第50話 だが男だ at 1995/5/2

「……ひゃっ!」



 みんなの視線が教室の中央に集まっていたせいか、僕が近づくまで気づかなかったらしい。



「あ、あの……僕に用です? こ、古ノ森君、ですよね?」



 少しクセのあるショートボブの奥から、声変わりしてなさそうな不安げに震えたセリフが辛うじて聴こえてきた。っていうか、あれ? 佐倉君って男子だよね? 女子じゃないよね!?


 背丈は男子にしては低めで、カラダの線が細くてずいぶんと華奢な印象だ。五月に入ってだんだん暑くなってきたこの頃なのに、ブレザーをしっかり着て、ネクタイも締めている。その両肩を、ひし、とかき抱くようにして、佐倉君は僕の方を前髪の奥からじっと見つめていた。



「ご、ごめん。怖がらせるつもりじゃなかったんだけど……」


「う、うん。大丈夫。ちょっと驚いちゃっただけ」



 ……やっぱり完っ全に女の子の声なんだが?


 手も白くて細くて、爪までツヤツヤしててきれいだし、のどぼとけもあるんだかないんだかってくらいなんだが? おまけに、そばにいるだけで物っ凄くいい匂いがして鼻先をくすぐる。


 って、いかんいかん!

 とっとと本題に移らないと。



「あのさ、佐倉君? 郊外活動の班ってもう決まった?」


「き、決まって……ないです……」



 えっと……なんか僕、避けられてる?


 佐倉君は気まずそうに視線をそらしている。お、ちらっと鼻から顎のラインが見えたぞ。だが、やがてそこを一筋の涙が伝い降りてくるのを見てしまった僕はすっかり動揺してしまった。



「さ、佐倉君?」


「僕……いつもこうなんです。なよなよしてて、臆病で。こんなの……気持ち悪いですよね?」



 周りの騒音がかき消え、佐倉君のすすり泣く、すん、すん、という音だけが耳に届いた。



「気持ち悪いなんて……そんなこと、思ってないよ。だってまだ、佐倉君のこと知らないから」


「……ふぇ?」



 不安と疑問が入り混じった囁きに似た返事が聴こえてきた。



「佐倉君のことがもっとわかれば、そんな風に思わなくなるんじゃないかな? そう思うんだ」


「そう……ですか?」



 僕のセリフを聞いて、佐倉君の顔がやっとこっちを向いてくれた。思わず安堵の息を漏らす。


 そう、なんとなくだけれど、不思議とこの時の僕は、佐倉君と、会社員時代に出逢ったある新入社員の子を重ねて見ていたのだ。



 人付き合いが苦手で、コミュニケーションが下手で。僕とは別の、高圧的で偏った物の見方しかしないチーフプログラマーのチームに配属されて、飲めない酒を強要されて、理不尽に叱責されるだけの毎日に、彼はすっかり憔悴してしまってまるで生ける屍のようだった。だから僕は、ランチタイムや仕事終わりに彼を誘っては、他愛もない話をしたり、彼の抱える悩みや苦しみを少しでも軽くしてあげようと耳を傾け、できるかぎり会う機会を増やしたりした。


 そして、とうとう上司に訴え出て、僕のチームに移してくれるように必死で頼みこんだ。


 けれど、僕の願いは結局届かなかった。

 ただただ無力さを思い知らされただけだった。



(いいんです。古ノ森さんの気持ち、すっごく嬉しかったですから……会えて良かった……)



 落ち込む僕に彼は、そう言ってくれたんだ。

 なのに、彼は――。



 もう、そんな後悔はしたくない。

 だから僕は佐倉君にきっぱりとこう言ったのだった。



「見てくれだけで悪くいう奴はいるかもしれない。だけど、僕は違うんだ。だからさ――」



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