青東風

朝凪千代

第1話 赤の話

 「じゃあ、テストを返すので、出席番号順に取りに来てください。今回は凄かったぞ」

先生が、怒っているのか、喜んでいるのか、どちらとも言えない声で言った。顔は真顔だった。

 教室がざわめく。

  

  俺、今回、自信あるんだよね。

  私ヤバい。平均あるかな。

  すみれちゃんのヤバイは信用できないよ。

  それな。お前どうせ全部○○点台だろ。

  そんなことないって。


 この時間が一番ドキドキする。心臓がキュッと締め付けられる感じが苦手だ。受けたテストのうち、まだ返ってきてないのは数学だけだった。今回の数学は結構自信がある。てか数学でとらないと、人生終わる。他の教科がそれほど良くなかった。つまり、悪かった。もし、このままいったら、親の雷が落ちる。そして塾の授業が増える。今の倍に。ただでさえ部活が大会前で忙しいのに。今より忙しくなれば、私はきっと過労死してしまう。もう脳がキャパオーバー寸前だ。

「次ー、瀬野ー。おーい、瀬野ー」

あっ。私じゃん。

 返される時に見た先生の顔はまだ真顔だった。

 席に着く。心臓が爆発しそうだ。テストが返却された人たちの悲鳴が遠くに聞こえる。よし。見るか。「瀬野せの 陽菜ひな」と角ばった下手くそな字の横に書かれた、赤色のそれを覗く。

               ※

 「ひなちゃん、どうしたの。お昼行こうよ」

昼休み、いつも食堂に行くグループの一人、結奈ゆなが声をかけてきた。

「今日はパス。食欲なくて」

我ながら下手くそであろう笑顔をつくり結奈たちの誘いを断る。

「大丈夫? 顔色悪いよ。何かあったの?」

「全然平気。たぶん、夏バテかな」

「そう? 気をつけてね」

「うん。ありがと」

結奈たちが教室から出て行くのを確認して机に突っ伏し、私は暗闇に落ちた。 

 どうしよう。さっきの数学、すごい点数だった。この世の物とは思えなかった。ヤバい。平均はもちろんなかったし、桁が……。どうしよう、どうしよう、頑張ったつもりだったんだけど。手応えもあった。どんなに部活が遅く終わったって予習と復習はしてたし、授業もちゃんと聞いてたつもりだった。なのに……。

 しかもいつも授業中爆睡してるアイツは嬉しそうな顔をしてテストを受けとっていた。良かったんだろうな、きっと。なんでアイツが良くて私が悪いんだよ。なんで、なんで……。

               ※

 いつの間にか私は寝ていたようだった。教室には誰もいない。今日は雲ひとつない晴天。みんな外でお弁当でも食べてるのだろう。今更、食堂に行こうなんて思えない。

 それにしても静かだ。私だけ世界から切り離されたように。蝉が好き放題鳴いているはずだけど、それすらも聞こえない。

 コンコンコン

誰もいないはずの教室に突然、謎の音が響いた。

「こんにちは、お嬢さん。今日も暑いですねぇ」

透き通った、しかしよく通る声だった。驚いて声のした方を見ると、窓の外から男が手を振っている。 

 えっ……。目を見開く。何が起きてるの?

 一度瞬きをすると男が教室に入っていた。

 いつか、テレビで見た、マジシャンのような格好をしている。この炎天下の中、黒の背広に赤のネクタイ、白の手袋、そして漆黒のマント。髪の毛は燃えるような赤色だった。顔にうっすらと笑みを浮かべている。

 誰? ヤバいやつだ。先生に言わないと。こんな変人見たことない。しかもコイツお嬢さんとか言った? 怖っ。

「変質者とか思わないでねぇ。よく言われるけど。これも仕事だから。それよりさぁ、君、何か悩み事ない? 例えば……、成績とか」

…………。なんで知ってんの。声をあげなくちゃ、先生を呼ばなくちゃ、そう思っているのに体が動かない。足が地面に縫いつけられてしまった。

 謎の男が薄気味悪い笑顔を浮かべる。

「図星かな? そんな君におすすめした───」

「あんた誰」

自分のものとは思えないほど、低く冷たい声だった。

「えぇ、怒ってる? そんなに睨まないでおくれよ。ボクはダエモン株式会社の者だよ。良かったら名刺いる?」

ダエモン株式会社? 聞いた事がない。そんなの信じられる訳ないだろう。

「信じてないだろうけど、ほんとにあるんだよねぇ。それよりさ、成績で困ってるんでしょ? だったら、こんなのどうかな」

コイツ、人の心を読めるのかなと本気で思い始めた時だった。ポン、と気の抜ける音が唐突に鳴り、アイツの手の上に何かが落ちた。

「エクラタンっていうネックレスだよ。これを身につけているだけでテストで高得点が取れるばかりか、暗記が得意になるし、運動神経も良くなる。もう何にも苦労なんてしなくても良いし、努力と全く関係のない世界にいられる。つまり、天才になれる。どう? 三ヶ月だけでもレンタルしてみない?」

「テストで高得点……」

「そう。しかも努力なしだよ」

男が囁く。という事はもう勉強しなくても良いって事だよね。もしそうなら部活に専念できるし、自由な時間も増える。もう塾にも行かなくて良いんじゃないかな。なんだか頭がぼやっとしてきた。

