大勝負
俺は今からこの男と賭けをする。
それも、ちょっとやそっとの額じゃない。庶民が聞いたら泡を吹いて卒倒するような文字どおりの大勝負だ。
シルビアは、俺の腕に体をぴったりとくっつけたままついてきた。
カモを逃すなよ。たぶん店のオーナーにそう言いつけられているんだろう。ご期待どおりに鼻の下を伸ばしちゃいるが、見方を変えれば連行される囚人みたいなもんだ。
奥にあるポーカーのテーブルには、既にかなりの数のギャラリーが集まっていた。
黒い蝶ネクタイをしたディーラーの前には封をしたままのカードが置いてある。ただ普通のテーブルと違うのは、クレイ製のチップの代わりに紫色の巾着袋が山のように積まれていることだ。
オーナーが巾着袋の山を右手で示した。
「お望みの通り、私もホプキンス様と同じだけの金貨を用意させていただきました。今夜、このテーブルに限っては、チップは掛け金と同額のこの金貨です。金貨が無くなったら、その時点で賭けは終了となります。よろしいですね」
「もちろんです。」
金貨と聞いて、ギャラリーの目の色が変わった。全く同じ巾着袋がちょうど百ずつ、テーブルの両端に積み上げられている。
その片方はオレが準備したものだ。
袋の中にはそれぞれ三十枚の金貨を入れておく約束だった。金貨一枚は中産階級の月収に相当する。それが三千枚。一流のカジノでも滅多に見られない大勝負だ。
「ねえ、ジェームズ。この中に本物の金貨が入っているんでしょう。袋の中身が見てみたいわ」
シルビアが、袋を手に取って眺めた。無邪気さを装ってはいるが、目の奥には別の色もある。
「そんなに気になるなら、自分で袋を開けてみればいい」
「いいの?」
「ギャラリーの皆さんも期待しているだろう。せっかく集まって下さったんだ。勝負の証人は、大切にしないとな」
「それじゃあ、失礼させてもらうわ。どれにしようかしら……」
シルビアは迷うように袋の上で指を遊ばせてから、ひとつの袋を持ち上げた。
「これに決めたわ。いいわね、中身を披露するわよ」
「どうぞ」
オレの言葉を待ってから、シルビアが袋の中身をテーブルの上に落とした。手垢のついていない三十枚の金貨が、まばゆい光を散らしながらテーブルに張られた黒いフェルトの上を撥ねる。
ギャラリーがざわめき、それに釣られるようにテーブルを取り巻く人の数も増えていった。俺はゆっくりと、散らばった金貨を手のひらで集めて袋に詰めなおした。
「店でご用意した方の袋もお見せしましょうか」
「いや、別に結構です。こんなに立派なカジノのオーナーが、田舎者を騙すためにわざわざ石ころなんかを詰めているわけがない。それにどうせ最後は、みんなまとめて私の懐に入るんです。ホテルのスイートルームでワインでも飲みながら。一枚一枚、じっくりと確かめさせていただきますよ」
「それはそれは、なんとも恐ろしい。ホプキンス様は、本気で私を破産させるつもりのようですな。私もこの商売をしているからには、それなりの覚悟はあるつもりですが、この寒空に路頭に迷うのは勘弁してもらいたいものです。せめてこの店の柱の一本くらいは残しておいて下さいよ」
オーナーは大きな腹を揺らせて笑った。
これだけの大金を目立つ場所に置いているんだ。もちろん無防備ってことはない。
ディーラーの他に、金袋を見張っている男が二人いる。一人はオーナー側の男で、もう一人が俺の仲間だ。オーナーに雇われている方はボクサー上がりだろう。腕もそうだが、首の筋肉が猪みたいに太い。
だが、俺はそんなことは気にしちゃいなかった。
リングの上のスポーツならともかく、こんなチンピラは俺の相棒の相手じゃない。
ほとんどのカジノには、マフィアの息がかかっている。だが、こんなに目立つ場所に本物の殺し屋は置かないだろう。涼しい顔をしているが、俺の相棒には墓の下に百人以上の知り合いがいる。そのうちの何割かは同業者だ。
俺は用意されていた席に座った。
