憧れの先輩はツンデレで人に頼るのがヘタクソな、とても可愛い女の子だった

天江龍

ツンデレな先輩 水前寺瑞希

第1話

 水前寺瑞希すいぜんじみずきという名前を知らない生徒は、おそらくこの学校には存在しないだろう。


 彼女は俺の通う私立今川高等学校の、いわばアイドル的存在だ。


 聡明な美人とでもいうべきか、その長い髪は風に靡くだけで男子の視線を独り占めし、大きく少しキツそうな目には誰もが睨まれたいと懇願し、小さくも瑞々しい唇には、多分彼女を知る男性全てが一度は触れてみたいと妄想するに違いない。


 そんな彼女は俺の一つ先輩で、今年十八になる高校三年生。

 誕生日は知っている。七月七日の七夕だ。

 どうして知っているかといえば、去年クラスの男子どもがこぞって彼女の誕生日にプレゼントを送っていたからというなんでもない理由。


 その時唯一参加しなかった俺は全員から非国民扱いを受けたものだが、しかしそんな競争率の高い勝負に挑むほど俺も無謀ではない。


 いや。ただ敵が多いから逃げただけとも言えるが、しかし話したこともない先輩のことをよくそこまで好きになれるものだと感心はする。


 俺だって彼女のことを可愛いとか、綺麗だとか、手を握ってみたいとか、キスしてみたいとか、二人でどこか旅行に行ってみたいなんてことくらいは妄想するさ。

 

 ただ、届かないものに手を伸ばしてもカロリーの無駄遣いというもので。


 そんな冷めた発想を言い訳に、遠くから彼女を見つめるだけの時間はあっという間に過ぎて一年が経った。


 別に避けているわけでも、逆に積極的に出ることもなくただ遠くから見つめていた先輩。

 

 そんな彼女が今、なぜか俺の目の前にいる。

 いや、なぜかというのはあまりに白々しい。

 その理由に心当たりはあるのだから。


「あなた、藍沢薫君、だよね」


 彼女がそう呼ぶ俺は間違いなく、藍沢薫そのものだ。


 薫なんて男とも女ともとれるこの名前は個人的にはあまり好きではないが、もっと好きじゃないのは自分の性格。

 せっかく憧れの人が目の前にいて、さらに俺の名前まで知ってくれていたという光栄に預かってもなお、顔色一つ変えないこの捻くれた性格が本当に嫌いだ。


「はい、何か?」

「あなた。この前のこと、なんのつもり?」


 彼女のその疑問は最もだ。

 俺は、頼まれてもいないことをしたのだから。



 つい数日前のこと。

 下駄箱で偶然彼女を見かけた俺は、その姿で目の保養でもしようと彼女の方をチラチラ見ていた。


 すると。

 

 彼女の下駄箱から大量の画鋲が、バラバラと転がってきたのだ。


 俺はその光景にただただ圧倒された。

 嫌がらせにしてもあまりに大量のそれは危ないと感じる以前に気持ち悪さが勝つほど。


 しかし彼女はそれを見た後、落ち着いた様子でゆっくりと一つずつそれを拾い上げ、持っていた袋に全て入れたあとで何事もなかったかのように階段を上がっていった。


 一目見てすぐにどういう状況か、当然ながら理解した。


 彼女は嫌がらせをされている。


 学校のアイドル的存在の彼女の下駄箱から流れ出るものは、当然大量のラブレターだと想像していた俺にとってその光景はあまりにショックで信じ難いものではあったが、俺の目に映ったものは幻でもなんでもない。


 しかもあの量だ。 

 もはやただの嫌がらせというよりは明確な悪意を感じる。


 ただ、上級生の事情なんてものは知らないし、そもそも俺のような力のない人間に何かできることなんてない。


 だから見なかったことにしよう……などと割り切れる人間であれば、俺も少しは楽しい学校生活を送れていたに違いない。


 少し飛んでその日の放課後。


 俺は正門にいた。


「すみません、誰か下駄箱に画鋲を入れるいたずらをしていた人を見ていませんか」


 下校中の生徒一人一人にそう呼びかける俺に、もちろん誰も振り向かない。


 前触れもなしに急にそんなことを問いかけ始める俺が単に気味悪がられているというのもあるが。

 

