9-4:ここから始めよう
*
『浅黄さん、今からそちらに伺って、ご相談したいことがあります』
そうメッセージを送った数十分後、真琴は新宿駅前の人混みを逆行していた。同じような位置にたくさんの人の頭がある。この人混みがあの駅に吸い込まれた後、どこに向かっていくのかは分からない。
冬の冷気だけが頭の上を通りすぎていく。乾いた空気の中、鮮やかな夕焼けが多くの喧騒の先に見えた。
遠くでパトカーの音が聞こえる。サイレン。人の声。ぶつかった人の舌打ち。たくさんの事故、トラブルがこの街では行き交っている。その中を抜けながら、真琴は脇道へ外れ、浅黄の花屋へと向かった。
(そもそもストレスレベルと犯罪の境目をどういう風に判断してるんだ? 感情を狩られた人への影響とかもよく分かってないよな……)
今更あの世界の仕組みが細かく気になってきた。自分は何かを見落としているのではないか。もっと早くから目的に気付けていれば、森崎はあんなことにはならなかったのではないか。いや、今後悔ばかりしてもどうしようも無い。ただ今は会わなくては、実際に、この世界で。
真琴は夕焼けの中で足どりを早めていく。
花屋に店先に、見慣れた女性の姿を見つけた。真琴が声をかける前に向こうが振り向く。
「あれ?」
「仁美さん!」
「浅黄さんに用? 私も」
「二人は合わせて来たんじゃなかったの? 面白いね」
同じぐらいに連絡が来たから、と店の中から浅黄が顔を出した。今日もまた髪の毛を束ねて、ジーンズ地のエプロンをつけている。私の用はすぐに済むんだけど、と仁美は仕事用のカバンの中から小さな箱を取り出した。
「浅黄さん、これ返します」
「え?」
それはピアスだった。不思議に思ってそれを見つめる真琴に、仁美は「これ、母が浅黄さんに贈ったんだって」と告げる。浅黄と仁美の母親との関係については、仁美から聞いていた。そのピアスを浅黄はじっと見つめている。
「これ……でも……」
「母が持っていたものと一緒に。あ、シルバーなんでちゃんと磨きましたよ! どっちもあなたが持っていてください。その方が母も喜ぶと思うから」
そう言って仁美は浅黄にその箱を押し付けるように渡した。浅黄は中身をしばらく見つめたあと、その二つのうちの一つを取り出し、また右耳につける。
「ありがとう。ここが空いたままなのは少し寂しかった」
そう言って微笑む浅黄をみて、真琴は、「この人、こんな顔もするんだな」と思った。彼にも同じようなことを言われたことがあるが。そして、真琴くんの方の用件は? と問いかけられ、あの、と浅黄と仁美に向き合う。
「浅黄さんに今日会いにきたのは、ちゃんと全員で話がしたいと思って」
「全員って?」
「俺たちと浅黄さんのところ、緑川さん、死神の叔父姪バディ、あと、できれば水谷くんのところと。ちゃんと情報整理をしたいんです」
「……全部情報がばらけているものね」
仁美の言葉に真琴はコクリと頷く。それに浅黄は、うん、と口元に手をやりながら頷いた。
「俺も竜也くんのところがあんな動き方をするとはノーマークだった。こっちで顔を突き合わせて話した方が早いな」
「そうなんです。向こうでは時間制限もノルマもある。こっちでは前に浅黄さんが言ってた通り、現実と仮想世界での関係が混ざってくるから、接触を避ける傾向にありますが」
「確かにね。そのメンツなら浅黄さんを中心に集まることもできるし」
「俺はバラバラに接してきて、結局、目的は同じなんじゃないかと思っていて」
「目的?」
そう問いかけた浅黄に真琴はまっすぐに向き合った。
「あの世界をぶっ壊したい」
その言葉を聞いた浅黄は少し黙り、そうだね、と視線を伏せた。
「ちょうどいいかもしれない。今日時間ある?」
「はい、俺は平気です」
「私も。今日は時間休で抜けてきたし」
「よし。じゃあ、すぐ横に喫茶店があるから、そこで時間潰しといてくれる? 三十分もかからない」
後で迎えにくる、と言った浅黄は店を閉めてどこかに行ってしまった。残された真琴と仁美は花屋の隣にある古い喫茶店に入った。まばらな店内の奥の席に座り、コーヒーを頼む。仁美と向き合うと、真琴はまっすぐに彼女を見つめた。
「父と話しました」
「そう……」
そして真琴は白石との話を仁美に話した。
「俺たちの仮説は正しい、と思います。あの人は否定しなかった」
「真琴くんはお父さんの落とし前を自分でつけなきゃ、と思っている?」
仁美からの質問に真琴は少し黙り、いえ、と否定する。
「俺はただ自分の巻き込まれ方が理不尽で、怒ってるだけなのかもしれません。いや、正確には少しだけその気持ちもありますが、そこまで父のことも理解してませんし」
「ははっ、なるほどね」
仁美の反応に真琴はホッとしつつ、無愛想な店員の持ってきたコーヒーに軽く口をつけた。
「俺は……今まで現実では深く人と接してこれませんでした。父親が感情のない人だったんで……俺もどこかでそうなんじゃないかと思っていて。深入りを避けていたんです」
真琴の話を仁美は黙ったまま静かに聞く。真琴は言葉を続けた。
「だから、ゲームみたいにステータスのわかりやすい世界が好きだったんだと思います。どこかで自分とアバターが分断しているような感覚でやりやすかった」
「まあでも、本当に他人をよく見てると思っていたけどね。私は」
「え?」
「出会った頃から変わってないよ。君が自分でそれに気づいてないか気づいたか、ただそれだけで変わることもあるんじゃないかな」
