魔法使いと冒険者

buchi

オーグストス魔法学院

第1話 名門オーグストス魔法学院

もう日が暮れかけた頃に、壊れかけたトランクをいかにも貧しい馬車に乗っけて、やせっぽっちで背の低い少年が、魔法学校の門をたたいた。


門番小屋から小太りの門番が顔をのぞかせた。


「あー、特待生のアレン・ディー君ね。今日から入学を許可されたって言う」


少年の貧しそうななりを上から下までじっくり眺めてから、門番はようやく答えた。


少年は緊張したようにうなずいた。


門番は、少年の身長の二倍くらいありそうな鋳鉄製のものものしい門を開けて、みすぼらしい馬車が通れるようにしてくれた。


「平民の寮はあっちだ」


門番は軽蔑したように、あごでレンガ造りの建物を指した。


「あ、馬車はダメだ。ここで留め置きだ。なんだ、自分で荷物を運ぶんじゃないのか?」


少年は白い顔をさらに青白くして困った顔をした。確かに、一人でトランクを運べそうには見えなかった。


御者がサッと、少年のそばに寄ってきて、聞き取れないような小さい声で言った。


「私が運びましょう。レンお嬢様」


「でも、お金を渡してないのに、そんなことをしたら、見咎められない?」


「大丈夫でございますよ。かわいそうに思ったと言っておきますから」



彼らの声は門番には聞こえなかったが、門番は後ろから聞こえるような大きな声で独り言を言った。


「なんだ、なんだ。荷物も運べないのか、弱っちいなあ。この名門オーグストス学院に入学を許可されたってのに、そんなこともできないのか」



オーグストス学院は、魔力の多い貴族の子弟が多く通うことで有名な男子校だった。


だけど、レンは女の子だった。




レンの家は王国の中でも奥深い辺境にあった。


その城は古めかしいだけでなく、山の上に立っていて、砦を兼ねていた。


外敵に向かって戦う気満々な城塞だったのだ。


「誇り高い一族じゃ。古い歴史を持つ旧家だ。魔力の多い者が生まれることで有名である」


白いヒゲを蓄えた祖父がゆったりとイスに座りながら、孫娘に昔語りをした。


「今でもそうなの?」


「さあな」




だが、レンが十五歳の時、見知らぬ使いが城へやって来た。


その使いが、前触れを出してきた時から、城中の様子が変わった。


遠くからその旗印を見つけた家中の者たちが、父に報せた。


旗ひとつで何がわかるのか。


レンは好奇心にかられたが、まるでその使いが疫病神でもあるかのように、彼女はマチルダやそのほかの侍女たちの手によって、奥の塔に閉じ込められてしまった。


「一体何なの?」


レンは文句を言ったが、侍女たちは必死だった。


「少しだけご辛抱くださいませ」


「誰が来るの?」


「何かケーキでも焼きましょうか?」


「それとも、内緒で本を借りてきましょう。お嬢様のお好きな魔獣百科。お父様に叱られますけど」


「魔獣百科!」


魔獣百科は、この世の魔獣すべてを網羅したと言う噂の本で、魔力の有り余ったレンが読みたがるので父たちは弱っていた。


世の中には、魔獣狩りに従事する冒険者と言う職業がある。


レンのような令嬢がする仕事ではないのだが、魔力が有り余っているレンは、興味がある。魔獣に興味があるのではなくて、魔獣相手になら思う存分魔力を行使できるからだけど。


