死、血と氷

 それは、横たわっていた。


 

 ――どんな英雄もいつか死ぬ。


 

 死はいつも公平に訪れる。


 

 死んで、もはやその身の内を熱い血が流れることがなくなった英雄の身体は、二度と起き上がることはない。周囲の空気と同じくらい、冷え固まった身体の周りを、トヴェイス人影(※複数形の二本足の者、我々で言う人類の意)が取り巻いている。


「……我が北国の英雄アルケーンよ。死しても、我が国の守護神となれ」


 遺体が安置された石棺のすぐ傍らに立っている、身分の高そうな錦衣を着た人物が厳かに死者の耳元で呟いた。神官のシャルクは、その隣で、寒さのために硬くなり、赤茶けた手を震わせて立っていた。


 今日は手袋を着けられない。


――“死者”の還応のためには、生きている者の体温が感じられたほうがよい――


 そう言ったのは誰だったか。


 酒のために鈍くなった目で、彼は死者に覆い被さって言葉をかけている、王の周りを取り巻く蝋燭の、曇ったような光を眺めていた。


(ご苦労なことだ)


 今朝は、王の気紛れで、無駄な儀式のためにかなりの間立ちっぱなしだった。脚はかちかちだし、腰は痛い。帰ったら、またなにがしか引っ掻けて、暖かい思いをしたい。


 儀式のために用意された、重厚な造りの石棺に横たわっている死体を眺めながら、彼はそんなことを考えていた。


(ただの間抜けな死体だ)


 この儀式で、本当に何かが起こると思っているならそれは、間違っているとシャルクは思う。三日前、多くの者が死んでから、清めのため、多量の酒が葬儀に捧げられていた。


 神官として、葬儀に初めて出てから体験していることだが、酒は酒だし、死体はみんな死体だった。それで奇跡や癒しなど起こった試しはないし、遺体に費やされる酒の方が勿体無い。


 昨日、王が復活の儀式の決定を下した時、年嵩の神官団を始め、皆が反対した。それは当然のことだ。また一つ神の奇跡や伝承が実現不可能と証明されるだろうし、更なる酒が失われる。


 勿体無いことだ。


「石を」


 突然、王が起き上がった。


 どうやら、まだ続きをやるらしい。


 シャルクがぼんやりしたまま突っ立っていると、そばにいたもう一人の神官が、それを彼の手から引ったくった。その勢いで、分厚いクッションの上に鎮座した覆布が滑り落ちて、その下にあった紅い、あかい石がキラリと光った。

 

「石を!」


 王が叫んだ。


 そうだ、石を、ティンクトゥラを持っていたのは自分だった――シャルクがようやく気付いたときには、石は蝋燭の光に照らされ、とうに王の手に渡っていた。


 王を除いたこの中では、代々大神官の家柄たる、最も高貴な自分が石を持っているのは、当然のことだった。


 石棺の近くで王と石を渡す神官がやり取りをする度、重なった二人の身体の隙間から、キラリキラリと、紅い石が煌めく。


(それにしても寒いな)


 ティンクトゥラを引ったくった神官が、王の元から戻ってきて、一瞬咎めるようにシャルクを見たが、彼は気にしなかった。


(そういえば、石の色、この前の酒に似てるな、あの甘い果実の酒に)


 儀式台の端から、着飾った人影が次々登ってきて、石棺の周囲に新たな燭台を据えた。


 どうやら蝋燭を増やすらしい。


(まだ、続くのか)


 儀式は厳かに――少なくとも酔ったシャルクですらそう思うほどに進んでいる。


 吹き抜けの神殿の中は、柱が立ち並んでいて、寒風が吹き込み、それでちらつく蝋燭の炎が石棺と柱の影を不気味に照らし出していた。


「――――――!!」

「英雄を!英雄を!」


 王が古アンヌア語で叫ぶと、周りが唱和した。


――シャルクには死んだ男など、どうでもよい。


 もごもごと口を動かして、唱和したふりをしながら、彼はその光景を見ていた。


(しかし、寒いな)


