第25話 ホムンクルス
「その娘を渡していただきましょう」
ヤマトは何を考えているのか分からない顔でそう言った。
「急に現れて大層な物言いだな、《人斬り》。人に物を頼む時は、頼み方っていうのがあるんじゃないのか?」
場所は大通り。時刻は夕刻。
すなわち、もっとも人通りが多い時間に2人は向き合っていた。
他の人間たちはそんな2人など気にした様子もなく、通り過ぎていく。
「頼み方ですか。ふむ、それもそうですね。仰るとおりです。失礼しました」
そういって、《人斬り》は慇懃無礼に頭を下げた。
「では、“鏡櫃”。あなたの良い値でその娘を買いましょう」
「あいにくと、ノーだ。売りもんじゃねえんでな。それに、こいつと写真のやつは無関係だ」
まだファティの被っている霧の外套の効果は無くなっていない。
つまり、《人斬り》の言葉はブラフだ。
《人斬り》はこちらに対して揺さぶりをかけるつもりでそう言っている。
と、判断したシスはそう言った。
だが、それを見過ごしているかのように人斬りは静かに続けた。
「“鏡櫃”。あなた、他人の指を斬ったことは?」
恐ろしく細い切れ目が、シスを捉えた。
シスは肩をすくめて、笑った。
「……他人を痛めつける趣味は無くてな」
「そうですか。いえ、私もあまり好きではないのです。特に、相手が老人ともなると心が痛くて、痛くて」
「……なんの話だ」
「7本もかかりましたよ。強情な方だった。言ってしまえば、楽になるのに」
「なんの話だ!」
シスの叫ぶような問いと同時に、アイリが手元に剣を生成。
そして、淀みなく構えた。
「素晴らしいホムンクルスですね。良く調整してある。私も欲しいくらいです」
「嫌ですよ。あなたには魅力がないですもん」
「静かに。私は人間と話しているのです。擬体は、喋らないように」
しー、と人差し指を口に当ててアイリの言葉を遮った人斬りはそう言った。
擬体、というのはホムンクルスとゴーレムを指す東の言葉だ。
「話を戻しましょう、“鏡櫃”。実は私、珍しく聞き込み調査というものを行ったんです。地道に、歩き回って情報を集めたんですよ」
「へぇ、随分と殊勝だな。警邏や自警団にも真似してほしいくらいの真面目な態度だぜ」
「するとね、とある情報が出てきたんですよ。貴方がこの街に水色の髪をした少女を連れていたと」
シスの背後にいたファティがぎゅっと、霧の外套のフードを掴んで深く被り直した。
「それで?」
「いえ、しかし確証が持てなかったので。最も近くで見た者に聞くことにしたんですよ。しかし、聞いた相手が悪かったのか、なかなか口を割らない。知らない、忘れたの一点張りでしてね。いや、老人に喋らせるというのは大変だ」
アイリが剣を深く構え、シスの意識が人斬りの動きに向けられる。
尋常でない殺気を感じ取った者たちが、そこにいる4人を避けるように迂回しはじめ、大通りにぽっかりと空白が生まれていた。
「そこで、指を斬ることにしました。喋りたくなるまで、1本1本、丁寧に。ええ、それは丁寧に。達人がよく斬れる刃物を使って斬れば、斬られたことに気が付かないこともあるそうです。だから、刃を潰した刃物を使うんですよ。そうして、ゆっくりと老人の皮膚に刃物を押し当てると、乾いた皮膚の裏にある脆い脆い骨の感触が手に伝わってくるんです。そこにゆっくりと力を込めていくと、先に骨が折れるんですよ。ぱきん、と」
ヤマトは微笑みながら、語りかける。
「切れ味が悪いので先に骨が折れるのです。だから、さらにゆっくりと力を込めると次に血管が切れて、内出血が始まります。そして最後に皮膚が切れて、ばらばらになるのですよ」
「……悪趣味な野郎だな」
「ああ。――指を無くすと、
「【展開】ッ!」
シスの叫ぶような詠唱よりも先に《人斬り》が地面を蹴って刃物を抜いている。そして、そのままシスの首を飛ばすように抜刀して。
「はい。ここで止まってくださーいっ!」
真白な剣がそれを食い止めた。
「邪魔な擬体だ。人のやり取りに首を入れるのは、早死の元ですよ」
「残念。私は死にませんから」
アイリが己の膂力に物を言わせてヤマトを吹き飛ばす。刀でその威力を上手く殺しながら、屋根に着地したヤマトは疾駆。遅れてその後ろにシスの鏡の立方体が出現する。
「ファティ。絶対動くな!」
「は、はい!」
大通りは一気に混乱を極めると、騒乱に包まれて蜘蛛の子を散らしたように客たちは逃げ始めた。それが最も正しい行動だ。
「“鏡櫃”。貴方の箱では、私を捉えられませんよ」