「それとも、魔法戦士列伝でも?」


これまた令嬢にしては、変わった趣味の本だった。


魔法戦士とは、あらゆる武器に魔力を乗せて使う騎士たちのことである。


剣には急所を突く能力を、矢には目的を射抜くコントロールを、そしてすべての武器に威力を付け加えるのである。


魔法力が相当ないと務まらないのだが、自分の魔力に自信満々のレンお嬢様には、公然と魔力を振るえる楽しい仕事だくらいにしか思えないらしい。



奥の塔と呼ばれているところは、街道に続く正門側から見て一番奥にある。

人の出入りなど見えない。


普段はあまり手に取ってはいけない、淑女らしくない趣味だと取り上げられている本を読んでいいと言う特別の許可を得て、森側の庭に面した窓のそばに腰かけた。



「まあ、お嬢様はお料理を手伝えば台所を爆発炎上させましたし……」


侍女が小声でヒソヒソ囁く。


「あれは困りました。お兄様が急いで復旧の魔法をかけてくださったからいいようなものの、危うく夕食なしになるところでございました」


「あの後、お兄様は三日ほど疲労で使い物になりませんでした。魔法力は学院でトップクラスだったと言う、あのお兄様が。お嬢様はぴんぴんしておいででしたけど」


「お母さまのドレスにアイロンを当てた時は……」


「あれは語るも無残でしたわ。どうしてアイロンひとつで、ドレスだけでなくてアイロン台までダメにするのか……」


「灰になってましたものね」


侍女たちはため息をついた。



「魔法戦士列伝とか魔獣百科とか読ませたら、ただでさえ何をやりだすかよくわからないのに……読ませない方が……」


侍女たちはそわそわしていたが、侍女頭のマチルダは命令した。


「ダメです。どうでもこうでも、塔に押し込めておいてちょうだい」


そして、マチルダは出て行ってしまった。



レンは本に熱中しているふりをして、耳を澄ませた。



彼女の名は、フローレン・バルトマルグ。


ビストリッツ地方を治める辺境伯一家の末娘。


豊かなアッシュブロンドの髪と、目は、縁は濃い青だったが、そのほかは薄い空色。色むらがある様に見え、まるで宝石のようだ。星のような目をしていた。


とてもきれいな子どもだったが、本人は、兄の影響を受けてか剣や乗馬に夢中なお転婆な子だった。


一つには、突出した魔法力があったからかもしれない。


剣に魔法力を薄く乗せれば、その剣は無敵になる。

両親すら勝つことが出来ない。


だが、みんなして、そんなまねは卑怯だと教えこんだ。


「父として威厳が保てない」


と言うより、むしろ、レンが何をやらかすか戦々恐々だった。



いま、おとなしく本に夢中な振りをしているのは、理由があった。


感知の魔法。


遠く離れた事象を感じ取る魔法。


そろそろと範囲を広げて、わずかな音を拾って行く。


『ギーー』


あまり使われない正客間の正面の扉の開く音がした。


(正式の客人だ)


『……殿。そのような旧い昔の約束を、未だ覚えておられたとは』


父が朗々と笑う声がほのかに聞こえたような気がする。


レンは父の声を捕らえ、全神経を集中させた。


『……本気でございます。先代からのお約束でございました。ビストリッツ家に娘御が生まれたならば、必ず婚約させようと……』


父が何か言っている。


雑音で聞こえない。


「お嬢様、お菓子をお持ちいたしましたよ? お茶を淹れましょうね」


「後にして」


レンは言った。


「もう少し読んでいたいの」


「でも……」


「食べたくなったら呼ぶわ」



客人と父は何か言い争いをしているらしい。早口なので聞き取りにくい。


『婚約の儀を……』


『どう間違って伝わったのか知らぬが、娘はおらぬ』


祖父の声がした。


『あいにく、当家は男の子だけじゃ』


余りに長く沈黙が続いたので、レンがもう客人は帰ってしまったのかと思い始めた頃、低い声が妙にはっきりと聞こえた。


『十年前のお約束に従って、フローレン様はジルベルト様の婚約者です』



本からパッと顔を上げて、レンは本城のある方を振り返った。


だが、途端に何も聞こえなくなった。


多分、父か祖父か、誰か魔法力のある者が、遮断の魔法をかけたに違いない。


あの客人は誰だろう。





一族の者は、レンをお嬢様と呼んでいた。


ビストリッツの者は、たいてい大なり小なり魔法を使えた。


その中でもご領主様の一家の魔力は半端なかったが、レンの力は規格外だった。



それから、しばらくして、父がレンを呼んだ。


「お前は学校へ行って、武術と魔法の使い方を勉強しなくてはいけない」


父親が重々しく告げた。


「だけど、目立ってはいけない。お前は平民として入学するのだ」


「なぜでしょう?」


レンは大きな青い目を見開いて尋ねた。


「虐められでもしたら嫌ですわ」


一族は王から辺境伯の名を与えられていた。十分な身分だ。その娘なら、誰からも一目置かれるだろう。


「平民も武力や魔力を認められて入学している」


兄が口を挟んだ。


「だが、辺境伯の娘として入学すると、勉強にならないからな」


父が妙なことを言い始めた。


「みんなが辺境伯のご令嬢には手加減をすると思うんだ」


確かにそう言う一面もあるだろう。


一族の男性は、みんな彼女に優しい。


幼馴染のキースだって、最近では「お嬢様を傷つけるわけにはいかないから」と手加減する。


「だから、平民の少年として入学しろ」


「えっ?」


さすがにこれには、レンも目をむいた。少年?


