第19話 声紋の魔法
先生も気がついた。
サーカスを見にきたのだろう。
そのほかにも大勢の人たちがいた。
ダルクバートンは足を止めて、アレンの顔をじっと見つめた。
「あ、先生」
アレンは目をそらせないまま、先生に向かって小声で言った。
「行きましょう」
ダルクバートンは、周りの誰にもすぐにわかるような、いかにも貴族らしい格好だった。
サーカスの入退場者で、周りの人ごみが動いている中、ダルクバートンは根が生えたように突っ立ていた。目をアレンに据えている。
ご丁寧にもおつきらしい人物も一緒だった。
「ダルクバートン様」
年配のその人物は、地味ながらも貴族の御曹司に仕える者としてふさわしい格好だった。
「もうお帰りになられてはいかがでしょう? 父上様とお母様がお待ちになっていらっしゃいます」
「ちょっとだけだ」
「サーカスなどをご覧になられるとは庶民的にすぎます」
ダルクバートンがこっちに向かってやってくる。
アレンはいかにもその年頃の貴族の娘らしい格好をしていた。そのほうが楽だからだ。魔法をかけなくて済む。
なんの魔法も使っていなかった。素顔だった。
「いきなりで大変失礼ですが、お嬢さん」
ダルクバートンはちょっと顔を赤らめながら、話しかけてきた。
後ろでは忠実な彼のお付きが難しい顔をしている。
「自己紹介をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「いや、こんな場所では失礼でしょう、あなた」
割り込んだのは、リーバー先生だった。
「本当に仰る通りなのですが」
落ち着いてダルクバートンは返事した。
さすが侯爵家の御曹司である。
自分の名前を出せば、誰もが喜んで知り合いになりたがる。それは国内でも権勢を誇る大侯爵家の嫡子ならではの発想だろう。
「私はダレン侯爵家のダルクバートンと申します。お差し支えなければ、こちらのご令嬢のお名前を伺っても?」
「これは、ダレン家のご子息とも存じ上げず失礼いたしました」
先生は言葉つきは丁寧だが、事務的な調子で答えた。
「侯爵家に敬意を払わぬわけではございませんが、こちらの令嬢は婚約者がもう決まっておられまして」
「そ、そうなのですか」
「ですので、お伝えしましてもあまり……それに先方の思惑もあるかと存じまして」
「まあ、せっかくこちらは名乗ったのです。今後、どこかのパーティなどでご一緒しないとも限りませんし……」
ダルクバートンはさすがに強気だ。だが、先生は首を振った。
「私にはご紹介する権限がございません。ですので、こんな街中ではなく、どこかのご邸宅なりで見掛けられましたら、その折りにこそ、どうぞお声かけいただけましたら」
「なるほど」
そう言いながら、ダルクバートンは痛いほどアレンの顔を見つめてきた。
「知っている方によく似ています」
「それは……なんとも言いかねますが……」
そう言いながら先生は身振りで、もうここを離れると言った様子を示して、ダルクバートンのお付きに素早い目を向けた。
お付きの方は瞬時に意味を悟って、ダルクバートンに言った。
「さあ。このような街中で話し込むようなことではございますまい」
「一つだけ。あなたは、シャンボールの生徒ですか?」
「いいえ」
アレンは一言だけ答えた。嘘ではない。アレンはオーグストスの生徒だ。なんならダルクバートンとは、今朝会ったばかりだ。
「さあ」
先生はアレンに声をかけ促した。
「とっとと歩きなさいよ!」
先生の声が荒くなった。
「地声を聞かせてどうするつもり」
「いや、否定できるところは否定したかったんで」
「覚えやがったぜ、あの野郎」
「何を?」
「声を。あいつ、声紋の魔法を持ってるんだって」
「ええっ?」
