解答編 13,雄弁の神は能弁に語る
「さて、ここに至り犯人を指摘する手掛かりは出尽くしたと言えます。栄えある名探偵の座を射止めるのは誰でしょうか? さあ、遠慮せずに推理を語り聞かせてください!」
有馬の熱弁とは裏腹に、誰も名乗りを上げず、沈黙が酒宴部屋を支配している。安東は曲がりなりにも考察はあるが、全てを理解したとは言えないのが現状だ。では、少なくとも有馬は今までの手掛かりで犯人を指摘出来ると言うのか。
「どうです? 誰も、探偵役として名乗り出る人はいないんですか?」
有馬は拍子抜けした表情で安東達を見回す。それでも反応がないことに、彼は失望のため息を漏らした。
「では、仕方がありません。僭越ながら僕が探偵役を演じさせていただきましょう」
恭しく一礼する仕草は俳優のように様になっているが、やはり有馬は現実とフィクションの区別が付いていないのだと落胆する。しかし……それでも。彼の推理によって遠山殺しの犯人を導けるというのなら、大人しく耳を傾けるべきだと自分を戒めた。
「見立てには必ず理由があるはずです。ここは部長さんの顔を立てて、快楽殺人をする人間はいないという前提を元に考えてみましょう。では、なぜ犯人はあんな見立てをしたのでしょうか。それは、死因……というよりも、真の凶器を有耶無耶にする為だと考えられます。その理由は、検死の結果にあります。遠山先輩は腹部を貫かれたことによる出血性ショックが死因だと、僕は言いましたよね。オリオンに見立てられていたが故に、傷跡は並んでいます。しかし、腹部を水平に三箇所も突くことが、果たして現実的に可能でしょうか?」
安東は向かい合った犯人と被害者を想像してみた。犯人は凶器を持ち、不意の一撃を与える。
「通常なら被害者は、一度刺されたときに前屈みになるか、体をよじるか、その場にくずおれるか、いずれにしても抵抗や苦痛から逃れようとするだろうな」
「その通りです。では、遠山先輩は身動きの取れない状態で刺されたのでしょうか。あるいは深い眠りの淵にいたのでしょうか? 結局のところ、水平に三箇所の傷を付ける意図が分かりません。では、偶然でもないとすれば……。例えば三箇所の傷口が、同時に出来たものだとしたらどうでしょう」
「それこそ突飛な発想なんじゃ……」
寺田はそう言った後、「あっ」と、顔を硬直させた。
「気付いた人もいるんじゃないですか? そうです、昨日、クルーザーが島に停泊し、いざ邸宅を訪問しようとする前のことです。砂浜にはポセイドンの像が配置されていて、愚かなことに綾乃さんは、神像の持つ三つ叉の槍を折ってしまいました」
「つまり凶器は……あれだったって言うのか」
「それが蓋然性の高い結論と言えますね。遠山先輩が殺害後に移動されたことは、出血の量と荷車、そしてアネモネの花片の手掛かりから間違いないでしょう。もしも現場が邸宅だったら、手頃な凶器は山ほどありました。わざわざ砂浜まで足を運んで三つ叉の槍を持ってくる必然性はありません。よって、犯行現場は砂浜か桟橋、あるいはその近辺であると言えます。おそらく何らかの理由で呼び出したか、誰にも聞かれたくない話を持ちかける為に、その場所を犯人は選んだのでしょう。偶然の産物ともいえる凶器を選んだことから、犯行は衝動的なものだったと考えられますね。
遠山先輩の腹を貫いた三箇所の傷口は、そのままでは凶器は明らかであり、犯行現場が砂浜だと分かれば、容疑者が絞られてしまいます。それに水平に並んだ三箇所の刺し傷を、矢に取り変えただけでは簡単にばれてしまうと思ったのでしょう。犯人はこの島の趣向に合わせ、ギリシャ神話と星座が密接に関係していることを利用して、見立て殺人だと思わせることにしました」
有馬は、態とらしく一呼吸置いた。
「と、言いたいところですが……。しかし、ここでよく考えてみてください。三つ叉の槍が凶器だと知られて、犯人にとって不都合なことなどあったでしょうか?」
「今、有馬くんも言ったじゃない。ミス研の誰かがやったことを知られたくなくて、貴島さんや阿曇さん、それから弓塚さんも巻き込もうとしたんじゃないの?」
