10年後に神様を…

流僕

第一章 始まりの死と最後の出会い

「たっくん」


あどけなさを残した笑みを浮かべ少女が僕に向かって手を振っている。

もっと君と一緒に居たかった。

でも、彼女はもういない。

殺されたのだ彼らに


いや、


僕に。




枕木を打つ単調な音の繰り返しに憂鬱になる。窓の外には、小さな車窓に収めるのはもったいないくらい、大きな空が広がっていた。

ゆっくりと、しかし確実に忘れたかった過去に近づいている。


その日は志穂の誕生日だった。彼女の実家は桃農家でよく桃をご馳走になった。大好物の桃を食べながら頬を垂らし、はにかんでいる様子の彼女を見ていると、皆も釣られて笑顔になった。いつしか皆がモモと呼ぶようになった。誰にでも明るく接し、少し抜けているところもあったがそれも彼女の魅力だった。彼女の高校最後の誕生日に僕は仲間と一緒にサプライズ計画を実行した。

「珍しいね。たっくんが勉強に誘ってくれるなんて」

モモが教科書に視線を落としながら、話しかける。勉強に誘った事が不自然だったのだろうか。サプライズがバレてしまったのかと不安になる。

「そうかなぁ。昔だってよくモモの家で勉強会してたじゃないか」

バレてないことを祈りながら誤魔化しておく。現在、モモの家でタッチとマリがパーティーの準備をしているはずだ。準備完了の報告を受けるまでモモを俺の家に引き留めて置く必要がある。両親ともに外出中の今、その任務は俺にしかできない。

「その時だって、たっくん直ぐに勉強飽きちゃってゲームしてたじゃない」

モモは昔の頃を思い出すように言った。あれは確か小学校高学年になりたての頃。実施日が近づいてる漢字テストに向けて、全く勉強していなかった僕とモモは勉強会を開いたのだ。

「それはモモがゲームしようって誘ったからだろ?」

当時はまだオフラインゲームが主流だったので、友達の家に行く事はゲームをすることと同義だったのだ。新しいゲームを入手したことも相まって、漢字テストの勉強よりも圧倒的に魅力的な提案にだった。タッチやマリと知り合う前で、よく2人だけで遊んだ。

「ほら、手止まってるよ?」

モモが指摘して気が付く。どうやら会話に夢中になっている内に集中力が途切れてしまったようだ。休憩を取ろうと提案したら、「いいよ」と即断していたのでモモも同じ状況だったのだろうかと無粋する。アイスでも食べようかと二人で冷蔵庫を探索した。

「ないね」「ないな」

口に出したのは、ほぼ同時。その後いつものようにじゃんけんをした、そして負けた。

「じゃあ、いつものお願いね♪」

満面の笑みを浮かべモモが言う。

「この前の授業で教科書を貸した借りは…」

「お弁当作ってあげたでしょ?」

満面の笑みに少し影が掛かる。気のせいだろうか、モモのその笑顔に違和感を感じた。

「いってらっしゃい」

…これがモモと最後に交わした言葉になるなんて、思ってもいなかった。


帰り道、買ったアイスの入った袋をぶら下げながら歩いているとタッチから電話がかかってきた。どうしたのだろうか。パーティー会場の設営とケーキが焼き上がる時間にしてはまだ早い。

「もしもし、拓明だけど」

「おっ、おいっタッキー!今すぐ戻ってこい!モモが、モモが…」

タッチがいつになく慌てていた。その言葉や電話越しに聞こえた2種類のサイレンの音に寒気が走る。


走って家に向かうと目に入ったのは、自宅の前に止まっている数台の警察車両と救急車だった。

「タッキー!モモが!」

マリが救急車のそばで僕を呼ぶ。急いで救急車に向かう。救急車の中には既に充と真璃が乗り込んでいた。二人とも汗をかいている。扉が閉まり救急車が発進する。目の前のベットに横たわっているのは紛れもなくモモだ。僕には彼女がなぜそうなっているのか理解できない。今できるのはモモの手を握り、無事を念じるだけだ。

モモは病院に着くと直ちに集中治療室に運ばれた。ずっとモモの手を握っていた僕の手はその役目すら外れた。無力な自分に対する思いか、離れた後はギュッと拳を握り続けた。治療室のそばのソファに3人座り、待つ。いつもは会話が絶えない仲間だが、今は励ましや安堵の言葉は何も効果を持たないと感じていた。


