第13話 母娘の愛
女性の案内の元、僕達は西ブロックから更に西へ少し歩いた所にある、海を一望できる崖の上へとやって来た。そこには、小さな墓石が静かに佇んでいた。
目の前に広がる広大な海は、自分の母親の死を信じられないレナをあざ笑うかのように、キラキラと輝いている。
「ここはレナちゃんと、母親のリゼットさんが好きな場所でねぇ……もし自分が死んだ時は、ここに埋葬してくれってお願いされていたんだよ」
「そうでしたか……ちなみに彼女はいつ……?」
「レナちゃんがいなくなってから、三日後だったねぇ……」
三日……そんなに早くに……きっと心のより所だったレナを失ったショックで、そのまま天使に連れていかれてしまったのだろう……そう思うと、僕は胸が抉れたんじゃないかと思うくらい痛んだ。
「そうだ、リゼットさんから手紙を預かっているんだよ」
「手紙……?」
「リゼットさんとはお隣さんで、昔馴染みでね。亡くなる間際に託されたのさ……もしもレナちゃんが帰って来たら、渡してほしいって」
そう言いながら、彼女は僕に小さく折りたたまれた紙を手渡した。
「王子様、レナちゃんの事……よろしくね。きっとあの子を慰められるのは、あなただけだから」
「はい。お任せください」
女性は僕にレナを託すように肩にポンと手を乗せてから、居住区の方へと去っていく。それを見送った僕は、呆然と母親の墓石を見つめ続けるレナの背中を見つめた。
「お母さん……ごめんね……あたし、間に合わなかった……」
「レナ……」
僕はレナの隣に行くと、彼女の肩をそっと抱き寄せた。すると、彼女はそれに応えるように、僕の肩に頭を乗せてきた。その小さな身体は、悲しみで小刻みに震えている。
「いつかこの日が来るのは覚悟してたんです。前にお話した通り、お母さんは病気でしたし、あたしがいなくなって、ずっと隣でお世話ができる人がいなかったですし……」
「…………」
「でもでも! お薬はしばらく大丈夫な量は置いてきましたし、あたしが連れていかれる時に、さっき会った、お隣さんのおじさんが、世話は任せておけ! って言ってたから……きっとまだ間に合うって思ってたんですけど……現実は甘くなかったです……」
奴隷になってしまい、もう会えないと思っていた母君に会えるかもと思った矢先、もうその相手は亡くなっていた。それがどれだけ悲しい事か……僕なんかに想像が出来るはずもなく……ただレナの傍にいる事しか出来なかった。
「……すまない、レナ。本当に……」
「マルク様は悪くありません。マルク様がいなければ、ずっとお母さんの死を知れなかったし、お墓参りにも来れませんでした」
「レナ……」
「でも……一つだけ、ワガママを言ってもいいですか……」
「もちろん」
「少し……少しだけでいいです。マルク様の胸を貸してください……」
声を震わせ、今にも泣きだしてしまいそうで……壊れてしまいそうなレナを、僕は強く抱きしめた。すると、今まで積もりに積もった感情を爆発させるように、レナは泣き始めた。
「うぅ……うわぁぁぁぁぁん!!」
「…………」
「おかっ……お母さん……! ごめ……ごめんねぇ……あっ……あぁ……!!」
「レナ……」
涙と嗚咽は、後悔と悲しみの象徴としてレナの身体から止めどなく溢れていく。僕はそれを全て受け止め、そしてレナの心が少しでも癒されるように、強く強く抱きしめ続けた――
****
「ぐすっ……ひっぐ……」
「落ち着いたか?」
「はい……ごめんなさい……もう少しだけいいですか?」
「もちろん」
あれからしばらくレナは泣き続け、僕は彼女を慰めるために抱きしめ続けていた。
正直、つらかった。別に抱きしめるのが苦痛だったとか、そういうのではない。レナの悲しみが……痛みが……僕には辛かった。そして、何も出来ない自分が憎い。
「あたしが……もっと早くにマルク様にお願いしていれば間に合ったのかな……」
「先程の女性から伺ったんだが、母君がお亡くなりになったのは、レナがいなくなってから三日後だったみたいなんだ。その時は、まだ奴隷商人の元で拘束されていただろう?」