綾乃が有り得そうな犯行心理を述べた。
「ここは絶海の孤島。少しでも多く容疑者を……ということですか。しかし残念なことに、三つ叉の槍は、貴島さんや阿曇さんにも利用可能だったんですよ」
「どういうことだ? 綾乃は見つからないように砂で覆い隠してたはず……。まさか暴風に晒されて、三つ叉の槍が露わになってたってのか?」
「それは有り得ません。犯行時刻は部長さんが証明したように、風雨が強まる前ですからね。分かってしまえば単純な話ですよ。遠山先輩を砂浜に呼び出したのなら、何かしらの密談をする為だったに違いありません。そのときの話題の足がかりとして、到着時に綾乃さんがポセイドンの槍を折ってしまったことを、つい話のネタにしたとしたら。そしてその後に口論になり、三つ叉の槍を手にしたとしたら……。つまり三つ叉の槍を凶器として使うことが出来た人物は、この島にいる全員に可能だったということです」
「だったらよ。尚更、遺体を山小屋に運んで、あまつさえ三つ叉の槍が凶器ではないと見せ掛ける意味はなかったんじゃあないか?」
寺田が疑念を差し挟むが、有馬はその問いに口角を上げると、
「逆に考えるんですよ。三つ叉の槍が凶器であることは、警察の鑑識も含めていつかは誰かが辿り着いていたでしょう。それでも、リスクを負ってでも山小屋に運んで見立てを行なったということは……犯人は三つ叉の槍の在処を知っていた人物だと、僕達や後々やってくる警察に誤認させる為だったのではないか、と」
「つまり……私達には真の凶器を隠す理由はないけれど……、貴島さんと阿曇さんには、自分達が嫌疑を逃れる為に真の凶器を誤認させる理由があったということ……?」
「そういうことです」
「待て」と、阿曇が険のある表情で言う。「疑われるどころか、ほとんど犯人と決めつけられては黙っていられないね。犯人がどこまで理解して知的に動いたかなんて、犯人にしか分からないはずだよ。それにオレと貴島さんが三つ叉の槍の存在を知っていたと、どうやって証明出来る? 更に言わせてもらえば、ここまでの推理を見越した上で、全て君が仕組んだ策略かもしれない」
「言ってくれますね」
有馬は余裕の表情だ。
「それに凶器だって確認していない机上の空論だろ。今から例の折れた三つ叉の槍を確認しに行ってみるかい?」
阿曇は随分と理に適ったことを言っているように思えた。安東達は部屋の中だけで論理をこねくり回しているに過ぎない。
阿曇の言葉にどう反論するかと思いきや、有馬はあっさりと折れた。
「阿曇さんの言う通りです。残念ながら、この推理は蓋然性を高めるだけで、根本的な解決にはなり得ません。三つ叉の槍を探したところで、本当に凶器であるならば今頃は海の底でしょう。運良く見つかったとしても、血は洗い流され、凶器と判断する術が僕達にはありそうにないですからね。お二人に不愉快な思いをさせたままでは心苦しいので、凶器と見立てについてはこれぐらいにして、本題へと参りましょう」
「本題?」
「はい。つまり、銀の矢のアリバイについてです」
安東は居住まいを正した。不覚にも、ついに銀の矢が持ち出されたトリックが明かされることに、高揚感を覚えていた。
「さて……注目の銀の矢と動画の話に移りましょうか。スマホは十中八九、犯人が置いた物と考えていいでしょう。遠山先輩が昨夜の中庭を無音で映す理由はなく、犯人にとっては不可能の証明という明確な目的がありましたからね。
例の動画では、一見誰も銀の矢を持ち出すことは出来ないように見えました。アルテミスの間の窓は、例に漏れず板張りがされていて、しかも最近、板が外された痕跡なども見当たらないことが確認されています。よって窓から銀の矢が持ち出された可能性はゼロです。綾乃さんの提示した、金と銀の塗り替えトリックも妙案でしたが、上塗りされていないことが物証として確認されました。寺田さんのすり替え説も、現物のマスターキーが他の鍵と形状が異なる以上、貴島さんが気付かないはずはありません。唯一、部屋の主である貴島さんだけには銀の矢を持ち出せましたが、彼女が犯人であれば鍵を手放していないと証言するはずがありません。やはり正規のドアを通して銀の矢を持ち出すしか術はなく、それはつまり――、アルテミスの間に入っていない三人以外は、容疑者から除外出来ます。動画を見た僕達には自明のことですが、部屋に入った三人とは、雪乃さん、綾乃さん、そして阿曇さんですね。