「声を記憶する能力だ。個人の識別に使える。先に言っときゃよかった」
「先生の声は?」
「抜かりないさ。あいつ、変な顔をしていただろう。俺はあいつの教師だから知っているが、声紋の魔法を持っていることは知られないようにしている。誰もが用心するからな。声を変えるくらい簡単だ。だから俺の声は誰だかわからずじまいだろうが、アレンの声はバレたぞ」
「え……どうしたらいいの?」
先生は黙り込んだ。
「まあ、確証はない。それにあいつだって、お前や他のやつにこの話をする訳にはかないだろう。自分が声紋の魔法持ちだってバレてしまうからな。どうしてお前に声をかけたのかって理由も言いたくないと思う」
「どうして声をかけたのだろう」
「知り合いに似ているって、言ってたじゃないか」
突然、機嫌が悪化した先生は扱いにくい。
そしてつぶやいた。
「せっかくのデートが台無しだ」
「……デートじゃありません」
「デート気分なんだよ。ずっと年寄りの真似ばかりさせられてみろ。嫌になるぜ」
「早く、本物の恋人を探した方がいいのでは?」
この一言は全く余計な一言だったらしい。先生の機嫌がますます悪化した。
「この格好じゃ、ババアの恋人しか見つからないだろ?」
「うっ」
そう言われれば確かにそうかもしれない。いつもは、歩くのも危なげなフラフラの老人姿だ。
「そんなわけで、ダンスパーティよろしくな。俺はお前をダシにパーティに行けるんだから。今の一言、忘れんなよ」
先生は忘れている。アレンはパーティなんかちっとも行きたくない。
「本物の恋人を探せってやつですか?」
「そう。俺に恋人作れって勧めた以上、責任取れよ?」
「はあ……」
恋人探しなんか、自分でどうにかしてほしい。
サーカスに連れて行ってくれたり、護衛がわりを勤めてくれて、街に出やすくなったのはうれしかったが、代償にダンスパーティへの出席は嬉しくない。
「レッドやバートと街にいく方がいいか?」
アレンは考えてみた。確かにそれも楽しそうだが、素のままの自分を曝け出してなんの問題もない先生との『デート』?はとても気楽だった。それに、なんだか知らないが、安心感があった。
でも、ここでイエスというと、なんだか調子に乗りそうだ。
「どうかなあ?」
アレンはちょっととぼけて見せた。
目に見えて先生はがっかりしたらしかった。
「そこはイエスって言えよ。俺の方がずっと……」
「?……ずっと? なんなんですか?」
「あの、ええと、ずっと、あの、金をかけていると思う。ちょっとそれは言いにくい話だが」
途端にアレンの方が目に見えて冷え込んだ。冷たい声で答えた。
「……書き出しておいてください。事情が許すようになったら、両親から、支払ってもらいますから」
「ああ! 今のは、あの、冗談だから」
「いいえ。気持ちよくおごってもらえるような気になりました」
そう言って、アレンは勢いよく、約束していた衣装店のドアを開いた。
そしてその百メートルほど後ろには、ダルクバートンが、やめましょうよと嘆願する子どもの頃からのお付きの訴えを断然無視して、アレンの跡を付けていた。
「絶対に間違いない」
ダルクバートンはブツブツ言った。
「ぼっちゃま、一体、何を言っているんです。社交界では見たことがない娘ですよ? 貴族の娘じゃないと思いますよ。まさか、あんな娘を追っかけるだなんて仰るおつもりじゃないでしょうね?」
「うるさいな。知り合いなんだ」
「え? どこで?」
「魔獣狩りで」
魔獣狩りって。どうやって、そんな場所で貴族の子女と知り合いになったんだろう。
「あの子に間違いない。同じ声だ」
アレンとも同じ声だ。顔もよく似ている。
どうしてアレンがいるんだろう?
そう言えば、アレンって誰なんだろう?
