梱包材のプチプチを潰すようなお仕事
トンットンッ トトンッ
部屋の中では、何かを軽く叩くような音が不定期に聞こえる。
時には間隔を開けて、時には連続した音となったそれは、不規則なものでありながら、どことなくリズムを取っているようにも聞こえる。
音の発生源には一人の黒を纏った少女が黒い板のようなものを楽し気に叩いており、指がその板に触れる度に小さな破裂音が聞こえる。
「ローズ、どんな感じっきゅ?」
「もうちょっとで終わるー。ふふふ、産まれた事を後悔するがよい」
少女の名前はローズまたの名を魔法少女ブラックローズ。
悪を挫き、正義を貫く、ヒーロー・・・のはずである。
しかしながら、板を楽し気に叩きながら物騒な事を呟いているその姿は、正義よりも悪のほうが似合ってるだろう。
綺麗というよりも可愛いという表現が似合うその顔は、普段の勝気な目はより鋭く光り、薄いピンクの唇は三日月のように湾曲している。時折くすくすと笑い、歯を覗かせている様子は無邪気さの表れともとれるが、今この場面では、不気味さを増長させる要因の一つでしかない。
ローズが見つめ、指で遊んでいるその黒い板――魔法のタブレット、の画面には、自分の同族が順番に消えていく恐怖に震えて固まる、小さく丸く黒い生物、『ワンダラー』の姿があった。この場においては明らかな弱者である『ワンダラー』を楽し気に潰していく姿では、どちらが悪者なのか分かったものではない。
仲間が消えて最後の一匹となってしまった哀れな子羊の懇願するような仕草を無視して、魔法少女が無慈悲の鉄槌を下す。
指で軽く叩いた先には、最早何も残る者はなかった。
「ゆー、うぃーん!」
「予想の数十倍早く終わったっきゅね・・・。いくら小さくても『ワンダラー』には違いないから数日は掛かると見込んでたのに、いくらなんでも規格外すぎるっきゅ。休まずに続けても魔法力が枯渇する兆候が見えないし、やっぱりローズに魔法少女は天職っきゅ!」
「なんか次々に産まれてくる『ワンダラー』をタッチするだけだったから、音楽ゲームをやってる気分だったよ。これで、取り合えずは悪意は消滅したと思っていいの?」
「っきゅ。いずれはまた同じように悪意が溜まってしまうと思うけど、しばらくは問題ないっきゅ」
「でも、これって根本的な解決にならないよね。悪意は消すことができたけど、結局は魔法少女達の助けになれなさそうだし・・・」
『ワンダラー』の発生は事前に潰すことができたのでそういった意味では助けにはなるだろうが、魔法少女達がこれからも傷ついていくと考えると、同じヒーローとして憂鬱な気分にさせられる。
とはいえ、これ以上僕ができることはないのだろう。
こういった悪意を発信している人々を本当に消し飛ばすわけにもいかないし、魔が差してしまった程度の人だっているはずだ。
仮にああいった書き込み等を削除する術を持っていたとしても、人の記憶には残ってしまうものだ。
「全てが解決したわけじゃないけど、それでもローズのおかげでかなりの魔法少女が救われる結果となったっきゅ」
「それならいいんだけど」
「きちんとそこらへんも考えて魔法を構築したっきゅ。ローズは気にせず、また悪意が溜まったら消し飛ばして欲しいっきゅ」
「まぁ、気分は悪くなるけど難しい仕事じゃなくてよかったよ」
後は魔法少女達の心の強さが試されるのだろう。
『ワンダラー』によって変わってしまった世界は、ヒーローにとっても酷な世界のようだ。
――――――――
「飯田部長、これもう少し簡略化できないんですか・・・。この形式だとあまりにも時間がかかりすぎて焼け石に水ですよ・・・」
「無理だ。いくら魔法少女に関する情報が晒されていても、それを削除するには手順もルールもある。いつどこでどういった書き込みがあり、それは削除理由として妥当か、上が判断する。記録にも残さなきゃいかんし、書き込まれた場所へ申請もせんきゃならん。俺らにそこまでの権限は持たせられんだろう」
「そうはいってもですよ。誹謗中傷や根も葉もない噂、挙句、直接魔法少女へ恨み言を吐く人まで現れてるんですよ。国を守る魔法少女がこんな扱いされてるなんて、あまりにも酷すぎますよ・・・。ただでさえ、そういった事件性の薄い物には手出しできないのに、個人情報まで対処が遅れてしまったら、我々大人は信用されなくなってしまいます。魔法少女のメンタルケアも我々の仕事ですが、ここまで迂遠なやり方じゃ増える一方です!」
魔法少女委員会の本部では今日も激務に追われる人々で溢れていた。
人手不足から解消されることはなくても、やらなければならないことは待っていてくれない。
たくさんのトラブルに見舞われるこの委員会、その部長と主任を任されている2人の前にあるパソコンには、複数の匿名掲示板のページが開かれていた。
そこにはローズ達が見た様々な悪意の一部がピックアップされていた。
