第12話 奴隷少女のお願い

「あの、マルク様……」


 ある日の夜、いつもの様に自室で過ごしていると、読書をしていた僕にレナがおずおずと話しかけてきた。


「ん?」

「あたし、マルク様にずっとお願いしたい事があって……」


 僕にお願い? レナにしては珍しいな……出会ってからそれなりの時が経ち、身体の傷も栄養失調もかなり改善され、本来の美しさを取り戻しても、まだ僕に遠慮をしているのか、あまり自分を出さないレナのお願いとあれば、聞かないわけにはいかない。


「僕に出来る事なら、いくらでも君の望みを叶えよう」

「ありがとうございます。あたし……お母さんに会いに行きたいんです」

「母君に?」


 レナの母君は、確か病気で寝たきりになってしまったと言っていた……心配だし、会いたいに決まっているよな。でも、僕に遠慮してずっとその気持ちを隠していたんだろう。


 ……僕は馬鹿だな。レナを第一に考えていたつもりだったが、あくまでそれは僕のそばに置いて守る事が前提で、家に返すという選択肢が無かった。そんな簡単で大切な事に気づかないなんて……もっと早くに気づいて、僕から提案するべきだった。


「あ、その! 帰りたいわけじゃないんです! いや、帰りたいですけど……ご恩のあるマルク様と、離ればなれにはなりたくないんです。でも、やっぱりお母さんも心配で……それに、あたしは優しい人に出会えて無事だから、心配しないでねって言いたいんです」

「レナ……わかった。次の休みに一緒に行こう。場所は?」

「スラムの西ブロックです」

「わかった」

「ありがとうございます!」


 僕が答えると、レナは嬉しそうに笑った。


 この前みたいに誰かと鉢合わせたら面倒だし、なるべく早めに出た方がよさそうだ。あと、手土産も準備しないとな……レナの母君は何が好きなのだろう。あとでレナに聞いておかなければ。


 それと……先程は離れたくないと言ってくれたが、きっとそのまま家に残りたいと言うだろう。そのために、父上への言い訳を考えておかないといけないな。反抗的で気に入らなかったから捨てたとか言っておけば、誤魔化せるだろうか――



 ****



「マルク様……」

「なんだ?」

「こんな綺麗なお洋服を着せてもらって良いんですか……?」

「もちろんだ。これから母君に会うのだからな」


 次の休みの日の早朝、予定通り城を出た僕達は、馬車に揺られてスラム街の西ブロックへと向かっていた。


 ちなみになぜレナがそんな事を言っているのかだけど、今の彼女は綺麗で動きやすいドレスを着ているからだ。彼女の髪と同じ薄い紫色を基調としたドレスで、前々から準備していたものだ。


「お母さん、きっとビックリするだろうな……」

「だろうな。奴隷として連れていかれた娘がいきなり来ただけでも驚きそうなのに、その娘がドレスを着ているのだから」

「そうですね。お母さん、綺麗って言ってくれるかなぁ」


 久しぶりの母君と再会できるから、レナは起きてからずっとニコニコしている。


 そうだ、僕の見たかった彼女の……いや、大切な民の顔はこれなんだ。みんなが笑って、幸せで……決して凄く裕福じゃなくても、普通に生活して笑っていられる……それが僕の理想だ。


「いつか……実現してみせるさ」

「マルク様?」

「いや、なんでもないよ。サルヴィ、どれくらいで目的地に着くだろうか?」

「三十分もあれば到着すると思われます」


 前回北ブロックに言った時よりはかからないな。早く母君に会わせてあげたいから、早くに着くに越した事は無い。


 その後、レナと他愛もない話をしながら馬車に揺られ続け――サルヴィの言った通り、約三十分程で西ブロックの入口に到着した。


 スラムの外観は、北ブロックとほとんど変わらない。建物はボロボロで、ここに住む民達からは生気が感じられない。


「……やはりどのブロックも同じ感じだな……ここでも民達が……レナ、僕の手を」

「ありがとうございます」


 先に僕とサルヴィが馬車から降りると、案の定スラムに住む民達の怨嗟がこめられた顔を向けられた。続いてレナが僕の手を取って馬車を降りると、その表情は驚きに変わっていた。


「え、あれって……レナちゃんじゃない?」

「そんな馬鹿な!? あの子はデブの商人に無理やり……」

「……っ!! おじさん、おばさん!!」


 レナはひそひそとこちらを見ながら話す中年の男女の元へと、全力疾走で向かっていくと、二人の間に飛び込んでいった。


「ほ、本当にレナちゃんなのかい?」

「うんっ! ただいま……!」

「レナ……! よかった、無事で本当によかった……!」


 僕の前では見せた事のない、年相応の話し方で話すレナの声は、僕が今まで聞いた事がないくらい甘えていて。何故か少し嫉妬してしまうくらいだった。


「でもどうして無事だったんだい? それにその綺麗な格好は?」

「えっと、話せば長くなるんだけど……全部あの人のおかげなの」


 レナの視線を辿るように、二人の視線も僕へと向かう。それを合図にすように、僕は彼らの元へと歩み寄っていった。


「はじめまして。私はマルク・ジュラバルと申します」

「ジュラバル……やっぱりあんた、この国の!」

「はい。第四王子です」


 真っ直ぐと向き合いながら答えると、男性の表情が更に強張った。僕からは見えないけど、きっと周りの民達も同様だろう。


「マルク様の元に奴隷として行ったんだけど、すごく良くしてもらってるの。だからみんな、マルク様の事をそんな目で見ないで!」

「……レナちゃんがそう言うなら、わたしは信じるよ。王子様、レナちゃんに優しくしてくれてありがとう。ずっと心配していたの」

「いえ。目の前に苦しんでいる民がいたら、王族として助けるのは当然です。それよりも……皆さん、本当に申し訳ない。僕達王族や貴族のせいで、毎日辛い生活を強いさせてしまって」


 以前北ブロックに行った時の様に、民に深々と頭を下げる。今回も罵声や物が飛んできても全てを受け止めようと思っていたのだが、周りからは動揺の声だけが聞こえてきた。


「マルク様は悪くないから、みんな責めないで! そうだ、あたしお母さんに会いに来たの! マルク様、サルヴィさん、あたしの家に案内しますね!」

「……彼女は……リゼットさんは……」

「……え?」


 何故か凄く言いにくそうに俯く女性。隣で男性も険しい表情を浮かべながら視線を逸らした。


 ……嫌な予感がする。いや、きっと僕の考えすぎだ。人生そんな残酷な事ばかりがあってたまるか。頼むから……これ以上レナを苦しめないでくれ……。

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