「剣の腕を磨きたいのじゃろ?」


おじいさままでもが言い出した。


「平民の少年相手に誰も手加減せん。それに万一のことがあっても、お前ならケガぐらいどうにでもするじゃろ」


「学校は学校だ。そんな無茶はしない。生徒同士が小競り合いをやらかすなら、わからんでもないが」


レンはおかしな方向に話が進むので、ますます困惑した。


確かにレンは、ドレスにも宝石にも興味はなかった。幼馴染のキースやマリアは、妙にそれを惜しがっていた。

ついでに言うと侍女たちもである。

「お召しになれば、どんなにお美しいことか」


しかし、着せ替え人形ではあるまいし、ドレスを着たところで面白くもなんともない。


侍女たちがうっとりするだけだ。


近所の貴族のお茶会にでも出ようものなら、何を言われるかわかっていた。そろそろ縁談をほのめかされるのがオチだ。レンだって、それくらいの常識はある。


辺境伯の令嬢ともなれば、迎え入れたい家は多いだろう。


だが、並外れた魔法力を持つレンは、それを使いたかった。

魔法戦士でも、冒険者でも、きっと卓越した存在になるに決まっていた。


貴族の奥方になってしまったら、レンの能力が生きない。


「そりゃ、奥方様がお茶を淹れるたびに、台所を吹っ飛ばされる心配をしなきゃいけないなんて、困った話よねえ。辺境伯様なら、台所の一つや二つ、直ぐに作ってくださるだろうとは思うけど」


これはマリアの言い分である。


「いいじゃない。嫁入り先の心配がないだなんて。それに旦那様が浮気しても、レンの方が強いと思うわ」


それはそれで、なんだか嫌だ。圧倒的に弱い夫と言うのもいかがなものか。


「だから魔法学院に行くのだよ」


おじいさまが言葉を重ねた。


「世の中は広い。お前よりもっと強い人間だっているのだ。お前も自分の力の限界を知らなくてはいけない。出来る範囲を増やし、少ない魔法力で出来るだけ大きな効果を上げる鍛錬を積むがいい」


魔法力を磨き、武芸を磨く。


レンにとっては魅力的だった。



「しかし、無試験での入学は……」


レンはこだわったが、家族に押し切られた。


「気にすることではないよ。然るべき推薦状があれば誰でも入れるんだ。それに平民の少年じゃ、金や身分にものを合わせてのゴリ押しなんかあり得ない。実力を見込まれたと思われるだろう」


「剣の腕も磨ける」


父が言った。


「さあ、紹介状だ」


父は一枚の紙を渡した。


「ルーン・リヴォア?」


レンは、推薦者の名前を見て、首を傾げた。


全く知らない名前だ。親戚の誰かだろうか。



家族は、娘を学校にやることについてなんだか悲しげだったが、幼馴染のキースは、オーグストス学院の名前を知っていて大興奮だった。


「知ってる! 知ってる! 試験だけじゃなくて、推薦状も必要だ。武芸は見ればわかるが、魔力の方は感じられる者にしか感知できないから、魔法力のある人に推薦状を書いてもらうんだ!」


「その学校、私でも通用するかな?」


心配になって来たが、キースは一瞬黙ったのち爆笑した。


「無理! 男子校だよ!」



****************


レンは、オーグストス学院の寮で、手元の魔法ランプを灯して荷物を片付けながらキースの言葉を思い出した。


もう、日はとっぷりとくれて、あたりは真っ暗だった。平民専用の寮だそうだが、寮生は少ないようだった。


学校へ行くのはいい。自分から率先して頼みたいくらいだ。


「でも、なんで男子校なの?」


両親に尋ねたが、大丈夫だと繰り返すだけ。


「校内に知り合いもいる。無茶をしないようにこっそり頼んであるから、安心しなさい」


安心できない。



それに、キースだけではなく、辺境伯の館の誰にもレンは行き先を告げるわけにはいかなかった。


女の子が、男の子として男子校に入学するだなんて、おかしすぎる。


遊び友達だった門番や家政婦の子どもや、すぐ隣の領地の男爵家の娘のマリアにも、花嫁修業のための貴族の学校に一年だけ通うのだと嘘を言った。友達に嘘を言うのは、あまりいい気分じゃない。


両親は、オーグストス学院に行くことを誰にも言うなと強く注意した。


キースは執事の子どもで元をただせば親戚にあたるらしかったが、唇を尖らせて、お転婆なレンに花嫁学校はないだろうと言ったし、マリアは本気でうらやましがった。


「王都の学校ね? 私も行きたいわあ」



場所も違うし、学校の目的も違う。


万一、キースやマリアが王都の学校に行くことになって、レンを探してもきっと見つからないだろう。


もっとも、多分キースやマリアの家の財力ではそれは無理だろうし、そもそも行く必要がなかった。


「でも、一年だけだから」


明日から来ていく服をきちんとしまい込んで、レンはつぶやいた。明日からは学校だ。


何があるかわからないが、ここで頑張ってみようと少女は思った。

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