にこりと笑う仁美もコーヒーに口をつける。美味しいわね、と告げる相変わらず美しい所作と指。指先はゴールドに彩られていた。
「仁美さん……」
「君はね、最初から強くて優しかった。だから、今日ここに来たんでしょう?」
その言葉に真琴は自分の心のうちで何かが弾けた気がした。その何かがどくどくと脈打っている時、そのレトロな喫茶店の店先でカランカランと軽い鐘の音が鳴った。
「あ。やっぱここにいた」
「黄宮さん?」
店先を見た真琴はその男の名を呼んだ。仁美が振り向く。そこには黄宮大河がいた。知り合いらしい店員に声をかけてこっちの席に向かってくる。
「おうー。あ、赤西の方とはほぼ初めましてだもんな。この前はお互い霊獣化してたし。改めてよろしく」
「よろしく……」
「いや、そんなあからさまに怪しむなって」
失礼だな、とむくれる黄宮に対し、真琴は思わず笑ってしまった。ほい、ここオレの奢りと黄宮は伝票を持っていくと、そのまま店員に金を渡してテイクアウトのコーヒー、ポットでくれよ、と伝える。真琴と仁美が残りのコーヒーを飲んでいると、黄宮がまた席に戻ってきた。
「うちの方に連れてこいって。広さあるから、人数入れるし」
「うち? 黄宮さんたちの家ですか?」
「まあ一応その上はオレらの家も兼ねてるけど。今日行くフロアはアジトって感じ。楽しみにしてな」
ニッと笑う黄宮の表現に真琴と仁美は首を傾げた。店員が渡してくるポットを持つと、ほら、行くぞ、と黄宮が先導するのについていく。花屋と喫茶店のある道を抜けて角を曲がる。そこは新宿の大通り傍とは思えぬ静けさであった。いくつかのビルはもうテナントも入っていないのか、建物自体がかなり荒れている。
「この辺、ここ数年で一気に廃れちまってさ。再開発予定が飛んだから」
「ああ……だから廃ビルがこんなに」
「夜帰る時はオレが一緒に送るわ。変なのいるし」
確かにこの辺りなどは滅多にこない。真琴と仁美が黄宮の後に続いていくと、黄宮は明らかに人気のない廃ビルのシャッター横にある扉を開けて、どうぞ、と言う。
シャッター奥は駐車場になっていて、いくつかの高級車が並んでいた。これ、拓人の趣味、と説明された車の奥には大型バイクが並んでいる。そっちはオレの趣味ね、と笑った黄宮は駐車場脇の階段を上がると、連れてきたぞーと二階のフロアに声をかけた。
フロアについた真琴と仁美はそのビル一フロアをぶち抜いている大きな部屋に驚く。其処から二階分ほど吹き抜けている広い部屋には、大きなデスクがいくつかと大型ディスプレイやスクリーンがあった。奥にはキッチンスペースやロフトもあるが、「ちゃんとした住居はもう一つ上。其処にオレらは住んでんの」と黄宮が説明をした。
「か、かっこいい……確かにアジトって感じですね」
「だろー? オレ、拓人とは車も女も趣味はあわねーけど、こういうところのセンスはマジで好きなんだよなー」
「何の話?」
黄宮と真琴のボソボソした会話に奥にいた浅黄がコーヒーは? ときく。ちゃんとポットもらってきたってーと笑う黄宮がそれを持って奥に行く。スクリーンに隠れた部屋の向こう側には古いビンテージのソファーがいくつかあった。其処に男性が三人。一人は浅黄、そしてもう二人は……
「あっ、緑川さん……?」
「池袋の……」
「ああ、この子が?」
久しぶりに顔を見た緑川に真琴は驚いた。目の下にクマを蓄え、もともと細いがさらに痩せている。そしてその隣、写真だけは見たことのある黒家操だと分かった。浅黄が間に立って彼らを紹介する。
「改めて紹介した方がいいよね。緑川竜也くんと黒家操くん。こっちは紅林真琴くんと赤西仁美さん」
そう告げると、操の方が深々と仁美に向かって頭を下げた。
「その節は申し訳ありませんでした」
あの傷のことかと思い出したのか、仁美は真琴の隣で、いえ、と笑う。
「聞いていた通り、傷も残ってないですし」
「……すまなかった」
「竜也くん、貴方はもうちょっと深く謝った方がいいと思いますよ」
「まあまあ、もうそれはそのぐらいにして。真琴くんの提案で情報を整理したいと思うんだけど、いいかな」
浅黄が場を仕切っている間に、はいどーぞーと黄宮がさっきのコーヒーを入れたマグカップで持ってくる。見た目と違ってマメなんだな、と思ったりもした。そうしていると、浅黄がリモコンでスクリーンを移動させる。部屋の真ん中の大きなスクリーンとモニターに浅黄のタブレットの画面が映し出された。
「これは……」
「向こうの情報で吸い上げられたものはこっちにも情報を入れてる。とはいえ、マップの細かな書き換えは日毎ランダムだから、今まで変更のない箇所のみだけどね」
「最近は新宿近辺に小さいバディがいくつかいるからな。そいつらにマリスは狩らせるようにプログラムいじって、オレらはずっと情報収集してたんだよ。こいつはミラーワールドの東京都内全域図と今までのマリス発生の集約表だ。赤い点の大きさはマリスのレベルの段階別で多少わかりやすくしてある」
浅黄と黄宮が説明した通り、その画面には都内のマップが示されていた。そして、赤く点滅する光の集約に真琴は目を細める。さて、と浅黄はそのモニターを眺めながら集まった全員を見渡した。
「真琴くんの提案通り、この世界がどう成り立ってるか、もう一度みんなで整理してみようか」
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