祖父の言いつけ
死んだじいちゃんが口をすっぱくして言っていた。
『ガスの元栓はしっかり閉じろ』
『金品や貴重品は身に付けるか、信頼出来る金庫に入れて保存しておけ』
『どんな時も冷静でいろ』
『墓地で肩を叩かれても振り向くな』
最後の言葉の意味は今になっても分からない。でも俺はじいちゃんのことを尊敬していたし、大好きだったから、その言葉をしっかりと守っていた。
——もちろん最後の言いつけに限っては、迷信の類だと思っているが。
じいちゃんは俺が高校生の時に亡くなった。葬式では人目もはばからずにわんわん泣いた。
お墓参りするだけでも涙がこみ上げてくるもんだから、大学を卒業して、無事に社会人になったことを報告してからは一度もお墓に足を運んでいなかった。
そんな俺も社会人になってから三年が経つ。ボロいアパートではあるが、自分のお金で一人暮らしをしている。
仕事にも慣れてきて、もう昔の俺とは違う、ちゃんとした大人になれた気がした。
(そういえば昔、俺が貰った給料でじいちゃんとばあちゃんに美味しいご飯をご馳走するって言ってたっけ……)
不意にそんなことを思い出してしまった。懐かしさがこみ上げてきて、居ても立っても居られなくなった俺は車の鍵を手に取り家を飛び出た。
途中でなにかお供え物を買おうと、俺はコンビニに寄る。なにを買おうか迷ったが、じいちゃんが一番好きだったいちご大福を買った。
(じいちゃん、喜んでくれるかな……)
まだ墓地に着いてすらいないのに、涙が出てきてしまった。
涙を拭いながら車を走らせ、目的地である墓地に到着する。
何気なく時計を見ると、家を出てからまだ三十分しか経過していないことに気付いた。コンビニで買い物をしていなければ二十分ほどで到着しただろう。
(案外、車ならすぐなんだな。これからはちょこちょこお参りしてあげよう。)
俺は車から降りて、じいちゃんのお墓へと向かう。
墓地にあるたくさんのお墓の中でも、じいちゃんのお墓はとても分かりやすい場所にある。なぜなら、お墓はこの墓地の中で一番大きな木の下にあるからだ。
ここで気がついたが、そのとき墓地には日曜にもかかわらず俺以外に誰もいなかった。お彼岸等のシーズンではなかったが、人が一人もいないというのは少し珍しいような気がする。
周りを軽く掃除して、線香と花、それにコンビニで買ってきたいちご大福を添える。
手を合わせて目を瞑ると、昔あったじいちゃんとの思い出が蘇る。すぐに俺の視界はぼやけてしまう。
これ以上ここにいると涙が止まらなくなってしまいそうだったから、俺は帰ることにした。
「また来るよ。じゃあね」
そう言って俺はお墓に背を向ける。
——その瞬間だった。肩を誰かにガシッと掴まれた感覚がした。
「え? あの、ちょっと!?」
俺は振り向こうとする。と、同時に今この墓地には俺以外に誰もいないことを思い出してしまった。なら、今俺の肩にあるこの感覚は一体? と、恐怖で動けなくなっていると後ろから声が聞こえた……気がした。
それは、どこかで聞いたことのある優しい声。大好きな、でも今はもう聞くことは叶わない声。
その声が何を語りかけていたのか、俺にはわからなかったが、昔のじいちゃんがよく言っていたあの言葉を思い出した。迷信だということは承知しているが、恐怖心もあってその言葉にすがった。
二十分ほど経った頃だろうか、なぜかそれまであった恐怖心は突然、綺麗さっぱり消え去った。チャンスとばかりに振り向こうとした。が、その前にまず、掴まれた感覚があった肩に目をやる。すると俺の肩には……手なんか乗ってなかった。少し大きめの木の枝が服に引っかかっていただけ。
「なんだよ、木の枝かよ。……はあ、無駄な時間だったなあ。てか、そもそも俺以外に誰もいないから当然だよな。ああ、ビビって損した」
ふざけんなよ、と舌打ちをした瞬間、地面が揺れた。すぐに地震だとわかった。しかも、かなり大きめの。
俺は揺れがおさまるまでその場でしゃがみ込み、足早に車に戻った。ラジオをつけ、聞こえてきたのは、努めて冷静なアナウンサーの声だった。
『——を震源地とする、震度六強の地震が先ほど起こりました。現在わかっているところによりますと、震源の深さは約30キロメートル。マグニチュードは7.2となっております。海沿いにおられる方は津波に十分警戒してください。続報が入り次第、追ってお伝えしたいと思います。
震源地におられるドライバーの皆さまは車を左側に寄せ、周囲の状況に応じて行動して下さい。
今後も余震が続く恐れがありますので、十分お気をつけ下さい』
淡々と告げられる現実。それを受け入れらない俺には、今起こっていることが、全て夢のように感じられた。
いきなり震度6の地震なんて、とてもじゃないが、信じられなかった。
*******
これは後で分かったことだが、俺の住んでいたアパートは地震が起こった直後に倒壊してしまった。かなりボロいアパートだと思っていたが、案の定、相当老朽化が進んでいたらしい。
自分の住む場所が跡形もなく崩れる。それだけでも怖かったが、もっと恐ろしかったのは、地震発生時にアパート内にいた人間は全員、倒壊したアパートの瓦礫の下敷きになって亡くなってしまったということ。
今でも俺はときどき考える。
もし、お墓から帰ろうとして肩を掴まれ、振り向かずにじっとしていたあの時間がなかったら?
どんなことがあっても、俺はこれからも祖父の言いつけを守るつもりだ。
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