りんご飴

うすい

短編

「うわぁ、甘酸っぱい。」

「うん、甘酸っぱいね」




君と出会ったのは、いつだっけ。蝉すら鳴くのを辞めるほど、とても暑い夏休みの事だった気がする。

蜃気楼のように朧気な、甘酸っぱい記憶だけがある。



「ほら、栞那(かんな)、おばあちゃんに挨拶して。」

「こ、こんにちわ...」

「はい、こんにちわ〜。栞那くん。そんなに怯えなくていいのよ。何もとって食べようなんて思ってないから。」

そう言いながらも、おばあちゃんは両手の爪を立てて、狼の真似をする。


「ちょっとお母さん、そんなに怯えさせないでよ〜!栞那、怖がりなんだから。まあ、この夏休みだけ、栞那をよろしくね。栞那もおばあちゃんにあんまり迷惑かけないのよ〜。それじゃ。」


どんどん遠くなっていく母親の背中が、とてつもない不安感をもたらした。


「さあさ、栞那くん、靴を脱いで、手を洗って。おうち案内した後は自由に過ごしていいからね。外に出る時はちゃんと6時までには帰ってくるのよ。」

おばあちゃんの口調は、当たり前だが、どこか、母親と似ており、少し安心した。


ひとしきり家の中を紹介してもらった後、僕は荷物を置くために2階の自分の部屋へ向かった。

畳の部屋で、押し入れがあり、何故だか懐かしさを覚えるその部屋を僕はすぐに気に入った。いくつかの荷物を置き、窓を開ける。

ぶわぁっと顔を突き抜け吹く夏風に思わず一瞬目を瞑る。

再び目を開くと、そこには”夏”があった。

辺り一面の田園。それを覆い囲む山と、ぽつりと佇む鳥居。少し向こうには港があり、海が輝いている。おばあちゃん家の風鈴が凛と靡く。カンカン照りの太陽が、庭の夏蜜柑を見つめている。


「綺麗だ...」

思わず、そうつぶやくほど、僕はその風景の虜になってしまった。


いそいで階段を駆け下り、靴を履き、帽子を被って、僕は玄関を開ける。

「いってきまあす。」

さっきまでの不安はもうとうに無くなり、早くこの風景に滲みたくて仕方が無かった。


田園をじっくりと見回す。気の良さそうな老夫婦が手入れをしている。

少し進んだ先には窓から見えた鳥居がある。

いくつかの階段があり、その奥には社があった。


ポケットに入れていた5円玉を投げ入れ手を叩いて一礼した。特に何も願いはなかったので、目を開き階段を駆け下りようと振り返った。

「ばぁっ!」

「うわぁっ!!!!?」

突然背後に現れた謎の少女に、僕は思わず尻もちを着く。

「うふふ、ださいな〜もう。ごめんごめん。びっくりした?」

謎の少女が手を差し伸べる。僕はその手を握る、

その瞬間、なぜだか心が暖かく、安心する感覚があった。

妙な親近感だ。

「君、栞那くんでしょ!私杏!よろしくね!どうせやることないんだし、遊びに行こ!」


「な、なんで僕の名前知ってるの、そんな、急だよ。そんな急にはッ」

杏は、僕の手を引いて階段を駆け下りた。何度もつまづきそうになった。

「ちょ、ちょっと危ないよ!何を急かしてるのさ、大体君はなんで僕の名前を、、」


杏はニヤつきながら僕を見る。

「もうそんなこと、どうでもいいでしょ、ほら。せっかくだし、あそぼ!」

結局僕は流されるがままに遊んだ。港に向かったり、海を泳いだり、虫を捕まえたり、2人だけでかくれんぼしたり、絵を描いたり、鼻歌歌ったり、ただ、ゴロゴロしたり、とても楽しい日々だった。


「今日も遊んでくれてありがとねー!栞那くん!」

「ううん、こちらこそ。最初は怖かったけど、今じゃ杏がいてくれて良かったと思うよ。」

汗ばんだシャツの胸元を扇ぎながら僕は笑った。

「いい事言ってくれるじゃん!お礼に明日取っておきの場所、教えてあげる!」


「取っておきの場所?」


「うん!とても素敵な場所!明日、8時に神社集合!」


翌日、7時に起床し、歯を磨いて朝ごはんを食べて、帽子をかぶり水筒を肩からかけ、飛び出す。

神社に着くと、そこには麦わら帽子を被ったどこか哀愁を漂わせる杏が居た。

「おー!やっと来た!早く行くよー!出発!」

杏はこちらに気がつくと強く手を振り、さっきまで微かに漂っていた哀愁は全く感じられなくなった。きっとなにかの思い違いだったのだろう。

田園風景を抜け、途中で港の商店に寄って、ラムネとお菓子を買った。

シュワシュワの冷えたラムネを飲みながら、町の先の裏道を進む。汗を拭い、鬱蒼とした木々を抜けると、そこにはまさしく、

”取っておきの場所”があった。


入り江のような、砂浜、とても白く、光が反射している。まるで宇宙のように、輝いている。海は、透き通っていて、色とりどりの小さな魚が泳いでいるのが見える。

「やっと着いた〜!どお、綺麗でしょ!」

汗を拭いながら杏は言う。


「とっても、、綺麗」

僕はすっかり見惚れていた。


「うふふ、すっかり見惚れてるね。気に入ってくれて良かった!」


「ありがとう、でもなんで、僕にこんなところ教えてくれたの?」


杏は少し俯いた後、海の方を見つめながら口を開いた。

「私ね、将来死んじゃうの。病気でね。それもあなたの妻として。」


杏の突然の告白に、僕は思わず笑ってしまった。

「な、何言ってるの、杏。未来が見えるって言うの?しかも、質問の返事にもなってないよ、意味が、分からないよ。」


「嘘だと思うでしょ、でもね、本当なの。だからね、どうせ死ぬなら、将来大好きになる人と、キレイな想い出を作りたくて、死にたいの。」

杏は海を見ながら、微笑んでいる。

「この浜の入江ね、ある伝説があってね?太陽が海に沈む時、ここで彼岸花を持ってると、時を超えて死んでしまった人と話ができるの。私はそこで、私に出会ったの。私、最期は栞那くんに看取られながら病気で死んじゃうんだって。29歳で、早いよね。あーあ、後先短いなー。」