シルビアが俺の座っている椅子の背もたれに手をかけた。
「ねえ、ジェームズ。私もここにいていいかしら」
「こちらから頼みたいくらいさ。君は私の幸運の女神だからな。もちろん、この後も付き合ってくれるんだろう」
「もちろんよ。今夜はあなたの貸し切りになってあげる。勝負が終わったら、二人っきりで祝杯を上げましょう。その後でゆっくりと、あなたの知らない素敵な事を色々と教えてあげるわ」
視界の隅で、カジノのオーナーがほくそ笑むのが見えた。
そもそも、俺をこの店に誘ったのはシルビアってことになっている。
とびきり面白い勝負がしたい。
俺の希望をオーナーに伝えてくれたのも彼女だ。ブロンドの髪を背中まで垂らした長身の美女。肩書きは金持ち相手の高級娼婦ってとこだ。この女を一晩買うだけで、その辺にいる労働者なら半年分の稼ぎが必要になる。
俺は隙を突いて、シルビアの引き締まった尻を触った。
ひゃっ。小娘みたいな声を出して、彼女はぴくっと反応する。
「ジェームズ!」
「ただの味見だよ。今夜の本番が楽しみだ」
「さあさあ、お戯れはそのくらいにして。ギャラリーの方々もお待ちかねです。よろしければ、そろそろ始めましょう」
オーナーが俺たちの間に割って入った。
「それでは、カードの封を切ります。ご確認ください」
ディーラーが箱に貼られた封印にペーパーナイフを差し込んだ。手元を見せながら、流れるような動作でカードを取り出す。
続けてディーラーは、見事なカード捌きでシャッフルを始めた。これもショーのひとつだ。テーブルを囲むようにびっしりと集まったギャラリーが息を殺して見守っている。
俺はディーラーを値踏みした。
黒いチョッキと赤いネクタイは、この店の従業員の制服だ。年齢は三十代の後半ってとこか。表情は変えないが、驚くほど広い範囲に目を配っている。
俺にはマジシャンの知り合いもいる。こいつの雰囲気は、ディーラーよりそっちの連中に近い。その気になれば、客の手札をコントロールするのくらい造作もないだろう。
「そこだ。そこで止めてくれ」
俺の声で、シャッフルする手が止まった。
続いてディーラーはカードを配り始めた。テーブルの上を滑るように投げられたカードが俺の目の前でピタリと静止する。距離だけでなく、角度まで完璧だ。
「見事なものですね」
「うちで働いているディーラーなら、これくらいの芸当は誰でもできます。さあ、ホプキンスさん。最初のカードをどうぞ」
俺に声をかけてから、オーナーが指輪の嵌った短い指で自分に配られた五枚の手札を一枚ずつ拾っていった。
この店のルールでは最初に五枚のカードを配る。チェンジは一回だけ。ポーカーには他にも幾つかのバリエーションがあるらしいが、このあたりのカジノではこれが一般的だ。
最終的に勝負は、カードの組み合わせによる役によって決まる。
最初にゲームの参加料としてチップを置き、手札に自信があれば自分で決めた賭け金を宣言する。その後に好きな枚数のカードを交換し、そのまま勝負するか、掛け金を更に釣り上げるかを決める。
途中で勝負を降りることもできるが、その場合は、その時点で賭けていた金は相手に奪われる。つまりハッタリで相手をビビらせて降りるように仕向ければ、弱い手札でも勝てるチャンスがあるってことだ。
俺は詐欺師だから、そういう駆け引きならまず負けない。だが、今夜は世間知らずの田舎者って設定だ。表情をわざと読ませたり、時々ポカをして見せる必要がある。
それでもゲームを始めてしばらくの間は、そこそこ勝っていた。
もちろんただの運じゃない。
店が初対面の客から金を撒きあげるのによく使う手だ。最初からあんまり負け続けたら、そいつはすぐに勝負をやめちまう。つまりこの勝ちは、カモをその気にさせるためのエサってわけだ。
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