第27話:クッキー屋の社長、パリで記憶喪失のフリをする
日向さんから融資してもらった10億のおかげで、“ichigo”を世界20各国で販売できるようになり、海外支社や海外生産工場も立ち上げた。
出て行く額も多かったが、それ以上に入ってくる額の方が多かった。
感謝の気持ちを込めて、銀行で融資を受けた場合の金利を上乗せして返済した。
「たった2年で返済されるとは。さすがに驚いた」
「お力添えいただいたおかげです。本当にありがとうございました」
日向さんは口も出さないと言ったが、海外の取引先を紹介してくれたり、商談にも同席してくれた。
流暢な英語と巧みな会話で商談を進める様子を隣で見て、これが本物のビジネスマンだと惚れ惚れした。
この人も男が惚れる男だ。
「次は何を?」
それはもう、決まってる。
「人探しです」
やるべきことはやった。
やっとこれで会いに行ける。
デザインの打合せに来ていた江里花に聞く。
「苺の居場所を教えてくれるか?」
ラフ画を描いていた手が止まる。
「条件はクリアしたぞ」
国内がダメになって海外に逃げたが、逆輸入という形で“ichigo”の名前は国内にも浸透した。
「そうね。たしかに。教えないとダメね」
江里花はメモ用紙にサラサラと住所を書いた。
Paris?
パリにいるのか。
「よく国を変えるから、行くなら早めにね」
いつも引っ越した後になって連絡が来るらしい。
一か所に留まる期間は短く、訪れる国に規則性はないそうだ。
規模のデカイ放浪だ。
あいつらしい。
急いで一週間ほどフランスへ旅立つ手筈を整えた。
組織も人も十分育った今、オレがいなくても会社は回る。
タクシーで羽田空港へ向かい、パリ直行便に乗り込む。
パリまではたったの13時間。
あの日から7年。
あいつは24,5歳になったのか。
そりゃあ、オレも年を取るはずだ。
会えたら、まず何て言おう。
久しぶり?元気だったか?
それとも……。
この日を7年間、ずっと待っていた。
シャルル・ド・ゴール国際空港でタクシーを拾い、荷物を預けるために宿泊するホテルへ向かう。
仕事で何度も来ているパリが、今日はまったく違う街に見える。
このどこかで、あいつは暮らしている。
ここは、あいつが暮らす街なんだ。
ホテルに荷物を預けて外に出る。
スマホも財布も部屋に忘れたが、取りに戻る時間がもったいなかった。
地図がなくても、あの場所への行き方は分かっている。
記憶を頼りに街を歩く。
通りかかった広場ではマルシェが開催されていた。
多くの店で、真っ赤な苺が山積みになっている。
パリは今、苺が旬を迎えているらしい。
苺から目を離して、顔を前に向ける。
そこには、立ち止まっている日本人がいた。
「……苺」
周りの景色が消えて、その一人しか見えなくなった。
あぁ、そうだ。
間違いない。
間違えるわけがない。
ただただ側に行きたくて、体が勝手に走り出す。
もう少し冷静でいたなら、衝動を抑えることができたなら、こんなことはしなかった。
赤信号を無視して渡ることも、スピードを落とさない車に突っ込むことも、絶対にしなかった。
––ギギギギギィィィ!!ドンッ!!
鈍い衝撃が体を駆け巡る。
目の前が、真っ暗になった。
オレは一体、何をしているんだろう。
気づいた時には、見知らぬベッドで寝ていた。
ホテルじゃない。
腕に包帯が巻いてある。
そうか、ここは病院だ。
目を覚ましたことに気づいた看護師が医者を連れてきた。
フランス語は通じないと思われたのか、最初から英語で話してくれた。
案の定、交通事故にあったらしい。
幸い大したケガはしておらず、腕の包帯が取れるまでは安静に、とだけ言われた。
「付き添いの人を呼んでくるから、ちょっと待ってて」
医者が呼んできたのは、あいつだった。
看護師も医者もいなくなり、部屋には二人きり。
7年ぶりに見た顔は、瞼が腫れて目が赤くなっていた。
「……あんた、何してんの」
あぁ、変わってない。
変わってねぇな、お前。
綺麗な顔してるくせに、口は悪いまんまだな。
急にフッと、あることを思いついた。
下らないことだが、今しかできない。
「分からない」
「ハァ?」
赤い目で睨まれたって怖くない。
心配してくれたことぐらい分かる。
「オレは、どうしてここにいる?」
オレの前ではきっと、昔の態度を取り続けるはずだ。
それもいいが、今のこいつを知りたくて、記憶喪失のフリをすることにした。
あいつは慌てて医者を呼び戻し、もう一度問診された。
一生懸命演技した結果、医師から記憶喪失のお墨付きをいただいた。
これ以上出来ることはないからと、二人とも病院を追い出される。
「うそでしょ……」
こいつでも絶望ってするんだな。
さっそくいいものが見れて、気分はウキウキるんるん。
楽しくなってきたぞ~!
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