『手の早い神父に気を付けろ ~ブラザー・デヴィンとシスター・リアン~』

大橋東紀

『手の早い神父に気を付けろ ~ブラザー・デヴィンとシスター・リアン~』

「尼さんよぉ、困ってる者に施すのが役目だろぉ」


 だから貧民街なんかに来たくなかった。

 三人のチンピラを前にシスター・リアンは思った。

 聖職者に絡む様な、こんな連中に出会う事になる……。


「お、よく見たら掘りが深いけど、可愛い顔じゃん」

「異民族のシスターなんて珍しい。俺たちと遊ぼうぜ」


 不意に手を握られたので、リアンがうろたえた、その時。


「求める者には与え、借りようとする者を断るな」


 背後から聞こえた声に、チンピラ達は振り返った。


「デヴィンさん!」

「神父様と呼びなさい。シスター・リアン」


 オールバックにした金髪に爽やかな笑顔。

 スラッとした長身には聖職者の日常着、黒いスータンがよく似合う。


「ほう、尼さんの代わりに、神父さまが恵んでくれるかい?」


チンピラ達に笑みを絶やさず、デヴィンは言った。


「子羊たちよ。金より貴重な物を、あなた方に授けましょう」

「ふざけんな、てめぇ、力づくで……」


 リーダーらしいスキンヘッドの男が、右足を一歩後ろに引いて臨戦態勢を取ったので、リアンは思わず叫んだ。


「やめて下さい!その人は……」


 ビュン、と何かが風を切る音がした。


「格闘技オタクなんです!」


 いつの間に振り上げたのか。

 デヴィンは右の爪先を、スキンヘッドの鼻先に突き付けていた。


「足を後ろに引いた〝ジンガ〟のポーズ。貴方もやるんですね。ブラジルの秘術カポエィラを」


 次の瞬間。

 体を風車の様に回させ、デヴィンは左右の足を、次々と相手の顔めがけて振り回した。


「わっ、ちょっと、待って、俺、そんなに上手くない!」


 避けるのに必死なスキンヘッドに向かい、デヴィンは両足を振り回しながら、恍惚とした表情で言った。


「武術とダンスの融合カポエィラ。さぁ私と踊りましょう、死の舞踏を!」

「兄貴っ!」


 チンピラの一人、黒髪の男がデヴィンに殴りかかった。

「ほう、珍しい」


 右の爪先をスキンヘッドの顔に突き付けたまま。

 上体を捻り、デヴィンは黒髪の拳を両手で受け止めた。


「この突き、詠春拳ですね。しかし……」


 上げていた足を下ろし。

 タンタンタン、と小刻みなステップで黒髪に歩み寄ると。

 デヴィンは速射砲の様に、両の拳を打ち込んだ。


「腰が高い、顎を引く、腋を締める!興味本位で習って、すぐに飽きたって所ですね」


 必死でデヴィンの拳を両手で防ぎながら、後ずさった黒髪は、つまずいて引っくり返った。


「この野郎!」


 残る一人がナイフを抜いた瞬間。


「よさねぇか!」


 背後から一喝され、チンピラたちは動きを止める。

 そこには裕福そうな身なりの、太った男がいた。


「ボス!」

「ボスじゃねぇ、社長だ!恥をかかしやがって」

「これはダンゲルフ社長」


 うやうやしく礼をするデヴィンに向かい、その男ダンゲルフは言った。


「ウチの若いのが失礼したな」

「いぇいぇ。いい運動になりました。先日は修道会に、多額の寄付をありがとうございました。


 ダンゲルフは、ギロッ、とリアンを見て言った。


「お宅では、異民族の女を飼ってるのか?」


 その一言に、リアンは青ざめた。

 サッ、とデヴィンが彼女をかばう様に立つ。


「信心に国の壁はありませんよ。ところで社長、週末のチャリティー・バザーにはいらっしゃいます?」

「ふん。異民族は盗っ人の集まりだ。気をつけな」


 侮辱され、悲しみと悔しさで胸が潰れそうになるリアンの横で。

 歩み去るダンゲルフに笑顔で手を振りながら、デヴィンは小声で言った。


「大口のスポンサーです。堪えて」


 涙を零しそうになりながら、リアンは頷く。

 ダンゲルフの後ろ姿が、通りの向こうに小さくなると、デヴィンは言った。


「よく我慢しましたね。ご褒美です」


 そうで言うとデヴィンは、傍らの屋台でリンゴを買った。

 侮辱された代償が、リンゴかぁ。