 俺はこの学校ではある意味で有名人。だから誰も俺と目を合わせない。

 自分でそんなことをいうのは自意識過剰かとも思うが、事実だからしょうがない。


 ただ、部活動で名をあげたわけでも学業が優秀で注目をされているわけでもなく、もちろん不良のボスとして君臨しているなんて無双劇があるわけでもなく。

 ただ悪いやつという意味で有名になっただけのこと。

 悪名が轟いた、とでも言い換えれば少しは様になるだろうか。


 振り返る気もないが、その時のことを語らないわけにもいかないだろう。

 語る、というよりは愚痴る、か。



 去年、彼女の誕生日で盛大に学校中の生徒が騒いだあの日。七夕の日。

 騒ぎに紛れて、水前寺先輩のために持ってきていたプレゼントのいくつかが盗難にあったのだ。


 頼まれてもいないのに結構高価なものを用意してる連中もいて、事件の噂は瞬く間に学校中に広まることとなる。


 そしてだ。


 学校の男子で唯一彼女へのプレゼントを用意していなかった俺が、なんとまあ犯人に仕立て上げられたのだ。


 つるし上げられたともいうべきか。

 その噂もまた、広まるまでに時間はかからず、ただのモブだった俺は一躍窃盗犯として全校生徒にその存在を知らしめることとなる。


 もちろん盗ってないので物的証拠はないが、一人対ほぼ全校生徒とあって民主主義の採用されたこの国では当然のように、俺が黒であると判断されたのであった。



 とまあこんな具合に嫌われた俺の話に耳を傾ける奴なんているわけもなく。

 それどころかようやく立ち止まってくれた人がいたと思うと、「偽善者め」とか。「自分のやったこと棚にあげて正義面するな」とか。まあ辛辣なご意見を賜ったりもした。

 