分からなかった。杏の言ってることが、そんなこと、あってたまるものか。僕は分からないんじゃない。受け入れられなかったんだ。

「未来は、変えられないの?」

「うん。未来は、どんな悲惨な結果なのか知っていようとも、もう変えられないんだって。そりゃそうだよね。ゲームじゃないんだから。」


受け入れてたまるものか。僕は、僕は。

受け入れて、たまる、ものか。

受け入れて、たま、る、も、のか。

初めて杏に出会った時のあの安心感と温もりは、あの妙な親近感は。

答えは杏が言った事の中にある。

ピースが自然と揃っていく。最良の形に一度はなるが、杏の未来が、ピースを黒く塗りつぶしていく。


「あーあ!しんみりさせちゃったね!ごめん。まあ、だから、何が言いたいかと言うと、いっぱい思い出を作りたいの。3日後、花火大会がここから見えるから、一緒に見よ!これは将来の妻からの強制です!」



杏の提案を僕が受け入れないわけがなかった。


「分かった。じゃあ、3日後この、浜で。いや、神社で集まろう。いっぱい出店巡って、最後にここに来よう。」


杏は嬉しそうにこちらを見て頷く。

「そうだね!楽しみにしてる。」







祭りの日。祭りは夜からなので、今日はいつもより遅い時間に集合だった。

「ごめん!遅くなった!」

そこには、紺色の浴衣を着たまるで夜そのもののように綺麗な姿をした、杏が居た。

「全然、待ってないよ...」

「本当!良かった!じゃあ行こっか!」


いつもの田園風景はどこかよそよそしく、提灯で照らされている。

「すごい、ここまで飾り付けられてたんだ。気付かなかったや。」


「それもそうよ!全て前日の夜のうちに職人さんが取り付けるから、気付かないのよ!すごいよね。」


自慢げに語る杏の顔を、見ることが出来なかった。いつもは見れる杏の顔、今日は何だか小っ恥ずかしかった。

いつも通りのあぜ道が、温くて仕方が無かった。


町に着くと、そこには出店が立ち並んでいた。

きゅうり、射的、型抜き、唐揚げや焼き鳥、お化け屋敷までもある。


「わぁ〜!やっぱり祭りっていいよねー!どこから見ていく?」


「射的で勝負、とかどうかな。僕、射的得意なんだ。」

本当は射的なんてした事すらないし、いつもはこんな事言わないのに、カッコつけてしまった。


結果は惨敗。恥ずかしいところだけ見られてしまった。


「栞那くん得意気に語ってたのにな〜?うふふ、私の方が強かったね。」


「つ、次は勝つから。大丈夫。女の子には手加減、しないと、」

出てくる言葉は全部必死さで溢れていた。もちろん杏もそれに気付いてニヤニヤしていた。


「うふふ、面白いなあ栞那くん。あ、そろそろ花火の時間だ。何か1つ買ってあの場所に行こうよ。」


「そうだね。りんご飴とかでいいかな。」


「うん!」


りんご飴を2つ買い、僕らは”取っておきの場所”に向かう。


岩の上に座る。既に花火は始まっている。


赤い大きな花が咲いている。夜空に何輪もの花が、咲いている。


「綺麗だね。」

「うん、綺麗。」


夏がもう終わるのを感じる。潮風に吹かれながら、そんなことをふと思った。


「花火、綺麗だね。」


杏は、花火を見ながら話している。赤い光に照らされている。


「うん、綺麗。」

僕は未だに、杏の未来を受け入れられないでいる。



杏は、キョトンとした表情でこちらを見る。

「もしかして、まだあの日の話のこと考えてるの?あのね、私の人生短いんだから。そんなに悲しまれたら思い出がより少なくなっちゃうよ〜?」


「やめろよ!冗談でも、そんな事言うなよ!!僕、僕は、やっと、心から好きな人に出会えたのに、最初から死ぬのが分かってるなんて、、酷いだろ。」

思わず僕は俯いてしまう。白波が足を食んでいる。


「ごめんね。栞那くん。私、こんなこと言わなきゃ良かったよね。ごめんね、私、死にたくないよ。ずっと栞那くんと居たいよ。」

杏は涙を零している。点滴みたいにそれは落ちている。


そうだ。いちばん悲しいのは、杏じゃないか。

僕が来る前から未来を知っていて、知った上で、着丈に振舞って、なのに、僕は。僕は。


こんな所でクヨクヨしていられない。杏に、ずっと笑っていて欲しい。短い、間だけでも。




「杏、りんご飴、食べよう。で、この日を僕たちの記念日にしよう。未来を見ないようになった日。」


杏は少し笑って、涙を拭った。

「なに、それ。でも、いいね。もう先のことは考えない!今一瞬を綺麗に生きてたい。あの花火みたいに。」



赤い花が、二輪、宙に咲き誇る。

片方が先に萎んで、もう片方は散り散りになりながらも残って、少しの時間の後枯れていく。




「りんご飴、甘酸っぱいね。」

「うん、甘酸っぱい。」


ぼくらの想い出はまだ始まったばかりだ。











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りんご飴 うすい @usui_I

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