共犯も追わなくてはなりません。姉妹二人は一緒にいたので、犯人は堀川姉妹か、阿曇さんの二者択一となります。
お待たせしました。銀の矢は、いったいどのように部屋を抜け出したんでしょうか。屋上から吊り上げたと考えている方は、残念ながら違います。回廊の上は瓦屋根が敷かれていますから、その方法は著しく困難です。
手掛かりとしましては、動画のアングルによりアルテミスの間のドアが四分の三しか映っていなかったこと、アルテミスの間の正反対の手摺りに穴の空いたハンギングバスケットを見たと部長さん達が証言したこと、そしてアルテミスの間の武具として弓が置かれていたことですね」
「長々と喋りやがって。もったい付けずに答えろ」
寺田がヤジを飛ばすが、有馬は意に介することなく口角を上げると、ややあって答えた。
「銀の矢は『ユダの窓』を抜けたんです……なんて言えれば格好が付くのですが、真相はもっと単純です。――射貫いたんですよ。アルテミスの間に飾られていた銀の弓を用いてね」
再び沈黙が訪れた。
「……射ただと? どこに、どうやって……」
安東は思考する。窓側は有馬が説明した通り無理だ。彼の推理を元にすれば、それはドアしかない。そして彼の言う手掛かりを参考にすれば自ずと真相は見えてきた。
「矢を放てば跡が残ります。その痕跡は、はたしてありました。部長さん達が証言してくれたハンギングバスケットに空いた穴です。犯人はアルテミスの間にいるうちに九本の銀の矢をそこに射て、何事もなかったかのように立ち去ります。動画が途切れた後、屋上に行って銀の矢を回収し、見立てに使用したという流れになります。
後の出来事ですが、部長さんが寝付けずにいた為に、犯人はハンギングバスケットを回収する前に、部長さんにそれを見つけられてしまった。しかし偶然にも天災が犯人の味方をし、何とか物証だけは葬ることが出来たわけです」
悲劇の締めくくりとばかりに、有馬は間を持たせ、そして言う。
「さて、――犯人はどちらでしょうか。動画を思い返してみましょう。重要な違いは一つだけです。堀川姉妹はドアを閉めて入り、阿曇さんは開けたまま入っています。さて、今僕が言ったトリックを使えるのは、どちらでしょうか」
そうか……。ドアが閉まっていては矢を中庭に向けて放つことは出来ない。つまり姉妹の方は銀の矢を持ち出すことは不可能ということになる。
では犯人は……。
「一人しか該当しませんね」
全員の眼が一斉に阿曇へと向けられていた。
彼は口を閉じたまま感情の読み取れない表情。
「でもさ、矢が九本もあったら、射る度に怪しい音が聞こえたんじゃ?」
「動画は故意に無音にしてありましたよね。そしてそれぞれの神の間は、防音性に優れていると貴島さんが言っていました。僕の部屋はヘルメスの間でしたが、現にタイムテーブルに書かれていた時間帯に、隣の部屋をノックする音は聞こえませんでしたね」
阿曇が犯人で、確定なのか。口数は少ないが、気を配ってくれた優しさと絶品の料理を供してくれた彼の姿が、犯人像と未だに結び付かなかった。
だが、有馬の推理は留まらない。
「もし自分の部屋のドアを少しでも開けていたら、異質な音に気付けたのに。そう考えながらタイムテーブルを見据えて、僕は不意に気付いたんですよ。ある人物の証言の矛盾にね……。矢が射られたとき、確かに全員が部屋にいたはずです。しかし一人だけ、部屋にいながら、音を耳に出来たはずの人物がいました」
「一人だけ音を聞けた? そいつもドアを開けてたとか言うんじゃないだろうな」
「これは開ける以前の問題なんですよ」
有馬は双眸を細め、これ見よがしに酒宴部屋の入り口に注ぐ。
安東ははっと気が付いた。
「そうか! この部屋にも防音が施されていたとしても、ドアが無いから邸内の音は丸聞こえのはずだよな。……ということは、まさか……」
