第12話  殴らないで殴らないで殴らないで

知念は息を引き取った。

柿梨は知念を刺したナイフを握ったまま呆然と立ち尽くしている。

はじめて人を刺した感触。確かに命を奪ったという実感。

しばらく立ち尽くすのみだった柿原も少し経つと再び憤りを爆発させた。


「なにしてんだよ!お前!」


身勝手な行動をした阿々津に怒鳴りつけ、問い詰める。


「・・・うるさい。周りに聞かれるから。」


騒ぎを聞かれてはまずいので、柿原をなだめようとする。

しかしこれが逆効果だった。

柿原は阿々津に詰め寄り阿々津の顔に遠慮のない拳を一撃浴びせる。

床に倒れ込んだ阿々津は殴られた頬を抑えながら早口で呟く。柿原ではない別の何かに怯えているように。


「大声出さないでください、殴らないでくださいい殴らないで殴らないで殴らないで」


こんな弱った阿々津を見るのははじめてだった。

その有様を見て柿原は調子に乗って威圧的に話し続ける。


「第一なんで俺にとどめをやらせた?お前がやればよかっただろ!そういえば岡部の時も、お前はとどめをさしてなかったな!勘違いするなよ、お前も立派な殺人犯だからな!」


この言葉を聞いて阿々津はふと冷静になる。

自分は岡部の時も知念の時もとどめを他人に任せていた。それは無意識でしていたことだと思っていたが本当にそうだろうか。自分はとどめを刺したくないという気持ちが心の奥底にあるのではないか。父親を殺せなかったのも、そんな気持ちがあったからじゃないか。いいや、あれほど憎んだ人間に対して良心のかけらを持っていたなんてあり得ない、認められるはずがない。死ぬべき人間は死ぬべき人間、そこに情けは必要ない。

今、目の前に立っている男は女である空森と自分に容赦なく暴力をふるう最低の人間だ。死ぬべき人間だと思う。そんな人間へのとどめをためらうはずがない。

証明するしかない。父親への殺意は本物だったと、自分も人にとどめをさすことが出来る人間だと。そのためには何が出来るか。


阿々津は起き上がり柿原に謝罪をした。

でもナイフは自分のものだからと柿原に返すよう懇願した。

阿々津は憔悴しきっている、それに今までだって阿々津がもっていたので柿原はナイフを阿々津に返す。本当に甘い男だ。


「ありがとう」


そういうと阿々津は受け取ったナイフをそのまま勢いよく柿原に振りかざす。

柿原が瞬時に反応したことで急所は外れたものの柿原はその場でひるむ。

覚悟を決めている阿々津はすぐさまもう一度ナイフを柿原の体に突き刺そうとする。

しかし柿原の拳が速かった。柿原は阿々津の下腹部を勢いよく殴り、阿々津は手に持っていたナイフを落としてしまう。落ちたナイフを拾ったのは柿原。勢いよく阿々津の体に突き刺す。怯んだ阿々津の体に次々と穴をあけていく。倒れ込んだ阿々津に力ずくでナイフを刺す。

最後まで自分はとどめを刺せない人間だった。死ぬべき人間が生きるべき人間を殺している。そうしたことを考えると涙が止まらなかった。


柿原はもうこの光景に慣れていた。脈を確認するまでもなく、阿々津は息を引き取っていた。


数分前まではこの部屋には3人がいた。しかし今や自分一人しかいない。


柿原は既に壊れている。人を殺すことにもはや抵抗もない。マスターキーもあればナイフもある。あっさり殺すことが出来る。

2人の死により腕時計を確認するとその数字は63となっていた。

監禁期間もあと2か月にまで短縮された。2か月くらいならここでの生活も我慢できないわけではない。しかし、早く解放できるならそれに越したことはない。

しかしあれだけ騒いだにも関わらず知念の部屋には誰も近づいてこない。少し妙な気もするが、柿原は次に誰を殺そうかと考えていた。

1人殺すと残り32日なのでまだ少し長い。2人殺すと残り16日、2週間程度なら別にいいなと柿原は考えた。そこで殺す人数を2人と決めた。


この日の長い長い夜はまだまだ続く。



柿原は2人を殺した後は自分が持つマスターキーとナイフで周りを脅し、2週間ほどこの施設での独裁者となって好き放題暮らそうと考えていた。美人の阿々津を好き放題できないことは残念だが、飯島も美人なので飯島で楽しもうなどと最低なことを考えている。