魔法少女へ対する悪意への対処。『ワンダラー』という怪物に対抗する術を持たない大人達が、魔法少女という子供を守るために出来ることの一つがそれである、そのはずである。
しかしながら成果は芳しくなく、何人もの魔法少女の住所や家族構成や入院している病院までもが晒されているにも関わらず、その一つ一つを対処しきるまでにはかなりの時間を必要としていた。
本来なら魔法少女に変身する前と変身する後で容姿が異なり、人々の認識に対しても別人と錯覚するような魔法が施されている。その精度は高く、変身前の状態では、知っていなければ誰がどの魔法少女なのかまったく当てることができない程だ、
だが、魔法少女は全員子供である。
自己顕示欲もあれば、自分が魔法少女であるということを晒す危険性も理解が薄く、変身する際、解除する際の警戒も足りない。
一度綻びが出てしまえば情報など溢れ出る水のように流れ落ちてしまい、実際にそうなってしまった結果が目の前のパソコンであり、これの問題解決を担当している沢田優子が頭を痛めている原因でもある。
「せめてこの書類だけでもなんとかなりませんか。一つ一つ書いて提出なんてしてたら日が沈みますよ」
「それも申請して改善する予定だ。だがな、結局そういった形式を改定するにも時間が掛かる。しばらくはこの状態が続くだろうよ」
「あれもこれもお役所仕事が過ぎませんか!?」
「お前はそのお役所に勤めてるんだろうが。愚痴ってても何も終わらん。諦めて口じゃなくて手を動かせ」
ぶつぶつと不満を漏らす沢田だが、手を動かさないと終わらないのは事実なので、そこからは黙って書類に書き入れていくことにする。
『魔法少女保護に関する承認申請書』と書かれたそれは、名前の通り、魔法少女となった子達を守るための行動を申請をするための書類だ。まだ出来立ての魔法少女委員会ではノウハウがなく、定まった対処などがしっかりとは確立されていないため、何かをする時に許可が必要な場合は初めにこの書類で申請することになっている。
魔法少女達の流出した個人情報を削除する為の申請もこの例外ではなく、沢田はパソコンと向き合いながら、呆れかえる程膨大な情報の山を虱潰しにするように申請書へ書き込んでいく。
気の遠くなるような作業に眩暈がしてきた頃、ふと何かが弾けるような音が聞こえたきがした。
あまりの疲れに幻聴が聞こえたのかと思った沢田だが、先ほどまで見つめていたディスプレイに違和感を感じる。そんなはずはないのに、まるで先ほどまで見ていた箇所が空白になったかのような、そんな違和感を。
疲れているのかもしれない。いや、かもしれないというのは謙遜が過ぎるが、流石に気のせいだろう。自分が削除してやりたいと思った言葉や画像が、目の前から消えたなどと。
自分が魔法少女なんて超人的存在になれた時にはそんな魔法が欲しい、なんて考えてる時点で疲れはピークに達している。しかし、いくら疲れていても仕事は進めなければいけない。
気を取り直してパソコンへと集中したとき、違和感では済まされない現象が起こっていた。
「なに・・・これ・・・!?」
今度は違和感ではなく、確実に起きている現象だ。表示されていた誹謗中傷などが次々と消えていった。消さなければいけない個人情報だけでなく、委員会では手出しができずどうすることもできなかった誹謗中傷まで、人の悪意と呼ばれるべきものが全て、消えていった。
その現象は自身のパソコンだけに限らず、同じような作業をしていた同僚からも、驚愕の声が漏れていた。
普通では有り得ない異常事態が確実に起きている。
違和感が確信に変わった今、行動を起こさねばならない。
沢田はデスクから立ち上がり椅子を跳ね飛ばすと、責任者である飯田部長へと報告をする。
「飯田部長!!・・・・・・えっと・・・わたしいま、何してたんでしたっけ・・・?」
「何言ってんだ沢田、お前その歳でもうボケが始まったのか?」
「失礼な!女性を歳の事で弄るなんてデリカシーがなさすぎますよ!」
「そう思われたくないなら仕事しろ。お前の仕事は・・・・・・お前さっきまで何してた?」
「部長までボケが始まったんじゃないですか?」
「馬鹿を言うな。俺は記憶力には自信があるんだ。それよりやることはいっぱいあるんだ。悩むまでもないだろ」
飯田がデスクからバインダーを取り出して沢田へ渡す。
「魔法少女達からのリクエストだ。読んでまとめておいてくれ」
「承知しました。それとわたしはボケてませんから!」
沢田が自分のデスクに戻り、バインダーの書類をまとめ始める。
何故か吹き飛んでいた椅子を戻して着席し、何の作業の形跡もないパソコンを操作し始めた時に、デスク回りが散乱していることに気づく。
『魔法少女保護に関する承認申請書』が何枚も置かれ、数枚が床に落ちていた。
「こんな枚数持ってきて何に使うつもりだったっけ・・・」
自身は本当にボケ始めてしまったのではないかと心配しながら、
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