 そう思ったリアンに、デヴィンは言った。


「はしたないですが、スカートを持ち上げて走る準備をして下さい」


 次の瞬間。

 デヴィンはダンゲルフにリンゴを投げつけた。


「逃げろっ!」

「え、えぇええー!?」


 脇の路地へ走り込むデヴィンを追って、走りだすリアンの耳に「痛ッ!誰だ!」というダンゲルフの怒号が聞こえる。


「はっはっは。ざまぁみろです」

「いいんですか?寄付をしてくれる人なんでしょう?」

「悪どい商売でのし上がった男です。恨んでる奴は沢山いますよ。ところでシスター、なぜこんなガラの悪い所に?」

「貴方を探しに来たんですよ!」




「右、左、右、左」


 デヴィンが教会の窓を、布を持った右手を大きく動かして拭くのを、お行儀悪く芝生に座り、リアンは眺めていた。


「無断外出のお仕置きですか?」

「週末はバザーですからね。それに、これは腕と胸の筋肉の鍛錬になるのです。今度は左手で」


 また右、左と言いながら窓を拭くデヴィンに、リアンは尋ねた。


「神父様は、なぜ修道士になられたのですか?」

「私に興味を持ちましたか?」

「いぇ、私には選択肢が無かったから」


 リアンは赤ん坊の時、この教会の前に捨てられていた孤児だった。

 ここで育てられ、神学を学び、シスターになったのだ。

 私は異民族だけれど……父の顔も母の顔も知らない。

 この教会と、信仰が全て。他の世界を知らない。


 だけどデヴィン神父は。

 敬虔なクリスチャンと呼ぶには、あまりにも破天荒だ。


「母は信仰に生きた人でした」


 今度は「上、下」と、窓を拭く動きを変えながらデヴィンは言った。


「母は幸せだったでしょう。財産を全て寄付し、息子を神学校に入れ……。でも、父が死に、生活に困窮し、病に倒れた時。信仰で母は救われなかった」


 窓を拭きながら、顔をリアンに向け、デヴィンは言った。


「死の床で母は言いました。人生が辛くても、それは神に試されているのだと。母は天国へ行ければ満足でしょう。だが残された私は納得していません」

「デヴィン神父……」

「信仰を否定しているのではありません。それは心の強さです。だから私は、それを極めると同時に、体の強さも極めようと思っています」

「それで様々な格闘技を……」

「あと、もっと人々の生活を見たいのです。昨日の貧民街の様に。人が生きる場所で、信仰がどうあるべきかを模索しているのです」


 座っている膝を抱え、リアンは溜息をついた。


「偉いな……私なんか、ここしか知らない」

「よぉし、綺麗になった!」


 ピカピカになった窓ガラスに映る顔でリアンを見ながら、レヴィンは言った。


「もし、あなたが外の世界で生きたいと思った時は……。私が教会のお偉方を説得してみせますよ」



 なぜ、こんな事になったのだろう。

 チャリティー・バザーの日。人々で賑わう教会の中庭で。

 上半身、裸で対峙するデヴィンとダンゲルフを見ながら、シスター・リアンはオロオロした。


「東洋には、スモーというレスリングがあるんだ!」


 バザーが盛り上がって来た所で、ダンゲルフが突然言った。


「何も持たずに体一つで勝負する男の格闘技だ。デヴィン神父、俺と勝負しないか」


 やはり、部下を叩きのめされたままではメンツが立たないのだろう。

 それに、リンゴを投げたのはデヴィンだと気付いているらしい。


「あなた、なんて事を!おやめなさい!」


 妻の制止にも、ダンゲルフは「これは余興だよ」と折れない。

 上着を脱ぎだすデヴィンを止めていた教会のお偉方も、ダンゲルフの一言で動きを止めた。


「俺が負けたら、教会に去年の倍の寄付をする」

「いいでしょう」


 上着を投げ捨て、デヴィンは言った。


「僕が勝ったら、二度とシスター・リアンを侮辱しないでいただきたい」

「ちょっと待て、それ両方、お前が勝った時の……」


 続きを言わせず、デヴィンはダンゲルフに跳びとびかかった。

 わぁっ、と人々から歓声が上がる。


 二人が組み合った瞬間、デヴィンが真顔になったのを、リアンは見逃さなかった。


 社長さん、強いんだ!