「三日……そうですね、マルク様の言う通りです。なら、もう少しだけ連れていかれるのが遅ければ……」
結果論から見ればその通りだっただろう。だが、きっと母君が亡くなったのは、レナという心の支えが無くなってしまったからだと僕は思っている。だから……きっとこの運命は変えられなかったと思う。
「レナは何も悪くない。きっと母君もそう思っているよ」
「そうでしょうか……え、これは?」
自分を責めるレナを救うには、これが一番可能性があると思った僕は、少しだけレナから離れると、目も顔を真っ赤にしている彼女に手紙を手渡した。
「ここに案内してくれた女性が、僕に預けてくれたんだ。亡くなる前日に、母君が書いたものらしい」
「お母さんが……? 寝たきりで殆ど動けなかったはずなのに……」
レナは小さく呟きながら、手紙の内容が僕にも見えるように広げてくれた。
僕なんかが見ていいものだとは思わないが、レナがこうしているという事は、僕にも見てほしいという事だろう。彼女が望むなら、僕はどんな事でもしてあげたい。
そんな事を思いながら手紙を見ると、そこにはこう書いてあった。
『れな しあわせになってね からだに きをつけてね わたし あなたのおかあさんで しあわせだったよ れな あいしてるわ』
「おかあ……さん……」
手紙に書かれた字は小さくてガタガタで、かなり読みづらい。それに、内容だけ見れば少ないと思うかもしれない。でも、その少ない文字には、母君のレナに対する愛情が沢山感じられるもので……気づいたら、関係の無い僕も涙を流していた。
「お母さん……お母さん……!」
「レナ、ちゃんと母君にお礼を言っておいで」
「うんっ……」
レナは僕からゆっくりと離れると、母君の墓石の前に行き……墓石に力強く抱きついた。
「ありがとう、お母さん……ひっぐ……一緒にいてあげられなくて、ごめんね……あたしもね、お母さんの娘で幸せだったよ……」
母親に精一杯甘える子供の様に、優しい声色で語り掛けながら、涙を流すレナ。一方の僕は、親子の邪魔をしないように、その場でレナが戻ってくるまで見守っていた。
「レナ、もういいのか?」
「はい。あんまり泣いてるとお母さんが心配しちゃうので」
「わかった。じゃあお供え物を置いて帰るとしようか。サルヴィ、例の物を」
「かしこまりました」
ずっと黙って僕達を見守ってくれていたサルヴィから、薄紫色のチューリップを一本と、果物がたくさん入ったバスケットを受け取ると、墓石に供え、両手を合わせた。
このチューリップも果物も、事前にレナに聞いていた、母君の好きなものだ。本当なら直接手渡す予定だったんだが……こんな悲しい形で渡したくはなかった。
「お母さん、喜んでくれるかな」
「きっと大喜びしてるだろう」
「大喜びかぁ……お母さん、大人しい人だったから、大げさに喜んでるのが想像できないです」
とても優しい目で墓石を見つめながら、レナはぽつりと言う。
いつかレナが母君の死をしっかりと乗り越えられた時は、母君との思い出を聞いてみたいものだ。
「あの、マルク様。もしよければ……また……」
「ああ。また一緒に来よう」
「ありがとうございます。それじゃお母さん、今日は帰るね。また来るから、ゆっくりしててね」
レナは墓石を優しく撫でてから、僕達を連れてスラムの方へと歩き出す。
そんな中、僕はもう一度墓石の方に振り返ると、そこにはチューリップを持った、レナと同じ薄紫色の髪の美しい女性が、僕達を見つめながら微笑んでいた。だが……その姿は僕が瞬きをした次の瞬間には、消えてしまっていた。
今のは……心配で見に来たのだろうか?
ご安心ください。あなたの娘は僕が必ず守り、幸せにして見せます。だから……どうか天から彼女を見守ってあげてください。
そう心で語り掛けながら、僕は墓石に向かって深々と頭を下げた――
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