「…何があったんだ」

沈黙の末、僕はマリに問いかける。その声には自分でも理解できない怒りが混ざっていた。

「タッキーがコンビニに行ってる間に強盗が入ったみたい。近所の人が通報して、その人伝いに連絡を貰って来てみたらこんなことに…」

答えは最悪だった。僕が呑気にコンビニに行ってる間にモモは強盗に襲われたのだ。

「おいっ」

「…ごめんなさい、そうゆうつもりは無かったの」

タッチがマリに注意する。先ほどの発言が「タッキーのせいでモモがこうなってしまった」と暗に示していると感じたからだろう。僕はその通りだと思う。僕が家にいたのならモモは危険に侵される事は無かった。

「いいんだ。僕が家に居さえすれば…」

「タッキーは悪くない!悪いのは全部あいつらだ。あいつらなんだ」

タッチが言い終えると、また沈黙が支配した。

モモの誕生日を祝う筈がこんなことになってしまうなんて。唇を噛みしめる、なぜだ、なぜモモは。口の中に血の味が広がる。それでも僕は噛むのをやめなかった。集中治療室のランプが異常に赤かった。


しばらくすると、モモの両親が合流した。

「拓明君達、志穂は?」

モモの母親のその質問は俺が答える時間はなかった。治療室から医師が出てきたのだ。

「皆様、お入りください」

彼の暗い表情に嫌な予感がする。モモ、無事でいてくれ。また、笑おうよ。



「柞木田志穂さんは本日8月16日18時23分、お亡くなりになりました」


医師はありきたりの慰めの言葉を積み重ねることはなかった。


8月18日

モモの葬儀は身内と仲間だけで行われた。モモの両親も「拓明くんは何も悪くない」と言ってくれたが僕があの場に居さえすればよかったのだ。どう顔向けしていいか分からない。


8月19日

事件以降、警察の捜査の影響で自宅が一時的に使えなくなっていた。タッチが心配して「俺の家に泊まっていけ」と誘ってくれた。家にいる時もお互いほとんど会話をしなかった。


8月25日

警察の家の捜査も鑑識も終わったが一向に犯人達は捕まらなかった。自宅に戻ったが、未だに殺害現場となった自室には入れていない。モモがこの部屋で彼らに殺されたと思うと、どうしても部屋の前で足がすくんでしまう。どうにもならない後悔、喪失感、自責の念。唯一の幼馴染で最愛の人である彼女の存在は僕にとって大きすぎた。黒い何かが重くのしかかってくる。


8月28日

充の家を出てから、まともな会話をしていないかもしれない。いや、事件以来会話といえるほどの事はしていないかもしれない。両親が声を掛けてくれるが正直鬱陶しいと感じる。一人にしてくれ…。


8月31日

明日からは学校が始まる。行く気にはなれない。充も真璃も励まそうとしてくれるが俺にはその資格はない。全部、僕が悪いんだ。僕なんて…。



あの日から9年経った。社会人となり、就職もしたが未だに心の穴は空いたままだ。なにも変わらないまま、変われないまま…


電車が駅に止まる音で僕の思考は止まった。

改札口を出ると視界が開けた。何年ぶりだろうか故郷に戻ってきたのは。

「…」

「懐かしい」そう言いたかった。

この駅を含め故郷は変わっていた。

僕の記憶のとは、変わってしまっていた。

あそこにはもともとベンチがあったはず。

「ここにアイスの自販機なんてあったっけ?」

横並びの緑の公衆電話は消えていた。

そういえば僕の隣には…

思い出そうとすると途端に大きな恐怖が僕を襲う。これ以上思い出すのが途轍もなく怖い。消し去りたい、忘れたくても忘れられなかった記憶。あの日から僕は何も変われてない。


実家へと向かう道中に長い階段を持つ高吉神社がある。今は町の再開発と共に廃れ始めたが、その厳かな雰囲気は未だに健在だ。階段の両側に連なって生える木。僕は木漏れ日に照らされながら拝殿への階段を登る。登り切り振り向くと、階段と町の先にキラキラと輝く海と、どこまでも澄み渡る空が、眩しかった。

「懐かしい」

やっと言えた。小さな頃、晴れの日はよく神社にこの景色を眺めに来た。自販機やコンビニなどは変わっても街そのものは…

「変わらないな」

本当にそうだろうか。

「…」

隣を見たが、モモの姿はなかった。

風に揺れる葉とセミの声が大きくなる。


その時、

「おい、そこのお前」

突然の声に僕は驚き、あたりを見回したが、誰もいない。聞き間違えだろうか。

「上だよ」

僕は上を見上げる。すると御神木の枝から人が飛び降りてきた。

その者は5メートルはある枝の上から飛び降りたにも関わらず、シュタッと危なげなく僕の目の前に降り立つ。

落ち着いた雰囲気の少年だった。一昔前の学生服を着ている。年齢は中高生くらいだろうか。よく見ると手にはかなり昔の携帯ゲーム機を持ち、耳にはそのゲーム機から延びるイヤホンのコードを付けていた。

