第2話 教師に求められるもの

ずいぶん前のことになりますが、「でもしか教師」という言葉がありました。

「教師にでもなるか」「教師にしかなれない」という安易とも思えるような動機で、教師を目指していることへの批判がそんな表現を作ったのでしょう。


皮肉とも思えるそんな言葉をしばしば浴びせかけられる中で、私は学生時代を過ごしていました。それでも教師を目指そうとしていた先輩は、「成績がいい人ではなく、子どもが好きな人が教師になってほしい」と常々こぼしていました。


もちろん教師としての知識や技能は必要ですが、それ以上に、子どもが好きで子どものために頑張ろうとする人が教師になってほしいという思いに共感したのを覚えています。


さて、私は同じ頃、ドイツを中心に活躍した神智学者であり教育学者でもあったR.シュタイナーと出会いました。実のところ、私の教師人生は、彼の教育観を抜きにしては語れません。私は彼の考え方に出会い、「でもしか教師」という言葉を返上して、自ら教師を目指そうと思ったからです。


これまでの長い教師人生は、シュタイナー教育を実践してきたというのではありませんが、シュタイナーが子どもたちに寄せた愛情を見習ってきたということに尽きます。


座右の銘としてきたシュタイナーの言葉の一部を、皆さんにもご紹介したいと思います。彼は、求められる教師像について多くの示唆を残してくれています。

 


「純粋に子どもを観察すること。そして、自分の心を平静に保ち、子どもに対して心を開くこと。それによって、どのような教育が必要かということを子どもが教えてくれる。


子どもから学ぶことによって自分を高めていく仕事であることに感謝する。


子どもに対して強い責任感をもち、ひとつひとつの判断に勇気をもつ。


ときに熱意を丸出しにするような言動をとることが大切。


愛をもって関わる。そうすれば必ず、全ての子どもたちと心の通路で繋がり合うことができる。


教師が若干の概念を振り回して教育したと思い込むようなことがあってはならない。子どもに対して鈍感であったり、椅子に座りっぱなしで立ち上がるのを億劫がったり、動きたがらなかったりすれば、教育的な効果を上げることはできない」


 (R.シュタイナー著 「治療教育講義」「オックスフォード教育講座」などより)


これらの言葉に触れるとき、いつも背中を押されるような気持ちになります。何年経っても、教師はこれらの言葉に戻ってこなければならないと思うのです。


皆さんもぜひ、自分を支えてくれる教えに出会い、それを心の底に据えて励んでいってほしいと思います。

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