、別れた日。


 あのときと同じ声色で、同じ様に美しい涙を風に靡かせて、彼女は言った。


「貴女、もう結婚なさってるんでしょう。夫が心配しますよ」


「どうせ、世間体気にして離婚してないだけだもの。私、三鷹くん――真尋の事、ずっと好きだった」


 三鷹真尋。『真ま尋ひろ』。


 彼女は、熱を孕んだ声でそう呼んだ。


 あなたもでしょう、真尋?と言い聞かせる様に。


 三鷹が、友達と揉めた時。


 小さないざこざで言い合いになった時。


 寂しくて、平河に電話をした時。


 いつも、平河は、真尋、と囁いた。


「――――――――――もう、俺達は終わりました…………」


 声を絞り出す様にして苦言を呈すかの如く声を出した。


 息が浅くなる。


 心の、奥の、更に奥の方で、炎が、何か、本人も分からない何かが燻くすぶる。


「もう全部遅いんだよ!何もかも……『全て』。お前があの時、全てを終わらせた!!」


 獣の慟哭の様に。


 ただ、己の想いを叫ぶ。


 本能に従って。


「俺は好きだったのに……俺、ずっと好きだったよ!今だって後悔してる。きっと、別の形があったはずだ。でも、もう選んだんだよ。自分たちで。そうだろ、」




「そうだろ、文あや」




「その名前で、呼ばないでよ」


 平河文は、苦々しい顔。


「私は、平河ひらが昴すばる」


「その名前、高校の時に嫌だっつったから、俺が名付けてやったのに。なあ、文」


 平河は、『昴』という名前が嫌いだった。


 男の子っぽいという理由で。


 だから、いつも本を読んでいた静かな昴を、三鷹真尋は、文、と呼んだ。


 三鷹も当時は、真尋、という名を良く揶揄からかわれて、嫌だと言った。


 けれど、平河が、良い名前だと言った。


 だから、三鷹は、平河を文と呼んだ。


「そうだね……でも、私は高校生じゃないよ。夫にも、昴、って呼ばれてる」


 諦めた様な、失望した様な、落胆した様な…………


「あ、そう。俺は夫じゃねえし」


 高校生の時の、軽快な掛け合いを思い出す。


「五月蠅うるさい。言い訳止めてよ…………じゃあ、私帰る」


 悪戯に笑うと、平河は今度こそ、駅の改札口に向かった。


 ネオンのオレンジの光が、ジジ、ジジジ……と音を立てて明滅している。


「じゃあな」


 前を向いたまま、平河に手を振る。見向きもしない。


 けれど、平河が数秒立ち止まって、そして帰ろうとした時。


「今日は、七夕だな」


 三鷹は、やや曇った空を見上げ、そう呟いた。


 聞こえるか聞こえないか分からないくらいの、か細い声だったけれど。


「けれど、今日は曇ったもの。きっと、会えなくて悲しんでいるでしょうね」


「俺が思うに」


 反論するような、強い語気で、


「会えたから、幸せって訳じゃねえと思うよ。一年に一回、相手の事思い出してさぁ。会えないのに、想いだけ強まって……それって、幸せかな」


 殆ど、自問自答するかの様に言った。


 平河は何か言おうとしたけれど、その言葉を遮る様に、


「誰かを好く気持ちって、そんな綺麗なものじゃない。穢れて、汚くて、醜くて…………悲しい。『一年に一度会えるから、幸せ』?そんな訳ねえだろ……好きだったら、毎日視線を重ねたい。毎日、会話をしたい。横に居るだけでいい。言葉なんていらない……そういうのを、恋、そして愛だと俺は呼ぶよ」


 綺麗…………、そう平河は呟いた。


 三鷹の純黒の双眸に、やや光の鈍い星が写り、まるで、二つ、世界に空が存在する様だった。


「あなたも、早く帰りなさいよ」


 そして、二人、静かに、音も立てず空を数分見つめた。


 ずっと、空を見ている。


「――――――織姫様は、彦星様を待っているの」


 耳元でそう呟いた。


 三鷹の視界が、少し歪んだ。揺れて、煌めいて、そして、零れた――――


 カサ、とポケットに何か紙を入れられる音がした。


 けれど、そのまま、前を見続けた。


 見てはいけない。


「見ちゃ、駄目だ」


 三鷹の頬が濡れる。


 けれどそれを拭う事もせず、空を見上げた。


 雲が風に流れていく。


 たまに月が雲の合間から覗くけれど、すぐに覆い隠されてしまう。


 そして、半刻も過ぎようとして、三鷹はようやく地を見た。


 ポケットには、懐かしい、付箋。


 七年前。


 平河が買ってきて、こんなに使えないね、と笑っていた。


 最後の一枚なのか、後ろに粘着はなかった。


『私は 織姫様になりたい  鵲かささぎの橋を見せて』


 急いで書いたのか、字は少し乱れている。


 最後には、文あやから真尋まひろへ、と文が締めくくられていた。


「なんでお前は織姫になりたいんだ」


 織姫は、一年に、たったの一度しか巡り合えない。


 鵲の橋は脆い。


 雨が降れば、曇れば、橋は解け消えてしまう。


 また、たった一瞬だけれど、月が雲の間から覗いた。


 メモが、三鷹の手の中でくしゃくしゃにつぶれた。






 七月七日――――快晴。




 笹に結ばれたカラフルな短冊が、優しく仄かな風に揺られる。


 人それぞれ、各々の願い事が、くせ字で、たまに絵も交え書かれている。


『新しいゲーム機が欲しい』『好きな人に思いが通じますように……』『行きたい高校に行けますように!!』『夏休みをめいっぱいたのしむぞ!』


 小さくとも、日々の幸せを願うものから、


『手術が成功しますように』『家族全員健康体。』『病気が無事治りますように』


 命を願うものまで、様々だ。


 でも、どれもが空にたった一つしかない小さな、輝き。


 鵲の橋が、空に掛かる。


 髪が、優しく揺れ。


 彼女は、小さく笑った。




「ひさしぶり」




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