 初めて見た時は、ただの肥満かと思ったけど。

 今はパンを埋め込んだかの様に膨れ上がっている、あの体は筋肉の塊だ。

 にやっと笑うと、ダンゲルフは言った。


「世界中を行商して、本場モンゴルにいた事もあってね。うちの若い奴とは違うぜ」

「僕もスモーはやりませんが、ジュージュツは齧ってます」


 押し合い引き合いしながら。互いに足を払い、踏みとどまり。

 デヴィンとダンゲルフの勝負は白熱した。


 神父様が押されてる?

 歓声をあげる人々の中で。リアンは首から下げたロザリオを握り締め、祈った。


 神父様、負けないで!

 ダンゲルフの耳元で、デヴィンは囁いた。


「あなたが若い時、異民族に騙されて苦労したのは知っています。でもリアンには関係ないですよ」

「男の勝負に説法は無しだぜ!」


 そう言うとダンゲルフは貼り手を繰り出した。

 パァン、と掌がデヴィンの顔面に命中し、鼻血が飛散る。


「神父様!」


 だがデヴィンは倒れず後ずさると。鼻血を垂らしながら小声で言った。


「彼女は親に捨てられて、ここしか居場所がないんです」

「だから勝負に関係ないだろ!」


 ダンゲルフはデヴィンに飛び掛かり、組み付いた。。

 持ち上げられて、投げられる、というその時。

 ガッ、と足を絡めて投げを防ぐと、血まみれの顔でデヴィンはニヤリと笑った。


「そう言えば言ってませんでしたね。私が負けたら……」


 何事かを耳元で囁かれ、ダンゲルフは動揺した。


「きったねぇぞ、神父!」


 動きが止まったその隙に、デヴィンが足を払い。 

 二人は同時に、ズゥン、と倒れた。


「いやぁ、引き分けですね。はっはっは」

「だから止めなさいって言ったのに!あなたって人は!」


 倒れたままムスっとしているダンゲルフに、妻が怒鳴っている。

 ひどい、社長さん、ケガしてるかもしれないのに……。

 リアンはダンゲルフに駆け寄ると、手を差し伸べた。


「大丈夫ですか?社長さん」


 ダンゲルフは、しばらくリアンの顔を見ていたが。

 差し出された手を握り、立ち上がると。

 吹っ切れた様に笑い出した。


「とんでもねぇ悪魔みてぇな神父だ!それに比べて、このシスターは天使だ!」


 リアンを肩に乗せ、ダンゲルフは人々に言った。


「シスターを侮辱する奴は、俺が許さんからな!」




「どんな魔法を使ったんですか?」


 教会の中庭で。バザーの後片付けをしながら、リアンは尋ねた。


「優勢だった社長が、急に弱くなった様に見えました。それに私に優しくなったし」

「簡単ですよ」


 掃き掃除をしながら、デヴィンは答える。


「あの日、彼が貧民街にいた理由を言ったんです。あの町にある娼館に通っているんですよ。彼は、ああ見えて恐妻家でね」

「もしかして神父様があの町にいたのって……」

「えぇ、スポンサーの弱みを握っておけば、役に立ちますからね」


 リアンは理解した。

 あの時、ダンゲルフの部下が貧民街にいたのも。

 今日、ダンゲルフが急に勝負を挑んで来たのも。

 全部、繋がっていたんだ。


「あれ?でもどうして私に優しくなったんですか?」

「それは私じゃなくて、あなたが魔法をかけたんじゃないですか?」


 デヴィンは青タンの出来た目でウインクした。

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『手の早い神父に気を付けろ ~ブラザー・デヴィンとシスター・リアン~』 大橋東紀 @TOHKI9865

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