ふきょうの花

熊倉恋太郎

少年は強くなる

 四ツ倉歩響が教室に入ったとき、僕に向けられる目線はない。どれだけ不良にボコボコにされ、体に包帯を巻いていても、全くもって意識されることはない。


 その代わりだろうか。夜桜ほたるという少女は、学校にいる間中ずっと人に囲まれている。

天才と呼ばれる彼女は文と武の両方を難なくこなし、それをひけらかす事もなく、さらには人当たりがいいので、クラスの内外も関係なくファンがついているらしい。


 彼女が照れを隠すときに見せる笑顔は、魔性の魅力を持っていると話しているのを、どこかで聞いたことがある。


 その一方で僕は、勉強も運動も成績を下から数える方が、見つけるまでに時間がかからない。人付き合いはとても苦手で、友達と呼べるような存在はこの学校にいない。

 それに、何から何まで僕と彼女は逆だ。僕の髪は顔を覆い隠すように丸く伸びているが、彼女の髪は肩まである艶めいたストレートで、顔がよく見えるように顔の方だけ短く切り揃えてある。


 性別も男と女だし、身長だって、僕は他の男子よりも低くて、彼女は他の女子よりも高い。

 たぶん、僕の人生が彼女と交わることなんてないんだろうな。と、漠然と考えていた。




 今日も今日とて旧校舎の隅っこで、一人お昼ご飯を食べている。

すると、どこからか話し声が聞こえてくる。


 男っぽい声が多くて、焦っているような女の人の声もあるかな。


「変なことじゃないといいんだけどな……。それに巻き込まれたくないし」


 面倒ごとはイヤだ。


 僕はいつもより気持ち早くご飯を食べると、さっさとこの場を離れようと立ち上がった。


 そそくさと移動していた僕だったが、運悪く人が集まっている場所を通りそうになってしまった。

 今来た道を引き返そうかとしていると、この人たちの会話が聞こえてきてしまった。


「おい、夜桜。お前、俺たちの事を蔑むような目で見やがったよな。なんだ、勉強もできないようなクズは人じゃねぇとでも言いたいのか!」


 この声は、この学校でも特に凶暴として有名なヤンキー集団の声だ。それに目を付けられているのは、夜桜ほたるさんらしい。


 かわいそうだとは思う。けれど、僕には助けに行くことはできない。なぜなら、僕は弱いからだ。


「やめて、カバンの中を見ないで!」


 夜桜さんの叫ぶような声が、ここまで届いてくる。よっぽど慌てているのか、普段の彼女からは聞いたこともないような大声だ。


「へぇ、よっぽど見られたくないものがあるのか。どれどれ……」


「離して! 手を離してよ! 貴方たち、こんな事をしてて楽しいの!?」


「ああ、チョー楽しいぞ、優等生イジメってやつは」


 興味本位で覗き見をするだなんて、悪い事だとは分かっているが、校舎の陰から様子を窺ってしまう。

ヤンキーの一人が夜桜さんのカバンをひっくり返して、中身を地面にぶちまけた。


 この場から見ているだけでは、何か怪しいものが入っている感じはしない。

夜桜さんは一体、何を見られたくないんだろう……?


「ん? なんだこのボロッボロのノート」


「だめ! 返して! それだけはダメ!」


「へえ、これかぁ! お前の見られたくないモノ!」


 他の物はとても綺麗で、丁寧に使われているのが分かるのに、一つだけ異質なノート。


 楽しそうに笑っているヤンキーたちは、全くためらうことなくそのノートを開いた。


「これ、お前が書いた小説か? ……へぇー、小学生っぽい純愛だな。おい、お前らも見てみろよ!」


 夜桜さんが、羞恥に耐えきれず泣いている側で、ヤンキーたちはそのノートを回し読みしている。時折り「ギャハハハ!」という笑い声や「ほたるちゃん、かわいいね〜」と馬鹿にしているような声が聞こえてくる。


「アニキ、これ以外に面白そうなモンは入ってなさそうです!」


 カバンを何度も上下に振りながら、下っ端口調で誰かが言っている。

夜桜さんの弱みを握ったヤンキーの親玉的存在が、手下たちに指示している。今回は荷物だけでなく、夜桜さん本人にターゲットを定めたようだ。全員、下卑た笑みを浮かべている。