 どうでもよいことだが、昼頃アンヌーン神の12点鐘、したたかに飲んだ勢いで、石棺の中身を罵ったことを思い出した。


 一杯引っ掻けて罵った相手の葬式に出るのは、何も珍しいことではない。王が、石を掲げて、また何かか叫んでいる。


決然とした表情を浮かべた王のその手には紅い――紅い結晶が輝いている。


「この石を!この石を!」


 石から反射した紅い光が王の手を染め、血が流れ落ちているように見えた。


 垂れ落ちたそのが気味の悪い色を死体の顔に添え、シャルクは頭の中で酒のことだけを考えた。

 

(果実酒、いも酒、粉酒)


 ただでさえ、うすら寒い中を一層の寒風が吹き込んで、蝋燭の半分くらいが消えた。


 シャルクが気づいたのはその時だった。


 最初は、なんのこともなかった。


 風がまた吹いて、神官たちの幾人かがよろめいて、ゆっくりと後退した。


 それから、蝋燭がちらつかなくなった。妙だ、と思うと、更に寒くなる。


 石棺の側に立つ、王の足が光っていた。いや、凍りついている。と見ると、自分の手にも霜が降りていた。


 たくさんの蝋燭の炎が消え、それなのに人影が増え――そして悲鳴が上がった。

 

 ――――陛下、陛下!お止め下さい!!


 放射状に周り始めた影が広がり、その中を踊っていた。


 シャルクも悲鳴を上げかけたが、口が開かない。


 囁き声が聞こえる。


 ――――――――――――――――――。


 凍りつき、白い目をした王が、霜の降りた手で何事もないかのように儀式台のナイフを取った。


 足も顔もほとんど全身凍っているのに―――開いたままの王の口から、王の声でない恐ろしい声音が響いた。

 

「大神アンヌーンの遺産である、この赤きティンクトゥラは、お前の血となり生となるだろう」

 

 ――私は、行かねばならないのです。


「さあ、ティンクトゥラよ。我が国を救い、死した英雄を甦らせよ!」


 ――止めて!どうか、止めて――!!

 

 王が死者の胸を切り開き、紅い塊を埋め込むとまばゆい光が、冷え込んだ室内に散った。
















 シャルクが目を覚ますと、神殿の中は惨憺たる有様だった。


 蝋燭は弾け飛び、儀式台は砕け、人々は倒れ伏していた。


 柱がひび割れ、血すらも凍るような寒さ、石棺は亀裂が――――。


 そして、シャルクの視界が白く曇った。瞬きすら出来ない。息ができない。


 崩れ落ちた石棺の側で、なにかが青く光っている。すべては凍った。凍ったのだ。









 


 そして、彼は起き上がった。


 その開いた瞳孔は冷たく燃え、見ていた。


 白く固まったシャルクを見ているのではない。

 

 『それ』の冷えた手が伸びて、立ったまま凍った傍らの王の頬に触れ、ゆっくりと撫でた。


 冷たい脈動と共に『不死者』は、寂しげに微笑した。







——————————————————

※はみだし小欄


 こんなところで注釈を語ると、雰囲気が崩れるのであまりやりたくないのですが、一応ツッコミを避けるため。


人影のところ、トヴェイスなどと書いていますが、古ノルド語っぽいなにか(数字の2くらいの意味から)です。


普通、二本足で歩いている我々で言う人類っぽい連中のことを、総称としてこの世界の人間は、それぞれの言語での二本(足)で歩く者などと呼んでいます。


ですので、それを表現したくて、あえてあのように書きました。


しかし、人という単語が出るたびにルビや注釈などを加えていては煩雑すぎるので、人々とか二人とかは普通に書いて、こういうのはたまに登場させるだけにします。


ちなみに、総称でない個別の呼び方もあります。


例えば、エルフでもアンヌアでもない連中(つまり我々人類のような人間)は、人間(テラン)とか人間(エアスリング)とか呼ばれます。


で、時には両種族の間にいるものという意味で、文章中では人間(上記のルビ振る時もある)と書かれるというわけです。

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