第6話 どうしても会いたくない人 at 2021/03/30

(やっぱり来てない……よな?)



 酒を飲めない・・・・俺は、貸切状態のホールの、なるべく隅っこの方でちびちびペリエを舐めながら、続々と集まってくる『懐かしい』顔ぶれを一人一人盗み見ては、ホッと胸をなでおろしていた。



 俺には、どうしても会いたくない人がいた。

 彼女の名は、河東かわとう純美子すみこ



 ここに集まっている同級生より、今やむしろ少しオタク寄りの若い世代の方が彼女のことをくわしく語れるだろう。かつて大ヒットしたアニメ『超魔法少女☆ららる』の中で、特に重要な役割を担ったサブヒロイン・可愛かわい智美子ともみこを二〇歳で演じたことで一気に人気に火がつき、その後も数々人気作のメインヒロイン役を担当して、歌やドラマ、ラジオでも活躍中の人気声優だ。


 もう四〇歳だというのに、あいもかわらずアニメとゲーム中心の生活をしている俺なわけで、本来なら彼女が同級生だなんてメリットにしかならず、デメリット要素は皆無のはずである。



 しかしだ。

 それでも俺は、ここで純美子に会うことを、会ってしまうことを恐れていた。



 なぜなら、この二年十一組で出会い、その後同じ高校へと進学して、卒業式の前日に告白されて生まれてはじめて付き合うことになった女の子こそが、河東純美子だったからだ。


 もちろんその時の俺は、天にも昇る気持ちで幸せの絶頂だった。小・中・高と勉強ばかりの面白みのない学生生活を送り、無事現役で大学合格した俺にとっては、ようやく訪れた春、甘酸っぱい青春の始まりになるはずだった。いろんなことを妄想した。さまざまな夢を描いた。



 が、純美子との恋人関係は、三か月も経たずに終わることになる。



(――ごめんなさい。あたし、古ノ森君とは付き合えません。ワガママばかりでごめんなさい)



 告白をしたのは純美子で、別れを告げたのも――届いたのは一通の手紙だけだったが――純美子だ。もちろん俺にも非があった。生まれてはじめての『恋』に不慣れで不器用だった。彼女の相手としてふさわしかったとはとても言い難かった。消極的で、何をするにも恥ずかしがるばかりで、一緒にいてもさぞかしつまらなかっただろうな、と我ながら呆れるばかりだ。



 けれど、俺にとってそれは、はじめて経験した『挫折』だったのだ。



 そして、その後の俺の人生に大きな影響を与えた。ショックのあまり入学したての大学にも通う気になれず、機械の一部品になったかのごとく無心でいられる電子部品製造のバイトに打ち込んだ。元々はデート資金を入手するための手段だったのだが、何も考えなくてもいい、という点では実におあつらえ向きだった。


 しかし、そこそこまとまった金額が手に入ろうが、心は常に空虚だった。『生けるリビング死人デッド』まさにそれだ。もう一度チャンスがあれば、時を巻き戻すことさえできれば、うまくやれるのに――そんな女々しい考えに憑りつかれたまま、貴重な大学生活の三年間を無為に過ごした。


 ようやく彼女のことを忘れ――少なくとも表面的には――前に進むきっかけを与えてくれたのは、やっぱりコンピューターだった。


 無駄に貯め込んでいた資金で、当時の最新OSだったWindows XP搭載のパソコンを購入し、自宅に光ファイバーの高速通信も導入した。俺が夢中になったのは、汎用プログラミング言語のひとつ、C++だ。二〇〇三年に改訂版がリリースされたC++は、当時の俺には、革新的で洗練された魅力あふれる言語に思えた。なにせ格段に処理速度が速い。これまで一ユーザーとして利用してきたソフトやゲームを開発する際にも必ず利用されているという点も大きかった。


 夢中になれるものを見つけた俺は再び大学に通うようになった。


 そして同期より三年遅れたものの、希望していたゲーム業界の成長株の一角と目される『ホリィグレイル』への就職も決まった。複数内定をもらえた中でなぜここに決めたのかというと、今後主流になるはずのモバイルゲーム開発に非常に意欲的だったからだ。情熱のベクトルが見事に一致していたからだ。



 だがそれも、もう今となっては――。



 きゅっ、と胃が締めつけられるような、唾を飲み込むにも違和感を覚えるような、もう嫌になるほどお馴染みとなった不快さがこみあげてきて、投薬の時間だと思い知る。ラフすぎるだろうかと少し心配していた紺のフルジップパーカーの首元をゆるめると、右肩からかけたボディバッグの中を探って目当てのものを探す――あった。それを無造作に口中に放り込み――。



「――そういえばさー。古ノ森クンと河東さんって、あの頃付き合ってたって……ホント?」



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