 ただ、そんな罵声ごときでひるむようなら俺はそもそもこんなボランティアをやってなどいない。

 じゃあどうして話したこともない先輩のためにそんなことをするのか。


 それは何も彼女に恋しているからなんて素敵な理由ではなく。


 俺の性分だ。


 誰かが困っていたり、苦しんでいるのを見過ごせないのだ。

 これは今に始まった話ではなく昔から。


 小学校の時に給食費がなくなって疑われた友人がいた時も、決めつけはよくないと、頼まれてもいないのに庇ってみたり。

 その結果、みんなの推理が正しく俺が庇った奴が犯人だったというオチまでついてくるのが俺らしいところだが。


 そのせいで小、中学では随分いじめられたし、なんなら俺が真の給食費泥棒ということにまでなっていた。

 自称まずまずのイケメンなのだが、どうも周りからは盗人に見えて仕方ないようだ。


 ただ、そんな目にあっても体が動くのは性分としか言えず。

 人はそれを偽善と呼ぶが、俺にとってはこれは善ですらない。


 自分が犠牲になることで誰かが救えるのであれば喜んでそうしたいという素晴らしい志は、一方で自分自身はどうなっても構わないという自暴自棄でもあるのだ。


 プレゼント窃盗事件のことだって、俺が罪を被ることで真犯人の人生が狂わずにすむのならそれでいいと思って、だんまりを決め込んでいただけ。

 まあ、願わくはその犯人とやらが、俺の姿を見て自主的に更生してくれると身を削った甲斐があるというものだけど。


 じゃあどうしてそんなに自分が嫌いなのかという問いについては大した理由もないが、語るにしてももう少し後にしよう。

 今は目の前の美人な先輩が怪訝そうに俺を見ているから、まずそっちに意識をむけないと。


「別に他意はないですよ。俺はああいった陰湿ないじめが嫌いなんです」

「……別にいじめられてない。何かの間違いよ。だからあんなことされたら迷惑なの」


 迷惑。その言葉は昔も聞いた。

 いつも勝手に手を差し伸べて、頼まれてもいないのにお節介をやいて、結果的に相手から言われるのが決まってその言葉だ。


 だからそれもまあ慣れている。


「それは謝ります。でも、あの状況を見てやり過ごすなんてできないので」

「……どうして?」

「性分です。変わった趣味だと、それくらいに思っててください」


 随分かっこつけた言い方になったのは、多分美人で憧れだった先輩が目の前にいるから。

 まあ、気持ち悪いかっこつけだという自覚もあるが。


 しかし。


「……でも、一応礼は言うわ。あ、ありがとう」

「ありがとう? 迷惑なんじゃ」

「め、迷惑よ! でも、一応私の為にあんなことしてくれてるのにそれだけじゃ、ええと、私が悪い女みたいじゃない」


 そう話す彼女はさっきまでの凛とした雰囲気ではなく、随分と女の子っぽく、恥じらうように見えた。


「じゃあ、迷惑ついででもう少しだけ、呼びかけを続けてもいいですか?」

「それはやめて。なんか私がそうさせてるみたいだから」

「ええ、わかりました。じゃあこの前のことは忘れます。どうか気を付けて」


 早くこの場を立ち去りたかった。


 なぜかと言えば彼女がまぶしかったから、なんて言えれば俺も大したものなのだけど。

 実際は、俺なんかと話しているところを誰かに見られたら、彼女に対するいじめが増したり、変な噂に巻き込んでしまう可能性すらあると思ったから。

 敢えて先輩の名前を伏せて聞き込みをしたのだってそういう配慮があったから。


 だからさっさと身を引く。

 それは美学ではなく俺の処世術なのだ。


 と、理屈っぽい言い訳を内心で決め台詞のように語りながらその場を去ろうとすると。


 しかし俺の体は動かない。

 彼女の脇を通り過ぎて一目散に階段を目指しているはずなのに、何かに掴まれて動けないのだ。


「待ちなさいよ」

「……なんですか?」


 結構な力で彼女が俺の制服を引っ張って離さない。

 振り返ると、少し興奮気味に顔を赤くした彼女が、俺に向かって


「あのさ、どうしてもっていうのなら私の為に力になってくれてもいいんだけど」


 と。


 真剣に。なんなら怒ったように。

 目も合わせず。でもちょっと赤面して。


 その言葉に。その様子に、俺は。


 ……


 吹いた。


「プッ」

「な、なんで笑うのよ!」

「だ、だって。なんですかそのツンデレは。ひどすぎません?」

「ツ、ツンデレじゃないわよ!そ、そんなに人助けが趣味だっていうんなら、この前の御礼を兼ねて特別に継続させてやってもいいって言ってあげてるの」

「ぷっ、ぷぷっ……」

「ちょっと!笑うな!」


 こんな俺だから笑いのツボが少々ズレているのかもしれないが。

 

 それでも彼女の露骨なまでのツンデレがこらえきれない程おかしかった。


「た、頼むので黙ってください。もうおかしくて……ぷっ」

「最低! 人がせっかく良かれと思って」

「だ、だから喋らないで……うぷぷっ、あはは」


 こんなに笑ったのは久々だ。

 聡明で完璧だと思っていた彼女のあまりのツンデレ具合が滑稽すぎて、俺はしばらく目の前で怒る彼女の話も聞かず、ただ爆笑していた。


「はあ……こんなに笑ったのは久々ですよ。勘弁してください」

「ふん、もういいわよ。こんなに人に笑われたのは初めてだわ」

「でも、助けてほしいんですよね?」

「え?」

「助けてほしいなら、素直に言った方がいいですよ。俺、困ってる人間を助けるのが趣味なんで」


 本当にそれが趣味なわけはない。

 ただ、自分の言った冗談と彼女の言った言葉に合わせてそう話しただけだ。


 でも、そんな俺の話に彼女は笑うでもなく、顔を曇らせて答える。


「お願い……助けて」

 

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