第348話 スパイ大作戦(5) at 1995/11/22

『どこに行くつもりですの? 上ノ原さん! まだお話しは終わってませんわよ!』


『……どいて。そこを通して』



 そう、ちょうど僕が更衣室の天井のすみっこにある小さな亀裂から室内を覗き込んだタイミングだった。更衣室のドアを塞ぐように立っている二人の女子生徒に行く手を阻まれたロコは、



『はぁ……話なら充分聞かせてもらったわ。それから――』



 憮然とした顔つきをしてうしろを振り返り、続けてこう吐き捨てたのだ。



『あたしの話はまるで聞いてもらえないってこともわかったから。勝手にすればいいでしょ?』


『勝手なのはあなたの方じゃない、上ノ原さん! それに、あなた……三年に向かって――!』


『もう退でしょ? まだセンパイ面する気? いいかげん、ウンザリなんだけど?』


『な――なんですって!?』


のり――副部長! もうやめて!』



 元・副部長だった境屋さかいや典子のりこセンパイらしき人影は、もうひとりの厳しい声――恐らく、元・部長の大河内おおこうち聡美さとみセンパイに違いない――に気圧され、一旦踏み出した足を渋々引き戻した。



『……帰っていいでしょうか?』


『ごめんなさい。あとひとつだけ……質問に答えてくれるかしら?』



 はぁ……とあまりに露骨なロコの溜息が聴こえた。

 それを肯定と受け取った大河内センパイは、ゆっくりとした口調でこう尋ねる。



『上ノ原さん、あなたから見た桃月天音さんは、体操部の部長にふさわしい誠実な子かしら?』


『……』



 ロコはむっつりと黙り込み、返事をためらっているかのようにみえた。

 やがて、前を向いて、きっぱりとこう答える。



『天音は、あたしの大事な友だちです――ううん、でした。だから……きっとうまくやれます』


『そうね。きっと』



 大河内センパイは微笑んだようだった。



『――けれどね? あたしはあなたにこう聞いたのよ。あの子は、、って?』




 ロコは――答えない。

 どれだけ時間が経っても、ロコはその問いに答えようとはしなかった。




 溜息が聴こえた。




『あなたたち、上ノ原さんを通してあげてちょうだい』


『………………失礼します』



 ――ぱたん。



 ドアの両側に立つ三年生二人のとがった視線を浴びながらも、ロコは姿勢を正したままドアを開け、そして出て行った。た、た、た、と階段を降りる音がする。きっとそこでも非難の目が容赦なくロコに襲いかかっていることだろう。だが、ロコはそれでも下は向かないはずだ。



『ど、どうして帰したのよ、聡美っ! あの子、あんなナマイキな態度で……!! くうっ!』



 し……ん、とした静寂を金切り声でずたずたに引き裂いたのは、境屋センパイの叫びだった。



『ねえ、どうしてなのっ! 今回の騒動は、全部あの子のしわざだったのよ!? 本来なら、警察沙汰になったって、少しもおかしくないくらいじゃない!? なのに……なのに……!!』


『典子、あなたは感情的になりすぎてる。きっとそれは――ううん、それは言わずにおくわね』



 いまいちピンとこないセリフだったが、それを聞いた副部長は、ぐ、と言葉を詰まらせた。


 聞き分けのない子をあやすように、大河内センパイはこう言葉を続ける。



『……それにね、典子? あたしにはどうしても、今回の騒動の犯人が、あの上ノ原さんだとは思えないの。他の部員の子たち、みんなだってそう。だって、みんな大切な仲間なんだもの』



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