その“アイ”は何を視る

椿原

第1話 辞めさせろ

 「俺、何のために生きてんだろ……」


五分しかない昼休みに、本日五本目のエナジードリンクを胃に流し込む。そろそろ限界を迎えそうだが、家に帰ることは許されていない。監獄か、なんてツッコミたい気持ちはあるが、生憎そんな余裕もなければ元気もない。

 目の前の、机の上に無造作に置かれた書類どもを見る。相変わらず、何の資料でどうして必要なのかまで、何もかもが明確でないことに溜息が出る。普通なら、上司に聞くべきだが声をかけれる時間もない。なんなら、無能な上司も、そのまたさらに上も働き詰めだからだ。このビルの灯りが街を照らさないことなど、ない。決してないのである。

 入社五年目に突入してしまえば、抱いていたはずの疑問は全て怒りに変わるものだ。最近は呆れに変わりつつある。その間仕事量は増える一方、意味不明な書類を見ない時間が減ってゆく。


 俺、平岡真白がこの会社に入った理由は? と聞かれてしまうと何も答えれない。まず、そんな理由を聞いている時間があるなら、少しでも良い、机の原型を見れるように手伝ってくれ。と思う。

 「俺は騙されたんだよ……!」

なんてぶつくさ文句を言いながら作業をする。なにかしら口を動かしていないと、寝てしまう。がしかし、これ以上カフェインを体が受け付けてくれることもない。

 妻にも友人にも逃げられ、収入は入ってすぐに泡と化す。税金とか、もう、な、馬鹿らしいんだわ。家に帰ってないからもういっそのこと退去したい。住めば都という言葉があるから、会社に住めば良いじゃない。どうせ何も家に残せないし。今も住んでるものだけどな。という愚痴ーーという名の笑えない笑い話ーーを聞いてくれそうな相手も居なければ、時間もない。

 何度も言う。時間ねーんだよ!

 その瞬間、ある考えが脳裏を一閃した。遅すぎたかもしれない。いや、速度の話ではなくって。


 「辞めようぜ、こんな会社」


ぷつり、と自分の中で何かが切れた、決定的な何かが。


 そこからの行動は我ながら天晴れ、というものだ。退職届は出来たし、上司に振られた仕事は全てこなした。川の向こう側でじっちゃんが手ェ振ってんの見たけど。三回くらい。まぁ、まだ生きているからもーまんたい問題ない、というやつだ。


 というわけで今から上司と闘うのだが、生憎うちの会社にはとある制度がある。それには “特別技術i部” 、通称特殊科の存在が関与している。

「んだよ……普通に辞めてぇんだ、俺は。とにかく、辞めさせてくれ」

そう願いながら特殊科に一通の手紙を送る。この返信が来て、特殊科のやつとお話して、やっと辞められるらしい。


「これ以上、この会社の歯車の一部になったままなんてごめんだ!」


正直人と話すなんて面倒だが、この際は仕方ない。俺はただ、一日の始めを実感できる日常に帰りたいだけであるのだから。

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