「何円?」

「お金なんて取らないよ。ただ、三ヶ月後には返して欲しいんだ。きっかり三ヶ月後だよ」

「見返りとかないの? ほんとにそれだけ?」

ああ、意識が朦朧としてきた。頭の中に靄がかかる。

「もちろん。だけどね、期限を一秒でもすぎると───」

なんて? なんて言ったの? ダメだ。視界が霞むし、声も遠くに聞こえる。

 そういえば、ここ三階なんだけど。あいつ最初、グラウンド側の窓の外にいたよね。

               ※

「ひなちゃん、ひなちゃん、」

え。頭を上げると結奈の心配そうな顔があった。

「ごめん。私、寝てた?」

「うん、ぐっすり。もう五時間目始まるよ」

「うわ、起こしてくれてありがとう」

「いえいえー」

 五時間目は古典だった。

 あれは夢だったのか。不思議な夢だった。成績が上がるとかなんとか。そんな旨い話、ある訳ないじゃん。ある訳ないけど……。あって欲しいと思わずにはいられない。

 チャリ

 金属が擦れる音がした。見ると筆箱の中にネックレスが入っている。

 月の形をした銀色のペンダントトップにはダイヤモンドが散りばめられている。窓から差し込む太陽の光に照らされ、輝くネックレス。美しいだけではない、妖しさ。もちろん、私の物ではない。

 これは、もしかして、いや、もしかしなくても、アイツが持っていたネックレスなのでは……。って事は私、頭良くなるんじゃない? 勉強しなくても───。

「それじゃあ、単語テストするよー。勉強してきたよねー」

ナイス! ちょうど今日の単語テストは自信なしだった。このネックレスが本物かどうか試すチャンスだ。

              ※

 あれからというもの私は勉強をしなくなった。テスト勉強なんてのもしない。近頃、家でシャーペンを握ってない。塾もやめた。行かなくても点数は取れるし。その分、部活の朝練にも参加出来るようになった。この前は憧れの颯空そら先輩に褒められた。もう、何もかもが輝いていた。

 幸せなことが一つ起こると連鎖するようにまた幸せなことが起こる。こんなに、恵まれちゃっても良いの? 

 ただ、一つ問題があった。

 今日が約束の三ヶ月後の日になるのだ。

 十月も終わり、風が冬の訪れを告げている。

 今日は部活の子と裏庭でお弁当を食べる約束をしてたのに一向に来ない。誰もいない裏庭は少し不気味だった。

 私はこのネックレスを手放さなければならない。つまり、私はこの輝く憧れの生活からおさらばしなければならない。

 いや、もしかしたら今はレンタル期間で、お金を払えば貰えるのかもしれない。それに、返す方法も教わってないし。一度、「ダエモン株式会社」と調べてみたけど、マイナーな会社なのかでてこなかった。失くしたと言って返さないのもアリだな。

「もしもし、お嬢さん。お久しぶりですね」

突然背後から声をかけられる。驚いて振り向くと、三ヶ月前とあまり変わらないあの格好でアイツがいた。ただ、ネクタイが黒色になっていた。そして前より笑顔が不気味だった。

「どう? 気に入ってもらえた?」

「はい。それなりに。そこでひとつ相談なんですけど、コレ、売ってもらえませんか」

太陽に雲がかかったのか周りが薄暗くなる。アイツが頭を下げる。顔が見えない。

「それは、できないねぇ。だって君、」

どこからか薄気味悪いキシキシとした笑い声が聞こえる。声の主がアイツだと気づくまでそう時間はかからなかった。

「なっ、なんですか」

アイツが顔をあげる。真っ赤な唇をあげて笑っていた。周りが夜のように暗くなっていく。

「だって君、三ヶ月過ぎちゃったもんねぇ。もう期限は終わっているんだよ。残念でした」

「はぁ? 今日がキッカリ三ヶ月後でしょうがっ」

「あれぇ、説明しなかったかなぁ。悪魔の世界でいう三ヶ月は人間でいう一週間なんだよ」

「ちょっと待って。悪魔ってなに? あなた何者? それに、そんな話聞いてない」

「言ったよねぇ。僕は悪魔だって。まぁ、君、寝てたけど。そのネックレスは僕の分身で、いつも君を監視してるんだよ。そして期限が過ぎたので、君は消されます」

アイツが微笑む。

 なにそれ。聞いてない。そんなの知らない。逃げ出したい、どこかへ行ってしまいたい。なのに、まただ。足が動かない。なんでなんでなんで……。

「逃げないでねぇ。ま、逃げられないだろうけど。コロスと言っても痛くもなんともなくんだよ。幸せだよねぇ」

「なにが幸せだっ。嫌だ。死にたくない。なんでこんな事になるんだよ。なんでいつも私なの?」

もう自分で自分がなにを言ってるのか分からなくなってきた。目からポロポロ涙が溢れる。

「依頼だし仕方ないよ。それに、」

依頼? 誰かが頼んだの? 誰が頼んだの? 許さない、許さない、ゆるさない、ユルサナイ。

「君が悪いからでしょう。自分に甘えてるんだよ。いつも人を妬んで。人の努力も知らないくせに。しかも君、いじめをしてるよね? ねぇ?」

意味ありげな笑顔が私に向けられる。涙がとまった。

「してない」

「あっそ。ま、良いけど。少し前、ここの男子生徒が飛び降り自殺したよね。君と同じ部活の子なんでしょ? 人に恨まれるのは恐ろしいよ。恋愛関係は特に。あっ、そろそろだ」

アイツが濃紺の空を見上げた。私もつられて見上げる。


 深い暗闇の中に、空から一筋の光が差し込む。ゆっくりと、しかし確実にその光は顔面蒼白の、ある少女に向かって伸びていった。何か叫んでいるその少女は光に触れた途端、姿を消した。どこにも彼女の姿はない。近くにいたマジシャン風の男が伸びをした。そして、パンッと手を合わせ、満面の笑みを浮かべて言った。

「お仕事、終わり‼︎」

 そして、消えた。

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