「大した自信だな。《人斬り》如きがッ!」
「いえ、逆に私が尋ねましょう」
屋根の淵を蹴って、空中で加速しながら地面にツッコんだヤマトは、シスの動きを読んで武器を建物の壁に突き刺すと急減速。
「何故、
ヤマトは空中に展開されたシスの箱を蹴って、ファティを掴もうと手を伸ばす。
側にいるシスを完全に無視し、目的遂行のためだけに身体を動かして、
「手癖の悪い手は、こうです」
ヒパッ! 空気の断たれる音と共にアイリの剣が振り下ろされる。
咄嗟に手を下げたヤマトには当たらずに、空を斬る。
「ファティ、動くな」
「は、はい!」
「【展開】」
シスの詠唱によって、ファティの身体が鏡の立方体に飲み込まれると、
「【収納】」
世界から、消えた。
「ほう?」
「さて、《人斬り》。俺を殺さないと、ファティに会えないぜ」
この場における敗北条件はたった1つ。
ファティを奪われることだ。
ならば、予めそれを防いでおけば良い。
「美しい師弟愛ですね。吐き気がしそうだ」
しかし、ヤマトは無表情で距離を取ると、
「哀れだ。哀れですよ、“鏡櫃”」
そう、吐き捨てた。
「哀れ? 誰かの下について、人殺しなんてしてるお前にそう言われたくないが」
「いえ、私が言っているのはそのことではありません。長らく格下と戦いすぎて、正しく戦力を見分けられない。そんな貴方たちが哀れで仕方がないのです」
「そうかい、悪いな。俺は――強いもんで」
ヤマトの前に鏡の立方体が3つ出現する。
だが、そのどれもかすりもしない。
「“鏡櫃”。あなたの弱点を1つ。教えてあげましょう」
「教師気取りか? 教えたがりは嫌われるぜ」
「あなた、近距離では絶対に魔法を使いませんね?」
ひゅ、と風が切れる音がシスの耳元に届いた時には、既にヤマトが目の前にいた。
……こいつ、俺の瞬きのタイミングに合わせて……っ!
ヤマトはシスの瞬きに合わせて距離を詰めると、人間の反射神経を超える速度で刀を引き抜いた。それは、鞘を使って刀身を加速させる抜刀術。
疾い。疾すぎる――!
――斬られるッ!
シスが苦虫を噛み潰すと同時に、真白の髪が目の前いっぱいに広がって。
そして、少女はヤマトの斬撃を一太刀に受けた。
「擬体風情がッ!」
必殺の一撃をホムンクルスに邪魔されたヤマトが、初めて感情をむき出しにして叫ぶ。
だが、シスはその隙に動いている。
アイリが生み出したその隙を無駄にはしない。
「――【展開】」
「……っ!」
ヤマトが精一杯身体を動かすが、紫紺の和服ごと左腕が巻き込まれ宙に舞う。
「……ああ、痛み分け。ですか」
ヤマトはなくした左腕をかばうように右手で抑えながら、状況を見た。
片やシスの前には真っ二つに断たれ、物も言わず転がったアイリ。
片や腕の片方をなくした自分。
「肉を切らせて骨を断つ。素晴らしい対応です、“鏡櫃”。ですが」
ヤマトがそっと腕に手を当てる。
その瞬間、断ち切れた和服が盛り上がると、腕が生えた。
「あいにくと、
【治癒魔法】。
使い手はそう多くなく、【治癒魔法】が使えると言うだけで一生食っていけるくらいには希少性の高い魔法である。
ヤマトはそう言って、刀を抜く。
「その擬体の核を断ち切りました。二度と動きませんよ」
真白なドレスを地面に散らして、虚ろな瞳のアイリを見下しながらヤマトがそう言う。だが、それをシスは鼻で嗤って。
「ははっ。なんで、俺がお前に肉を切らせないといけねんだよ」
そして、短く命じた。
「立て。アイリ」
「イエス、マスター。――お言葉のままに」
上半身を斜めに断ち切られていたアイリの傷口がぼこりと白く泡立つと、2つの身体が互いを求めるように繋がり合って、起き上がる。断ち切られたはずの核は目に見えぬ所で完全に再生している。
「まだ、自己紹介してなくて悪かったな。《人斬り》」
シスが笑いながら、ヤマトを見る。
「俺はシス。多くを語る必要はねえだろ。最強の盾と、矛を持つ――“鏡櫃”の探索者だ。そして、こいつが」
「ご紹介に預かりましたっ! 私は対黙示録用神造兵器。開発コードは『
アイリは流れるようにそう言うと、新しく剣を生成した。
「なーんて、そんな名前は捨てました。今はアイリ。マスターのための、マスターによる、マスターだけの、きゃわわでつよつよな完璧ホムンクルス。アイリちゃんでーす!」
そう言って、2人で並んで……笑った。
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