「ご名答です。そう、この部屋にいた人物だけは、九本の矢が射られる音を間違いなく聞いていたはずなんです」
タイムテーブルと照らし合わせるまでもない。各部屋の掃除と称して移動をし、矢が射られたであろう時間帯にそこにいた人物は――。
「貴島さんは掃き掃除をしていて、実際に動画に映っている姿も、箒とちり取りを物置から出し入れする姿です。つまり掃除機の騒音で聞こえなかったわけはありません。また、動画に映る彼女は耳栓もしていませんでした。ショートヘアの彼女は、中庭を横切るときに耳元がはっきりと動画に映ってましたからね」
貴島は口を閉ざしたまま俯いている。
「さて、いいですか? この事実は詰まるところ、『貴島さんは、矢が射られる音をあえて聞こえない振りをしていた』という解釈しか有り得ないんです。そしてこの解釈が意味する答えは、共犯であるということ……」
貴島は、既に項垂れてしまっていた。そして阿曇も……。最初に二人を疑った綾乃の感は当たっていたということなのだろうか。
「僕が思うに、九本の矢を射ることは、五分という短時間とはいえリスクがあります。貴島さんは掃除をしていたと言いましたが、実際は入り口から誰かが回廊に出てこないか見張り役を担っていたんでしょうね。酒宴部屋も動画の死角ですから。いざという時は声を上げてその人物を呼び止め、主犯の阿曇さんは一時中断するという段取りだったのでしょう。穴の空いたハンギングバスケットについても、もしかすると午前一時前に貴島さんが回収しようとしていたのではないでしょうか。そこを部長さんと出会ってしまい、屋上の、玄関とは反対側の一角に誘った。英雄の話や、詩を口ずさみながら星座を眺めていたことも、見立てを終えて帰ってくる阿曇さんに注意を呼び掛けていたように思えます。まぁ、この辺りは想像の域を出ませんが」
有馬は大仰に一息付く。
「ふう……少し喋り疲れました。ですが、僕が推理によって導ける真相はここまでです。僕の推理では衝動的な犯行と思われますが、お二人のどちらが遠山先輩を殺してしまったのか、その動機は何なのか、見立て諸々の分担はどうだったのか……これらは当人達に訊いてみるしかないでしょう。答えてくれるかは分かりませんけどね」
貴島は口を堅く結ぶようにしていて、遺体発見前の朗々とした印象はすっかり無くなっていた。阿曇はというと、半ば開き直ったように口元を緩め、両手を頭の後ろで組んだ姿勢で壁に凭れ掛かっていた。
この二人が、遠山をあんな無残な姿にしたのか……。安東の感情は酷く掻き乱されていた。
横では、寺田が持ち込んでおいたアレスの剣を強く握っているのが見えた。目元は涙を見せまいと瞬きが異様に多い。だが、いつでも動ける態勢だ。安東もそれに倣いながら、平静を努めて二人に問う。
「……言えないこともあるかもしれません。しかし、遠山は俺達のサークル仲間でした。メンバーによっては異なりますが、一年半を共に過ごしてきた友人でした。俺は……俺達は殺された理由を訊く権利があるはずです。たった一日とは言っても、お二人を信用していました。好感を持って接していました。……黙ったまま、警察を待つというのは、寂しいです。どうか、俺が信頼を寄せたあなた方の姿だけは本物だったと、理解しておきたいんです」
三度沈黙が部屋を満たす。数秒が何分にも感じ、これほど時の流れを歯がゆいと思ったことは無かった。
「俺は、殺していない」
ようやく口を開いた阿曇は、そんなことを言った。
だとしたら、衝動的な殺人を犯してしまったのは、貴島の方なのか。その理由はいったい何なのか。自然と多くの視線が彼女に集まる。
失意に暮れそうな安東の耳に、囁き声が、けれど明確な意思を持って届いた。
「……もう少し、時間をくれませんか。……本当にお二人が遠山君を殺してしまった犯人なのか、あと少しだけ、皆で検討を重ねてみたいのです……」
その声は姉妹で隅の方に身を寄せ合っていた姉、雪乃から発せられた声だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます