第12話 計画延期の二十二年

さて、「最後の審判」を解説する前に一つ質問をしよう。

その昔、一世を風靡した予言があった。


ノストラダムスの大予言


「1997年7の月、恐怖の大王が来るだろう。」


エドガー・ケーシーのリーディング


「1998年日本の重要な部分は海に沈まなければならない。」


どちらも三大予言者による、世紀末を予言したものだ。

さて、「はたして上記の予言は外れたのか?」、それがここでの質問だ。


ちなみに、三大予言者とはノストラダムス、エドガー・ケーシー、ジーン・ディクソンの三名である。

なおこの三名だが、共にユダヤ系三宗教の流れを汲んでいる。


ところで予言の体系には、他にも様々存在する。


その内の一つが、「日本の近代予言体系」である。


日本の近代予言体系の説明や詳細については、助長になり過ぎるので割愛するが、設計の予言者はこの「日本の近代予言体系」に属する。


では一体、この日本近代予言体系が何の為に現れたのか。


その理由は、西洋の予言体系のアンチテーゼである。


すいません、ちょっと気取った物言いが過ぎました。

分かり難いので言い直します。


西洋の予言体系が示す世紀末、すなわち「最後の審判」が、予定通り現実化すると、被害が甚大になり過ぎる為、できるだけ被害を少なくする。


すなわち、西洋流の「最後の審判」では、ハード・ランディングになる恐れがあるので、できるだけ穏便に、新しい世界に向けてソフト・ランディングさせる目的で、近代日本の予言体系が現れたと言って、当たらずと言えども遠からずである。


それでは具体的に、どうやって新しい世界に向けてソフト・ランディングさせるのか、それがこの表題にある「計画の延期」だ。

計画を延期する事で、少しでも世界をましな方向に導き、出来る限り犠牲者を少なくする。


設計の予言者が狙ったのは、計画の延期による被害の縮小である。

とりあえず、それを示す和歌が残っているので、上の句だけ紹介しておこう。


「大神の 仕組の暫(しば)し 延びぬれば」


「世の終わり 延ばし延ばして 一人だも」


ただし、これでは計画の延期とその目的までは分かるが、具体的な年数までは分からない。


唯一、和歌の上の句の「延ばし延ばして」から、数字を重ねたものではないかとの、推測が出来る程度だ。


では一体、表題の「二十二年」は何処から計算したのか。


それが設計の予言者が残した、百年後の未来を描いたと言われる未来記、その序文からである。

そこには次のような内容の事が記されている。


「1926年に未来を見た。今まで幾度書こうと思ったが、どうも時期尚早のような気がして今日に至ったのである。」


実際に未来記が執筆されたのが1948年、この間に22年のタイムラグが存在する。


これが延期された計画の年代を特定する、一つ目のピースである。


また、設計の予言者は別の所でも延期期間を特定できる予言を残している。


「昨日という日は丁度、建国祭といえば日本ですが、世界の建国祭、世界の紀元節みたいなものです。ですから本当言うと、一九五三年はもう終わりになって、今年は新紀元の元年になるわけです。」


執筆されたのが1953年6月16日。


さてここからが数字のマジックだ。


1953年に70年足すと2023年。


そこから「延期された二十二年」を引くと2001年。


まさに21世紀の新紀元の年となる。


これが計画延期の年代を特定する二つ目のピース。


その他のピースに、ユダヤ系三宗教にある予言「東方の光」にまつわるものもあるが、助長になるので後に譲ることとし、次は22年遅れで訪れている世紀末、「真説 世紀末」に話題を移そう。

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