天使の相談室

双六トウジ

ラブアンドライク



「あたし、誰かを好きになるってことが、よく分かんないんだ」

 付き合って半年になる女の子にそんなことを言われた。

 映画からの帰り道だった。

 その日見たのはオーソドックスな恋愛映画だ。突然の恋煩い、三角関係、悩みの解決、そしてハッピーエンド。ありきたりでつまらなかったけど、彼女と見るってんなら刺激は少なめのがいいだろうと思って選んだ映画だった。

 俺は彼女が言っていることの意味がよく分からなかったから、内心焦った。でもそれを隠してこう返した。

「え、ええと、そうなんだ~。う、ん? ……じゃ、じゃあ俺のこと、好きじゃないって、こと?」

「……分かんない」

 彼女はそっぽを向いて俺から顔を見えなくした。

 分かんないって、なんだよ。結構長い時を一緒にすごしたじゃんか。

「き、嫌いになったの?」

「ううん、違う」

「じゃ、じゃあ好きってことなんじゃない?」

「分からないの、男の人を好きって感情が」

「あ、え、じゃあ女の人が…」

「そうじゃなくて、貴方が私を好きって思ってるのが、私は思えない、の。急にごめんなさい。でも隠したままはできなかった」

 俺はこのまま、彼女を家まで送った。

 何て言えばいいか分からなかったから、無言だった。

 何か声をかければ良かった。でも、何も思いつかなかった。

 え、だって、だってさ。俺はすげー彼女のこと好きなのに。

 あ、あの子は、そうじゃなかったんだ……!


 ショックを受けた俺はその日以来彼女に連絡を取ることができなかった。

 大学に行く以外、外にも出ることができなかった。

 いつもだったらあの子と一緒に映画とかカラオケとかで休日を過ごすのに。


 大学から帰る、一人の道。

 俺のアパートまでは寂れた商店街がある。陰険な雰囲気を持ちつつ並んでいるから、一人だと心細い。

 ちょっと前は横に彼女がいて、全然寂しくなかったのに。

 そんなことを考えながら、目線を下げて歩いていた。

 すると、ふと俺の鼻にコーヒーのいい匂いが飛び込んできた。

 目線をあげて匂いの出所を見ると、「フリークス」という看板が掛けられたカフェが見えた。

 ん? こんなところにカフェなんてあったかな。新しい店? シャッターが下ろされた所が多いこの場所に、新参者なんかいるのか?

 俺は何となく気になって、カフェの扉を開けた。




「たしか地上じゃアセクシャルと呼ぶんだったかな。たまにいるんだ、『恋愛感情』を搭載されていない人間」

 頭の上に丸い蛍光灯が浮いている奴が、目の前にいた。白いスーツを着込んで優雅にコーヒーを飲んでいる。男か女か見かけだけでは判別ができないけど、声が低かったから多分男だ。

 今、俺はカフェの席に座りながらそいつに恋愛相談をしている。彼女が俺を好きじゃないってことを言ったんだ。

 何故そうなったのかが、記憶からすっぱり抜けているが。

「人間設定課、ってのが天使の仕事にあるんだ。高位の天使しかできないから、僕はやったことないんだけど」

「人間、設定?」

「うん。たとえば、君は映画が好き。歌うのも好き。だろ?」

「あ、ああうん、そうだ」

「それも設定されている」

「……運命ってこと?」

「運命とは違うかな。運命は神様しか知らない。天使はキャラクターの設定を作っているだけで、キャラクターがどう動くかという物語は脚本家が作っている」

「きゃ、キャラクター」

「うんそう。で、多分君の恋人は『恋愛感情がない』という設定なんだ」

「……な、何でそういう風に天使は作ったんだ? 誰かを愛する気持ちがないって、悲しいじゃないか」

「人間は完璧にしてはいけないとの御上からのお達しだ。仕方ないよ」

「……そんなのって、あるかよ」

「コーヒー冷めるよ。奢ってあげたんだからちゃんと飲んでよね」

「あ、ああ」

 俺は目の前に置かれたコーヒーカップを持ち上げて飲んだ。

 お、うまい。

 ……こんなにうまいなら、彼女を連れて行きたかったな。

「聞いた話だけど、人間の欠陥を天使の専門用語で不規則イレギュラーと呼ぶそうだよ」

「イレギュラー……何でそんなの、神様はつけるんだろう」

「面白いからじゃない? 完璧超人の話には深みがないらしいし」

「完璧超人か。一人ぐらいこの世にはいないのか?」

「友達に聞いた話だけど、前に誰とも仲良くなれるし、運動も芸術も何でもできる人に会ったことがあるんだって。

 でも、その人は友達や恋人を持つことができなかった。周りの人はみんなその人に劣等感を感じてしまって、距離を置かれてしまったんだって。それも結構きついもんだね」

 へぇ、完璧も悩みがあるんだな。

「ま、完璧もある意味イレギュラーってことかな。君の恋人のそれと対して変わらないよ、気にすることない」

「……なあ、好きって気持ちが分からないって、どんな感じだろう。俺は彼女と話がしたいし手をつなぎたいしデートしたいし、エッチもしたい。でも彼女はそうは思わないんだろ?」

「それは彼女に聞かないと。僕だって完璧じゃないんだから。でも、少なくとも自分は恋愛が分からない、って彼女が君に打ち明けたのは、君を信頼してるからじゃないかな。あるいは、同じ気持ちになれないことに心を痛めている、とか」

「…………なるほど、そうか」

「そもそも、愛には二種類あるのさ。業火のごとく燃え上がる愛、ラブと弱火のごとくじっくりことこと暖める愛、ライク。人間は繁殖のために前者の愛を好むようになっているけれど、後者も立派な愛だよ。人間は少しそれを誤解しやすい。もしかしたら、彼女もそこらへんが分からないのかもね」

「ラブとライク……」

「ところで、君はどうなのかな。アセクシャルってのは、永遠に恋愛感情を持たないようになってるんだけど、君はそれでもいいの?」

「……」

 少し考えてみたけれど、彼女はラブが分からない、というのが分からなかった。今まで付き合ってたのはなんだったんだろうか。

 でも、そういう風にできているのか。

 そういう風に設計されているのか。

 俺が映画が好きなように設計されて、変えられないように。

 彼女を変えることはできないんだ。

「理解はできない、すごいできない。……けど、納得は一応した」

「ふぅん。ま、君も完璧超人じゃないんだ。自分の心を無視してまでお付き合いを続けることはないよ。彼女も、君が苦しむのは望んではいないだろうし」

 目の前の相談相手は、頭の上の蛍光灯をピカピカと光らせて最後にこう言った。

「そんでこれがファイナル・ワンポイント・アドバイス。今後彼女とどういう関係になるにしろ、一緒に映画館に行くときは安直に恋愛映画にしよう、なんて考えは捨てなさい」


 映画からの帰り道。

「な、なあ。次、このヒーロー映画とかどうかな。ネットで面白いって話題なんだ」

「ああ、それ私も気になってた! うん、じゃあ今度それにしよ!」

 ああ、よかった。次もまた一緒に遊べる。

 しかし、彼女が本当はアクション映画のほうが好きだったなんて、知らなかったな。今まで好きじゃない映画をさんざん見させてしまった。こんなことならもっと早く話し合えばよかった。

 多分、きっと他にも知らないことはあるだろう。でも、俺は彼女が好きだ。だから知りたい。例え彼女が俺を好きじゃなくたって。


 うまく言えないけど、彼女の感情の中の好きで、俺はできれば上になりたい。映画を共に見るなら俺がいいなって思って欲しい。

 それが俺のラブ。



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