詐欺師と女神と世界の終わり

千の風

詐欺師と女神と世界の終わり

1 カジノで笑う者

カジノの詐欺師

 さあさあ、お待ちかね。

 お楽しみの時間の始まりだ。


 勝負の開始を告げるベルの音。

 テーブルの上を行き交う色とりどりのチップ。

 ツルツルになるまで磨き上げられた象牙の玉が、ディーラーの指先からルーレットの中に放りこまれる。そして軽快な音を立てながら、その乳白色の玉は回転盤を逆方向に滑っていく。


 カジノってやつは賑やかでいい。

 もちろんルーレットだけじゃない。ポーカーやブラックジャック。ずらりと並んだスロットマシン。スーツやドレスで着飾ったカモたちの歓喜と絶望の声が、そこかしこで際限なく生み出されていく。


「どう、この店は」


 シルビアが耳元で甘く囁いた。

 ハスキーボイスは俺の大好物のひとつだ。室内の暖房は暑いくらいなのに、思わずゾクゾクしちまう。


「そうだな。ディーラーは一流だ。従業員もちゃあんと躾けられている。それにあそこにいる男を見てみろ。客のフリをしているが、ありゃあ店側のサクラだな。さっきから客の動きをずっと監視している。ここでマトモにイカサマができるとしたら、店の人間だけだろうさ」


「楽しめそう?」


「もちろん楽しむさ。俺は生まれつき困難ってやつが大好きなんだ。自分じゃ覚えちゃいないが、お蔭でお袋もひどい難産だったって話だぜ」


「迷惑な人ね」


「そういう男は嫌いかい?」


 シルビアは、ルージュを引いた真っ赤な唇でニッコリと笑った。

「時と場合によるわね。でも、スリルを感じさせてくれる男は好きよ。昔から退屈な男は大嫌いなの。堅実な男が好きなら、今頃は銀行員の女房にでもなっているわ」


 まさか。

 こんな女が家庭に収まるわけがない。


 シルビアは胸元が大胆に開いた真紅のドレスを着ていた。

 コイツに嫉妬深い亭主がいたら、これを見ただけで卒倒しそうだ。胸やブロンドの髪だけじゃない。宝石のような青い瞳の奥にどんな意思が隠されているのか。それを想像するだけでも心が躍る。

 俺は彼女の肩に腕を回そうとしたが、するりとかわされた。


「まだ早いわ。せっかちは勝負の敵よ」


「おっしゃるとおりだ。この悪い手にはお仕置きをしておこう」


「へえ……素直なのね。聞き分けのいい子で助かったわ」


 チンチン。

 ベルが二回、鳴らされた。


 チップを動かす客の手が止まる。

 さっきまで勢いよく回っていた象牙の玉がゆっくりと重力に捉えられ、渦を巻くように内側に吸い込まれていく。


 数字の下にあるポケットのどこに玉が収まるか。ルーレットはそれを当てるだけの単純なゲームだ。数字だけでなく、赤と黒。二色に塗り分けられた数字の、どちらかの色に賭けることもできる。


 カララララ……。コ、コ、コン。

 決まったか。いや、勢いがまだ強すぎる。一度入りかけた二十一番のポケットから玉が撥ね上がる。

 かわいそうに。そこに賭けていた奴は、天国から一気に地獄に突き落とされたような気分だっただろう。気まぐれな白い天使は結局は六番のポケットを選び、細かく震えながらそこに収まった。


 歓声、ため息。舌打ち。

 人間観察ってのは、実に面白い。

 負けた人間のチップは、先がT字型になった棒で取り除かれる。一切の容赦はない。これも人生の縮図ってやつだ。


 シルビアが、何かに気づいたようにオレの背中を指で押した。

「ほうら、この店のオーナーが来るわよ。そろそろ思い出して。あなたはだあれ」


「わざわざ思い出さなくても自分の名前くらいは覚えているさ。俺の名前はジェームズ、ジェームズ=ホプキンス。三十二才。相続した土地からたまたま石油が出て、大金持ちになったばかりのにわか成金だ。外見を着飾っちゃいるが、中身は根っからの田舎者。独身で、都会の洗練された女にからっきし弱い。趣味は金にあかせて女を口説くこと……」


 俺の指が、勝手にぴくりと動いた。

 そうだ。設定は重要だ。そしてホプキンスなら、目の前にこんな美女がいたら絶対に放ってはおかない。

 胸か、尻か。まあ、この位置なら尻だな。下からなで上げて、驚く女の顔を楽しみながら下品な笑みを浮かべる。後は、なりゆき次第だ。


「よくできました。お利口さんね。でも、そこまで役になりきる必要はないのよ」


 尻に触れる直前で、シルビアは俺の手をギュウッとつねり上げた。

 うおおっ。

 なんとか声を出さずに耐えたが、思わず体がのけぞる。くそっ、本気でやりやがった。大仕事の前なんだ。少しくらいはサービスしやがれ。



「ははは……。いや失礼。お楽しみの最中でしたかな」

 でっぷりと太った男が、つねられた手をさすっているオレに話しかけてきた。後ろに恰幅のいい男を、二人も連れている。

 この男とは前に一度だけ会っている。このカジノのオーナーだ。


 俺は、あわてたフリをして姿勢を正した。

「いやいや、別に構いませんよ。まだまだ夜は長いんだ。男女の間だって、逆転のチャンスはいくらでもある。それよりも先に勝負といきましょう。今夜のためにかき集めてきた金をムダにしたくない。なにせ、金は寝かせておくと腐りますからね」


「なるほど。ホプキンス様は素晴らしい見識をお持ちだ」


「遊び者だった叔父の受け売りですよ。……それにしても、ここは実に素晴らしいカジノですね。これだけ明るく賑やかだと夜と昼との区別を忘れてしまう。私の住んでいた田舎とは大違いです」


「お褒めにあずかり光栄です。でも、少し褒め過ぎではないですかな」


「そんなことはありません。納屋の隅っこに油臭いランプを置いて、悪童どもとポーカーをしていた田舎者には、この店は天国のような場所です。

 ご存知ですか。あそこでひと晩、徹夜で勝負をすると、トランプに牛の臭いついてが取れなくなるんです。それだけじゃない。一週間もすれば、指の先まで蹄に変わって本物の牛になる」

 耳の上に人差し指を立てて角の真似をすると、男は大きな声で笑った。


「はははは。これはまた、ご冗談を……」


「田舎の農場なんて、どこだって似たようなものですよ。遠出をする機会もろくになく、毎日が牛や馬とにらめっこだ。そのうち、人間と牛の区別までつかなくなる。

 そうだ。あなたはよく乳が出る牛の見分け方を知っていますか。あれはただ、乳房がデカけりゃいいってもんじゃない。胸の形とハリを見るんです。人間の女性と同じですよ。乳房が美しければ、それだけ高い値段がつく」


 俺はシルビアの芸術的なバストを眺めながら下品な笑みを浮かべた。鏡を見て、さんざん練習したやつだ。

 この田舎者め。オーナーの表情に嘲るような色が浮かんだ。

 抜け目ない男なら少しは空気を読む。これで俺への警戒心はかなり下がったはずだ。


「いやはや、なんとも独創的なご意見だ。でも、ご婦人の前で話すのはいかがでしょう」


「冗談、ただの冗談ですよ。お気に障ったのなら忘れてください。さてと、勝負の話でしたね。

 シルビアから聞きました。私の希望に沿った最高の舞台を整えてくださったとか。せっかく屋敷を留守にして都会に出てきたんです。今夜は期待してもいいんでしょうね」


「もちろん。テーブルはこちらです。ご案内しましょう」


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