 これから始まる事を目撃してしまったら、今度は僕が彼らに目を付けられてしまうかもしれない。やっぱりここから離れよう。


 もう一度校舎の裏に隠れたとき、僕の耳に、やけに鮮明に声が聞こえてきた。


「誰かぁ、たすけてよぉ。イヤだ、来ないで、こっちに来ないで……」


 夜桜さんの泣いている声だ。その小さな声が、僕にはどうしても無視しきれなかった。


「いや、大丈夫。きっと僕以外の誰かが、この場に助けに来てくれるさ」


 自分に言い聞かせるように、そう呟いてみる。


僕は教室に帰ってぬくぬくしたいと思っているのに、その考えに反して足は動いてくれない。


 僕が、彼らを怖がっているだけじゃなくて、彼女をどうにか助けたい、と思っているから足が動かないんだと気づいた。


「夜桜さんにはファンクラブもあるくらいだから、一人くらい近くにいるはず。そう。だから僕が行かなくても大丈夫……」


 しかし、彼女の泣き声は止まらない。啜り泣くような声だが、僕の耳は正確に拾ってしまう。


 誰かがもういるはず。そのはずだ。


 僕が夜桜さんのいる方を見ると、




 ヒーローはいなかった。




***


「ま、待て! 夜桜さんをいじめるな!」


 泣いている私の方に向かって、叫んでくれる声が聞こえてくる。


 私を囲んでいた不良たちが、一斉に声のした方を見る。それに釣られるようにして、私も同じ方向を見ると、そこには同じクラスの四ツ倉歩響くんが立っていた。


「やるなら、やるなら僕にしろ! 夜桜さんから手を離せ!」


 彼は、私を守るために声を張ってくれている。


 私の周りにいる不良たちが、目を見合わせたのが分かった。

 次の瞬間、「ギャハハハハ!」と笑い始める。


「英雄気取りの自殺志願者かよ! にしても、ヒョロッちくて弱そうな見た目してるな、お前。望み通り、お前から先にやってやるよ!」


 不良たちは、私を掴んでいる人とリーダー除いた全員で、歩響くんに向かっていく。それに対して、歩響くんはたった一人で戦いを挑んでいる。


「私はどうなってもいいから! 歩響くんは巻き込まないで!」と、そう叫びたかったが、声が出ない。


泣いていて呼吸も整わない私は、ただ見ていることしかできなかった。


 歩響くんの顔に、不良たちの中でも特に強そうな一人の拳が当たった。相当な強さだったのだろう。彼は倒れ込み、痛そうにうめいている。


「思った以上に弱かったな。さあ、こっからがお楽しみだ」


 不良たちが、再び私の周りを取り囲む。勇気を振り絞ってくれた歩響くんは倒れてしまったし、もう私を守ってくれるような人はいないだろう。


 私が覚悟を決めたその時、もう一度、歩響くんの声が聞こえてきた。


「ぼ、僕が相手だ。まだ僕は立ち上がれるぞ……!」


 なんと、あれだけ酷くやられてしまったはずの歩響くんは、また私を守るために立ち上がってくれた。


「はぁ? んだよ、仕留め損なってんじゃねぇか。おい! あいつもっぺんボコしとけ」


 不良のリーダーがそうやって命令して、歩響くんは殴られた。

 けれど、彼は何回でも立ち上がった。その度に殴られ、体に怪我を増やしている。


 もう何度目になるかも分からないくらいにそれを繰り返した時、リーダーが口から泡を飛ばしながら言った。


「んだよコイツ、なんで全然折れねぇんだよ! なんだコイツ、バケモンかよ!」


 何度倒れても立ち上がる歩響くんに恐れをなしたのか、私も解放して逃げていく不良たち。


 それを見て安堵したのか、背中から地面に倒れ込む歩響くん。


 私は倒れている歩響くんに近づくと、彼の方から先に口を開いた。


「ゴメン、全部、聞いちゃった……」


たぶん、あのノートのことを言っているんだろう。でもそんなことは今はいい。どうしても伝えておかなきゃいけないことがあるから。


「ううん、気にしないで。私も、声が出せなくなっちゃってごめんね。それと、ありがとう。私のことを守ってくれて」


 歩響くんの顔に私の涙が落ちてしまった。恐怖感から解放されて安心したからか、さっきよりも涙が温かい気がする。


 嗚咽が漏れそうになるが、それでもなんとか笑って、言葉にした。


「歩響くん、とってもカッコよかったよ」


 そう伝えた後の彼の顔は、少し嬉しそうに笑っている気がした。


***


 四ツ倉歩響が教室に入ったとき、僕に向けられる目線はない。どれだけ不良にボコボコにされ、体に包帯を巻いていても、全くもって意識されることはない。


 はずだったのに。


「おはよう、歩響くん!」


 そうやって僕に声をかけてきたのは、夜桜ほたるさんだった。


 何事もなさげに、普通のクラスメイトに挨拶するように声をかけてくれた彼女の顔は、照れを隠すように笑っているようにも見えた。

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ふきょうの花 熊倉恋太郎 @kumakoi0606

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