殺す2人について柿原はすぐに決定した。一人は自分たちをいいように利用していたという明知、もう一人は前日に殴り合った玉井を殺すことにした。

マスターキーもナイフもあるのでどちらも容易に殺すことが出来る。

どちらが先でもいいのだが、真っ先に思い浮かんだ明知を殺すことにした。

柿原はそもそも明知のような勉強ができて調子に乗っている人間が大嫌いだった。



―――柿原彪雅は罪人だ。

この男には年の近い妹がいる。その妹は兄からは想像できない整った容姿をしており、兄とは違って素行には何の問題もない真面目で優しい女だ。しかし兄と同様勉強はとても苦手で、偏差値が低いことで有名な私立の高校に通っている。


柿原はある日、妹が知らない男と歩いている現場に遭遇する。

柿原は空気を読まず2人の前に姿を現し、横にいる男について妹に尋ねる。

するとどうやら妹の彼氏のようだ。


「帝白高校なんだよ!すごいでしょ!」


妹は聞いていない彼氏の高校名を自慢気に言うが、柿原は一切興味がないのでそれがすごいことなのかさえ理解できない。

とにかく妹にできたはじめての彼氏だ。兄として寂しい気もするが、妹が幸せそうなので嬉しかった。


後日柿原がとあるファストフード店に入ると、奥のテーブル席に見かけたかことのある顔を発見した。それは先日妹と一緒にいた男だ。今は男友達数人と喋っている。

どんな奴なのか知るために話を聞いてやろうと思った柿原は、その男に背を向ける形で近くのテーブルに腰を掛けた。

話の内容を聞くと勉強に関する話ばっかりで、こいつらは本当におもんないなと柿原は思っていた。こんな男といて妹は楽しいのかと。

そんな中、友人の一人が妹の彼氏に質問する。


「そういえばさ、お前彼女とどうなん。ぶっちゃけどこまでいった?」


柿原は急な話題の転換に慌てたが、聞き漏らさないように耳を澄ましていた。


「えっと、どっちの話?安西さん?それともバカ高の方?」


柿原は聞き間違いかと思い、振り返り発言した人間を確認する。

今喋っているのは間違いなく、妹の彼氏だ。

妹の彼氏は続ける。


「安西さんはガードかたいからなあ、その分バカ高の方はいいぞー、バカだからなんでもいうこと聞いてくれるし、二股とか気づく訳もないし」


「最低やなお前~ほんまおもろい。」


「あとそれと、前にそのバカ高の方の兄貴と町で会ってさ、俺が帝白って聞いても知らねえっぽくてビビったわ。兄貴もバカなんやなあ~っていう。」


「あれやな、漢文で言う『燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや』的な。世界が違う。」


「まー、安西さんに二股疑われているし、バカ高の方はそろそろ潮時って感じやな」


「ひっでーなまじ」


「いやいや、バカにできることって俺たちに貢献することくらいやからなあ。むしろ今まで俺に貢献できてよかったねって感じで。・・・ん?どうしたん。」


周りが急に大人しくなったので変だなと思ったら、こっそり「後ろ、後ろ」と指をさしている。振り返るとそこには先日会った男が感情の読めない顔をして立っている。


「あ、どうも」


と慌てて言い頭を下げる。どうしてここにいる、聞かれていたのか。もう一度顔色を窺おうと思い顔を上げると、顔色をうかがうより先に自分の顔が横に吹っ飛んだ。


柿原はテーブルの上でぐったりとした男を殴り続ける。机の上にあるコップを頭にたたきつける。店員が慌ててやってきて、数人がかりで止めに入るも、そのころには顔の形がすっかり変わっていた。



事件後、妹には絶縁の旨を告げられる。

妹はその男が退院するまで毎日看病に行っていたそうだ。

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