第3話 奴隷少女レナの過去
「あたし……あっ、私……」
「普段通りに喋っていいよ。その方が喋りやすいだろう?」
「あ、ありがとうございます……」
いきなり出鼻を挫かれる形になってしまったが、改めて口を開いた少女は、今度こそ自分の事について語り始めた。
「あたし、レナっていいます。ジュラバル王国にあるスラム街に住んでいました。あたしの家は凄く貧乏で……お母さんが一人で私を育ててくれました」
「父君はどうしたんだい?」
「浮気して、家を出ていって……それっきり」
「……すまない。軽率な質問だった」
「い、いえ。もう過去の事ですから。あたしは気にしてません」
口ではそう言うが、たった一人の父親に裏切られたんだ。きっと僕の想像なんか軽く超えてしまうくらい、つらい思いをしただろう。
「いくら働いても裕福にならなかった。それでも、私はお母さんと過ごせて幸せでした。ですが……それからしばらくして、お母さんが倒れてしまいました」
「母君が……?」
「はい。お母さんは病気で、寝たきりになってしまったんです。あたしはお母さんのお世話をしながら、必死に働いて……お薬のお金を稼いでいたんですけど……お金を借りないと生活ができないくらいになってしまって……」
「……そうか」
レナの母君の事や、借金の理由は想定外だったが、それ以外は大体僕の思っていた通りの流れだったか……そうじゃなければ、どれだけ幸せだっただろうか。
もしもの話をしていても仕方がないのは重々承知だが、それでもそう思ってしまう。
「事情は把握した。今まで一人でよく頑張ったね」
「あっ……」
「そして、本当にすまない……全ては僕達王族や貴族達の傲慢が招いた事だ……そのせいで、君達のような貧しい民が苦しんでいる……本当にすまない……!」
僕はレナの隣に移動すると、深々と頭を下げた。
こんな事をしても許されるような事ではないのはわかっている。きっと何の意味もないだろう。わかってるさ……それでも、僕は彼女に謝りたかった。いや、謝らないといけないんだ。
それが、なんの権力も持たないとはいえ、王族としての僕の役目だと思ったからだ。
「これが詫びになるかはわからないが、この城にいる間は、僕が君を守る」
「え……?」
「誰が何と言おうと、君はレナという一人の人間で、大切な民の一人だ」
目の前で苦しんでいる民がいて助けないなんて、何が王族だ。何が国だ。そんなのクソくらえだ。今まで何も出来なかった僕の手が届くところに、こんなに傷ついている民がいる。なら……助けるしかないじゃないか!
「ありがとう、ございます……あたし、もうずっと酷い事をされ続けて……もう死んじゃいたいって思ってて……ぐすっ」
「今までつらかったな……よく頑張った……そういえば名乗っていなかったね。僕はマルク・ジュラバル。この国の第四王子だ。まあ王子といっても、何の力も持っていないけどね……」
「よろしくお願いします、ご主人様」
ご、ご主人様? 確かに主人と奴隷っていう関係で見れば、何も間違ってはいないが……レナは僕にとって奴隷じゃないんだから、この呼び方は不適切だな。
「僕の事は名前で呼んでくれ」
「マルク様」
「うん、それでいいよ」
本当は様付けなんて……とも思ったが、これが一番妥当な呼称だろう。変に馴れ馴れしい呼び方を続けて、もし誰かに聞かれたら面倒な事になりかねない。
「さて、今食事と服を用意させてるから、もう少し待っててくれ」
「あっ……ごはんはありますから」
「そうなのか?」
なんだ、随分と気が利いているじゃないか。てっきり奴隷なんかに飯はやらんみたいな感じだと思っていた。
「これです」
「…………」
レナが差し出したものは、ペット用の皿に乗せられた、何を混ぜたのかわからないような茶色い物体だった。
こんなの、どうみたって人間の食べるようなものじゃない。気が利いてるなんて思ったけど、撤回する。やはりこの国は腐っている。
「こんなのじゃなくて、ちゃんとしたのを用意させてる。もう少し待っててくれ。そうだ、食べるなら胃に優しい方がいいだろう。それに寝具の用意もしないといけなかったな。使用人に伝えてこよう」
「あ、マルク様……」