「君はいったい誰だ?」

人外の力を持っているとしか思えない先ほどの行動と、神社に似合わない格好からは何もヒントを得られそうになかった。答えてもらえるかも不安だったが、聞くしかないだろう。

すると男の子はイヤホンを耳から引き抜き言った。

「俺は、神。神様って呼んでくれ」

目の前に居る少年は自分が神だと宣言した。あまりに非日常な状態に聞き返してしまう。

「かっ、神?」

「そうだよ。こんな見た目だけどこれでも神だ」

少年から漂う不思議な雰囲気と、先ほどの人間離れした身体能力が発言の説得力を最大限に引き伸ばしていた。だからといって、今の状況を理解できる訳ではない。神ほどの存在が何故僕の前に現れるのか、その目的は何なのか、疑問は増えるばかりだ。

「訳あって、君の面倒を見ることになったから宜しく」

「は、えっ?どうゆうこと??」

「ウソじゃないぞ、それじゃあまたね~」

神様は手を振ったかと思うと回れ右をして、本殿の裏へ消えた。

「ちょっと、まって」

僕は後を追って本殿の裏へ向かったがそこに彼の姿はなかった。


暑い夏の太陽とは反対方向の実家へ向かって歩いた。

そもそも今回は土日入をれて3日間、実家に帰省するために休みを取って帰って来たのだ。それにしても、さっきの出来事は何だったのだろうか。幻だったのだろうか。そんなことを考えていると、

トントン。突然肩を叩かれ、僕は驚く。振り向くと先ほどの神と名乗った少年がいた。

「よっ!元気してる?」

「えっ、まさか本当に付いてくるの?」

「だから言ったじゃんそうだって。一応言っとくと、君は普通に声が聞こえてるように感じてると思うけど、周りの人に俺の声は聞こえないし、姿も見えてないよ」

この神様につきまとわれた時点で僕のプライバシーは無くなったようだ。

この日から本当に神様は僕に憑りつき始めた。


僕は実家から離れ、横浜に住んで会社に勤めているが、神様は当たり前のようについて来た。神様は当然のように僕のお金で飲み食いするし、ちょっかいも出してくる。

一方、彼に助けられたこともある。

朝寝坊で1時間ほど会社に遅刻した時、僕が部長に怒られるのを防ぐために僕に「UFOに連れて行かれそうになった」とウソをつけと言ってきた。何も手がなかったので僕はそれに従うと、神様はオフィスの窓の外にUFOが浮いている幻を部長を含むそこにいた全員の人に見せた。そのおかげで僕は怒鳴られずに済んだ。