「もう、戻りましょう。お父上様が心配されます」
「いやだめだ」
意外にしつこい。小一時間も店の外で頑張られたのには辟易した。
そのうち二人は出て来たが、従者はうっかり正直なことを言って、若様の機嫌をさらに損ねた。
「あの二人、きっと恋人なんですよ。とても仲が良さそうじゃありませんか。それに誰もお付きを付けていない。身なりから言って相当いいところのご令嬢でしょうに、二人きりということは……痛っ」
若様は背が高い。それに相応しい横幅がある。軽くどつかれただけでも、従者のマクシミリには結構こたえる。
「あの二人を調べろ」
「調べてどうするんです?」
「調べれば、どうにかなるかも知れないだろう」
もはや呆れるのを通り越して、マクシミリは叱りつける口調になってしまった。
「ダルクバートン様、今日、旦那様が王都からわざわざお越しになられたのは、ぼっちゃまのご婚約をお決めになりたいご意向だと思いますよ?」
パッと、ダルクバートンは振り返った。
「知らぬ娘と勝手に婚約など決められてたまるか」
「ええと、ですから、こっそり見学の機会を持たせたいと奥様がおっしゃっておいでで……」
黙り込んだダルクバートンに、マクシミリは追い打ちをかけた。
「だって、ぼっちゃまは侯爵家の跡取り。それにもうすぐ、名門のオーグストス学院を主席でご卒業の予定です。学校を出れば、当然、いろいろな場所に公式にご挨拶に出向かねばなりません。今の国王陛下は……」
知っている。今の国王は有能だ。だが、有能すぎて、臣下の結婚にまで口出ししてくる。
「それこそ地方の男爵家だというのなら、誰も口も出さないでしょうが、ダレン家の場合はそうもまいりません。ましてや、ダルクバートン様がここまで優秀ということになると……」
「その話は、こんな街中でする話じゃないだろう」
従者は、若様の袖を引いた。
「ですから、屋敷に戻りましょう。お父上様とお母様が待っていらっしゃいます」
ダレン家の本邸は王都にあったが、マドリーユにも別邸があった。マドリーユは貿易の拠点、特に魔獣の輸入については輸出国ノワルに近く国内随一の港湾都市でもあるからだ。
大きな貴族の家のほとんどが、マドリーユに別邸を持っていた。
また、魔獣狩りで名声を立てることは、名誉でもあった。
魔力持ちであることは、貴族の証と考えられていたからだ。
オーグストス学院に入学することは、その意味でも名誉なことであった。しかもダルクバートンは主席卒業である。
もちろん魔獣狩りが名誉と言っても、職業的な冒険者として名を馳せることは、貴族として誉められることではなかった。貴族たるもの、なんによらず商売にしてはいけない。だが、魔獣を簡単に倒せるということは名誉なのだ。
「お父上様も、ダルクバートン様が、学院主催の魔獣狩りで、他校の生徒も合わせて一位の名誉に輝いたことをお聞き及びでございます。ことのほかご満足、お喜びでございます」
おもねるように、マクシミリはダルクバートンに言ったが、ダルクバートンはそのことばを聞くと、黒い眉を余計しかめた。
だって、主に魔獣を倒したのは、さっきの娘だったのだ。
異常なまでの魔力だった。
「初めての魔獣狩りでラバンを十匹、これだけでも前代未聞でございます」
マクシミリはうやうやしく言った。
「さらには、B級魔獣のラバンイーターを倒すとは。しかも初戦でございます。全く素晴らしい跡取りだと巷では大変な噂になっておりまして」
得意がる父の姿が目に浮かぶようだ。
実は父はあまり魔力が強い方ではなかった。貴族らしくないと陰口を叩かれて、それをこっそり気に病んでいた。
息子のダルクバートンにかなり強い魔力持ちと判明した時、一番喜んだのは父だった。
「全然、嬉しくないぞ」
ダルクバートンは正直に言ったが、従者は感動したらしかった。
「なんと謙虚なご性格でございましょう! ですが……」
彼は帰る馬車の中で声をひそめた。
「あまりに優秀過ぎて、王家に引っ張られるのではないかと、父上様は心配していらっしゃいまして……」
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