僕はレナの声を背中に受けながら部屋を出ると、先ほどと同じ場所に立っていたサルヴィに声をかけた。
もう僕の頼んだ事の共有が済んだのか? 相変わらず仕事が早くて優秀な男だ。
「何か御用でしょうか?」
「すまない、先ほど伝え忘れていた事があって。食べ物は胃に優しい物を。あと、寝具の用意も頼む」
「かしこまりました。すぐに手配いたします」
「ありがとう」
僕の申し出を快く引き受けてくれたサルヴィは、他の使用人やメイドを集めて、テキパキと依頼の共有と寝具の準備を始める。これならさほど時間がかからずに準備が出来そうだ。
そんな事を思っていると、不意に肩を叩かれた。それに反応して振り向くと、そこには一人の男性が立っていた。
僕と同じ銀の髪に青い瞳だが、目つきは僕よりも鋭く、身長も高いこの男性は、王家の長男——王位継承権第一位でもある、ロイ・ジュラバル兄上だ。
「マルク、この騒ぎは何だ」
「ロイ兄上。いえ、なんでもありませんよ」
「何でもないという事はないだろ」
サルヴィが呼んだと思われる、たくさんの使用人やメイドたちが忙しなく動くのを怪訝な顔で見つめるロイ兄上に、僕は笑って誤魔化す。
正直に話しても、きっと理解は得られないだろう。
「そうだ、あの奴隷はどうだ?」
「ロイ兄上、奴隷の事をご存じなのですか?」
「ああ。父上と共にオークションに行ったからな。それで、どうだった?」
「どう、とは?」
「決まってるだろ。あの女の抱き心地だ」
「…………」
ロイ兄上の品の無い発言に、僕は何も言い返す事は無かった。
ロイ兄上は無類の女性好きで、頻繁にたくさんの女性に手を出している。いまだに子供が出来てしまった事がないのが不思議なくらいだ。もしかしたら、僕が知らないだけで、出来てもしまっても、その事実をもみ消しているのかもしれないが。
「奴隷の割に、顔は整っているから興味があってな。とはいえ貧民層だったから、身体はかなり貧相なのはいただけない。やはり女はもっと肉付きがよくないと――」
「ロイ兄上。私に何か御用があって、お声をかけてきたのではないのでしょうか?」
「いや、特にない。通りかかった際に騒がしかったから、何かあったのかと思って声をかけたついでに、あの女の事を聞きにきただけだ」
「そうですか」
一体ロイ兄上は女性を何だと思っているんだ。女性はあなたの都合の良い道具じゃないのに……もう何度もそう言ったのにいまだに変わらないのを見ると、ロイ兄上は一生このままなのだろう。
「とにかく、私は忙しいので。お引き取りを」
「ああ、そうする。そうだ、もしあの奴隷に飽きたら俺に寄こせ。俺好みの体形にして遊びつくしたい」
「機会があればお譲りしますよ。機会があれば、ね」
そんな機会は絶対に訪れない。僕は彼女を守ると誓ったのだから。だが、こうでも言わないとロイ兄上は満足しないだろうから、あえてそう言うしかなかった。
……自分で言って、自己嫌悪に陥りそうだ。
「はあ……」
「マルク様。準備が完了しました」
「も、もう終わったのか。迅速な対応、ありがとう」
ロイ兄上と話している間に終わらせる手腕に驚きつつ、自室に戻ると、僕のベッドの隣にフカフカの布団が置かれ、テーブルの上には美味しそうなおかゆが湯気を立てていた。そして、少し大きめな薄紫色のローブに身を包んだレナが、ちょこんと部屋の隅っこに座っていた。
「そんな隅っこにいないで、こっちにおいで」
「あ、あの……あたし、こんな素敵なお洋服を着せてもらって良いのでしょうか……」
「もちろん。君に着てもらうために、サルヴィに用意してもらったものだから。この食事も君のためだ。あまり胃に負担がかからないものを用意してもらったんだが……」
「そんな、あたし……いただけません」
遠慮をしているつもりだろうけど、レナの目線はおかゆから全く離れてない。口端から僅かによだれが垂れている事に、本人は気づいていないのだろうか?
「君のためのものだから、君が食べてくれないと困ってしまう」
「……で、では……いただきます」
そう言うと、レナは座って食事を始める事はせず、なんと床に皿を置いて、それにそのまま口をつけようとした――
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