「声」と「額縁」と「部屋」
その部屋はその人らしく散乱していた。
部屋のあちこちにある画材、額縁、絵の具。床には絵の具の跡が斑についていた。
芸術家気質の彼にとても似合いな部屋だった。
そこは彼のアトリエと呼ばれる場所だった。
しかし彼にとってはアトリエというより秘密基地のような場所だった。
好きな物を好きなだけ詰め込んで、好きな時に好きな事をする。
壁側の本棚には、美術関連の本もあれば、自己啓発本から漫画まで整頓されずに雑多に並んでいた。
アトリエで絵を描くこともあれば、ただひたすらに本を読み耽ることもあった。時にはゲーム機を持ち込み、ハマったゲームに時間を費やす時もあった。
彼にとってはそこは秘密基地だったのだ。
とても快適な時間を過ごせる、自分だけの場所。
その日もいつものように好きなことをして過ごしていた。
思いつくままにキャンバスに筆を走らせ、思い浮かぶ世界をキャンバスに映し出す。
心地よい時間に身を委ねていた、その時だった。
「ねえ。」
どこからともなく女性の声がした。
最初は空耳かと思った。
彼は気付かないふりをして描き続ける。
「ねえったら。」
もう一度聞こえた。聞き間違いではない。
でも、そんなわけはないと彼は思った。
彼のこの秘密基地は誰にも教えていない、正しく秘密の場所だった。
この場所を知る人も、訪れる人もいないはずだった。
だからこそ彼は自由気ままに過ごせていたのだ。
それがどうだろう。どこからともなく声がする。
「ねえ、それは何を描いてるの?」
声の主はお構い無しに話しかけてくる。
「…君は、誰?」
訝しげに彼は問いかけた。
声の主の正体を確かめなければ、絵にも集中できない。
「私?ふふふ、内緒。」
声の主は愉快そうに笑うとそう言った。
彼は何も愉快じゃないと思いながら、部屋の中を見渡した。
誰もいない。
窓の外だろうかとカーテンを開き外を伺うが、そこには誰もいなかった。
そもそも、足場もない小さな窓の向こうに人がいるとは考えられないのだが、部屋の中にいないればそこしか考えられなかった。
「何をしているの?」
「君を探してるんだ。」
声が聞こえる先を慎重に追いながら彼は答えた。
「ふふふ。そんなところにはいないよ。」
また声の主は愉快そうに笑って言った。
またその声を頼りに居場所を突き止めようと彼は部屋の中を歩いて回った。
「お部屋の中をぐるぐる回って変なの。」
声の主はクスクスと楽しそうに笑う。
その笑い声を頼りに探していると、一枚の絵の前にたどり着いた。
ついこないだ描きあげた女性の人物画だった。
向日葵の花を持って笑顔で微笑みかける女性の絵だ。
もちろん実在する人物ではなく、彼の空想上の人だった。
この絵の裏に隠れているのかと思い、彼はその絵を持ち上げてみるがそこには誰もいない。
「こんな狭い空間に人が隠れられるわけがないか...。」
そうつぶやくと、声の主は残念そうな声を上げた。
「あー、惜しいなぁ。」
その声はすぐ側から聞こえた。
「ここだよ、ここ!今あなたが手に持ってる絵!」
そう言われて絵を見つめるが、相変わらずの笑顔だ。
「そうそう!私だよ!絵は動かないんだけどね〜。」
確かに絵は動かないが、声は間違いなくその絵から聞こえていた。
「...絵が喋ってるってこと?」
彼はうまく事態が呑み込めず確かめるようにそう呟いた。
「そうだよ〜!あなたが心を込めて描いてくれたから目覚めちゃった!みたいな。」
「へえ...。」
彼は興味なさげに答えた。
元々オカルトの類は興味が無いし、不可思議な現象があったとしても特に関心が無かった。
「え!?ちょっと!反応が薄いなぁ!」
絵画は少し拗ねたように言った。
「興味無いからね。別にいてもいいけど、僕の邪魔はしないでね。」
「え〜!」
こうして彼の秘密基地に、新たな仲間が加わった。
もっとも、彼は仲間とは認めていないようだが。
彼と絵画がもっと親しくなるのは、また別の話。
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