何かになれる薬

@saba4625

何かになれる薬

 ここに「何かになれる薬」がある。ネットの通販で買った娯楽用の古い商品だ。この薬を飲むと夢の中で何かになれるらしい。それは動物や植物であったり、はたまた細菌にもなれ、物質なら本人が望むものになれると言われている。ちなみにこれといった副作用はなく、ちゃんと安全が保障されている。私はその薬を飲んで寝てみた。

 私は兎になった。兎はか弱い生き物だ。生態系ピラミッドの中でも第一次消費者(草食動物)という大分下の方に位置する生物であるので、天敵が多く虎やオオカミはたまた猫にまで狩られてしまう。だから臆病に慎重に生きていく。今日も草むらの中を隠れて生きていく。しかし兎も悪いところばかりではない。なぜなら強い脚がある。この脚があればどんなところでも素早く走れるから、いつでも簡単に逃げられる。小さな前足は穴を掘ることができるから、寝床の心配もない。穴の中は如何なるものも来ないセーフポイントだ。しかしそれでも怖いもの怖く、私は心配だ。小さな兎は今日も今日とて敵に合わないことを願いながら臆病に生きていく。

 私はオオカミになった。オオカミは強い生き物だ。オオカミは森の誰よりも強く、傲慢だ。まさに森の王とも言え、今日も兎や猫を気ままに狩っていく。しかしその傲慢な心は他者と群れることを許さず、オオカミは常に孤独だ。一人でいるから自尊心も誇りも膨れ上がり、悪いオオカミになっていく。故にオオカミは狩られてしまう。いつも一人でいて自分の世界しかないから、自分よりも強い生き物にあった時に実力差に気づかず殺されてしまう。悪くなるオオカミは今日も自信満々に森の中を歩く。

 私は杉の木になった。木は生まれた時から足が地球とくっついて動けないから不便で退屈だ。やることもないのでのんびりと町の風景を眺めている。散歩している犬、車に乗っている人間どれも楽しそうに歩いていて羨ましい。しかしそんな私にも春には楽しいことがある。花粉だ。枝から放たれる花粉を人間に目一杯ふりかけてやるのだ。そうして慌てふためく人間を見るのが愉快でたまらない。ただただ退屈である杉の木は今日も暇つぶしを探し続ける。

 私は人間になった。人間というのは不思議な生き物だ。他の生き物よりも考えることに長けているから個々それぞれで行動や仕草が大きく異なる。なぜなら誰しもがもっている物を区別するための定義が違うからだ。例えば、その人にとっての幸せはそれぞれ異なっている。だからなんにでもなれる。その人が不可能だと思わなければ、猫にも犬にもノミにもなれる。今日も私は何かになりたいがために必死に定義を理解しようとしている。

 この「何かになれる薬」はその使用者の価値観に影響されるところがある。例えば空を飛んでいる鳥をみて自由と感じる人もいれば、寒そうと感じる人もいるし、猫を魔女の使い魔という邪悪なものだと考えている国もあれば、幸運の象徴と捉えている国もある。つまりこの薬は動物を人間に置き換えただけのものであるともいえるのだ。植物に痛いという感情はあったとしても思考ということができないように、生物になっているのではなくあくまで人間の想像した人間らしい生物になっていると言える。とはいえ私は人を動物に置き換えるこの薬ことは悪くないと思っている。なぜなら生物を人間に置き換えることは自己分析につながると思うからだ。得た色々な情報のことから色々なことを分析して、本当になりたい自分らしい人間を見つけていくことがこの薬の目的ではないかと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

何かになれる薬 @saba4625

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