また、神様はいろいろな話を聞いてくれた。

小さな悩み事から、酒に酔って吐いた愚痴まで。

しかし、僕は神様に言えないことが一つだけあった。

神様はだいたい僕が悩みを抱えていることは表情からわかっていたはずだが、僕の口から言わなければ、向こうからは何も言ってこなかった。



ガチャ、ガチャガチャ

ドアノブをひねる音。

「鍵が開いてるぞ」

誰かの声が聞こえる。それに続いて。

玄関のドアが開く気配。

僕は、闇の中にいた。暗いのではなく黒くて何も見えない。いやきっと何もないのだろう。

体を動かそうとしたが、金縛りのように全然体が動かない。

それでも、音だけは聞こえてくる。

トン、トン、トン、トン、

階段をのぼる音。

やめろ、そっちへ行くな。でも、声は出ない。

ああ、わかってる。これは夢だ、幾度も見てきた悪夢だ。だが、いつも恐ろしい。怖い。

タッタッタッ。

2階の廊下を走る音。

ああ、もうやめろ。やめてくれ。

ガチャッ。

2階の部屋の扉が開く音。それに続いて響く女性の悲鳴。

ああ。それ以降何も聞こえなかった。ただ、底を知らない苦しみが僕の全身を包み胸を締め付ける。

突然、辺り一面から無数の手が現れた。その手は僕の身体中を締め付けた。その力はとても強く振り解けそうに無い。

助けを求めようとしたが周りは暗闇。僕はどんどん黒い渦の中に落ちてゆく…


ヴゥ…自分のうめき声で目が覚める。まただ、何度目だろうか。同じ夢を見た。

あの事件の後、僕は現実を受け止められなくて、信じたくなくて、部屋に閉じこもった。

現実の世界は暗いとかじゃなく、黒かった。ただひたすらに怖かった。

いつからか黒が夢の中まで侵食してきた。無表情なその黒は無情なまでにどんどん自分のものにしていった。そして、夢の中まで苦しみで満ちた。

こうして、僕は閉じこもるのをやめた。寝ても起きてもそこには黒い世界しか広がっていないのだ。


テレビで10日後に流れた彼女のニュースは数分間だった。ほんの数分、ニュースにしては長いのだろう。しかし、たった数分だった。

彼女の人生の最後を伝えるのがこれほどまでに簡単なことだとは、僕には信じられなかった。

しかも、そのニュースの半分以上は事件の状況と、いまだに捕まらない犯人の事。

彼女を殺した強盗達に対して、怒りと憎しみにまかせて振り上げたこぶしは、ターゲットを見失い空中でさまよっていた。

誰かのせいにし、責めれば僕の心は少しばかりだが軽くなるだろう。


そして、僕は自分を責めるようになった。顔も名前も知らない強盗達に彼女は殺された。

しかし、本当にモモを殺したのは彼らだけなのだろうか。あの日、僕が家に居ればモモを守れたかも知れない。僕が鍵をかけ忘れていなければ…

僕も彼らの共犯だ。モモは僕に殺されたのだ。

振り上げた行き場のなくなったこぶしは自らに振り下りて来た。確かに自分自身を責めることは苦しいことだが、誰も責められない苦しみよりは少しばかりましだった。気が付くと、心の中まで黒が侵食してきて、黒で一杯になった。常に胸の中でぐるぐると重く黒が動き回り、胸の壁にぶつかっては不愉快な音を響かせる。

正直、死にたかった。だが、これが彼女を殺した償いなのだと思い、苦しみを背負って生きていくことにした。


10度目の夏を迎えた。

今、僕はまた実家に向かう電車の中にいる。車窓から見えるのは夏の太陽に照らされ輝く木々。

あの事件から10年、今年は夏の長期休暇を取ってきた。モモの命日で墓参りをするためだ。本当はモモを思い出してしまうのであまり帰りたくなかった。だが、それが僕に出来るモモへの唯一の贖罪だと、そう思ったのだ。それに、何かが変われるかもと。


実家に着くと郵便物が届いていた。白い大きな封筒、テープで口が塞がれていたためハサミで慎重に開けた。すると中から複数のかわいらしい封筒が束になって出てきた。

「えっ、」

その瞬間、僕の目は一番上の封筒に釘付けになった。封筒には死んだはずのモモの字で「たっくんへ」と書かれている。僕は急いで他の封筒の名前も見た。

「タッチへ」「マリへ」

これは僕とモモが学生の頃の仲間だ。すべてモモの字で書いてある。

あれ、まだ中に入ってる。

出してみるとそれは先ほどの四通と同じ封筒だった。

名前は…「剛」誰だ、見たことない名前だ。

モモの知り合いだろうか、きっとそうだろうモモの字で書かれている。

その封筒を置くと僕は自分の名前が書かれた封筒を手に取り中身を出した。

封筒の中身は1枚の薄紅色の便箋だった。

ああ、懐かしい。そこには、あの頃のモモの文字が並んでいた。


◆◇◆


たっくんへ


手紙なんて久しぶりだね。たっくんは元気? 私は元気だよ。


大人になった、たっくんは何をしてるのかな?


高校時代もいろいろな事があったね。高校1年生の時の私の誕生日にたっくんが言ってくれたこと、今でも覚えてるよ。


恋人になって、マリちゃんもタッチも祝ってくれて。あの時は恥ずかしかったけど、今になるといい思い出だね。みんなとお泊り会したこと、修学旅行のこと、東京で桃のスイーツを食べに行った時の事、他にもあふれるぐらい楽しいことがたくさんあったね。


この手紙を読んでる時期はいつかは分からないけど、今は桃が美味しい時期だから、マリちゃんとタッチを誘って、うちで採れた桃をみんな一緒に食べようね。


私は素直じゃないから、伝えられてないかもだけど。


私はたっくんの事が好き、大人になったたっくんのこともきっと好きになる。ちょっと恥ずかしいかも…。


これからもよろしくね!


モモより


◆◇◆


「そうだよな、モモ」

モモは仲の良いみんなの姿を見たいんだ。

その機会を作るためにこの手紙たちを僕に届けてくれたんだ。

ああ、またみんなと笑いあいたい。

しかし、僕が笑うのは良いことだろうか。許されることだろうか。

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