第271話『隠滅』

 



 まるで誰かの手の平で踊らされているように、物事の全てが悪い方向へ簡単に進んでいく。

 ライラに最後に会った時から。いや、思えば初めて会った時からかもしれない。

 ……であれば裏で蠢いている者の正体は容易に想像がついた。例え意識してなかったとしても、昨日奴に助けを求めたかもしれないという事実が胸に刺さる。

 日常から一時の安らぎを与え、そしてその全てを根こそぎかっさらって言った存在に。


 しかし、いくら考えても現状を打破できるとしたらこの方法しか思いつかなかった。

 悲惨な状況に追い込んだ敵に頼るのはひどく屈辱的だが背に腹は代えられない。

 だから一縷の救いを求めて、もう一度だけ彼女の名を口にしてみることにした。



「ライラ、ここにいるんだろう。俺の声をどこかで聴いているんだろう。話をしよう」


 誰もいないはずの森の中で、ゼントは肺いっぱいに息を吸って声を上げる。

 それは彼が一番嫌っている化け物が人間の形をしていた頃の思い出。

 憎しみとも言える気持ちが相まって、つい高慢な態度で出てしまったが。


 今さら話をして一体どうするというのだろうか。一度は仲違いした相手、最後の光景を思い出した時には今でも彼の体は震えていた。

 それにきっとセイラは今頃、地下牢でもっと酷い扱いを受けている。もうゼントは元凶である彼女を許せそうにない。

 であるのに……彼はどうしたというのか。



 奴の性格を考えればずっと近くで観察されているような気がした。復讐として殺すわけでもなく、接触するわけでもなく、ただ見ているだけのような……

 その能力も彼女は持っている。おそらくジュリにも感知できないような潜伏方法で。


 森の中にゼントの声は虚しく響く。木々の中を反響し、長い時間をかけてようやく自身の耳に届いた。

 しかし、その後はただ沈黙が蔓延る。いくら待ったところで反応がどこからも返ってこないところを見るに、交渉は初めから決裂していたらしい。



 相分かった。ゼントは全てを察して目が据わる。

 これはおそらく、彼女のなりの復讐のつもりなのだろう。あの時、差し伸べた手を拒絶して逃げたことを恨んで……

 だから今の呼びかけに反応しないのだ。今さら歩み寄ったところでもう遅いと、執拗に絶望を突き付けるために。



「全部俺が悪かったから。俺にできることならなんでもする。償いをさせてもらえないか?」


 念のためにもう一度呼びかけてみる。今度は大分下手に出て彼女の機嫌を取り繕おうとした。

 でも無駄な努力だったようだ。こちらが絶望する様子を見て楽しもうとしているのか。よもや本当に聞いていないわけでもあるまい。


 ゼントの手には壊れた銀の髪飾りが握られていた。少女に送ったはずの大輪は跡形もなく、今は一枚の花弁が本体に辛うじて張り付いているのみ。

 実はあの時からずっと肌身離さず身に着けていたのだ。気休めのつもりか、あるいは未練のような女々しさからか。




 いずれにせよ、状況はいよいよ手詰まりになってきた。明日には何もかもが終わってしまうというのに。

 カイロスの言う通り、諦めて楽になった方が幸せなのだろうか。執着は人を不幸にすると言う。

 セイラに対してそこまで執着している自覚がさほどないのだが、ゼントには親しい存在が彼女しか残っていないのも事実。


 躊躇い考えあぐねた結果、強硬手段しか残されなくなった。

 これが今後の人生を決める重要な決断であることを彼は理解している。



 ◇◆◇◆




 翌朝――


 ゼントは雨の中、一人で通りを佇んでいた。

 思考も手段も持ち合わせることなく、呆然と立ち尽くす。

 近くの壁に寄りかかり、表情は死人も同然だった。


 森の中から帰った後、一人で悩み悶えた。

 手っ取り早く襲撃すれば考えることなく楽ではあるが、しかしうまくなどいくはずがない。


 例えばジュリに町で騒ぎを起こさせてその隙に、そしてすぐに逃げられるようユーラを町の外の近くで待機させて……

 しかしユーラを一人で置いておくのは不安しかない。何かあってからでは遅く、もう一人信頼できる人手があればよかったのだが。

 一瞬、長い黒髪が視界に浮かんだがすぐに過ちを正して幻想を消し去る。



 様々に思考を巡らせはしたが、結局どれも選択できなかった。いや。しなかったのだろうか。

 もう楽になりたかったのかもしれない。何もかも疲れて諦めてしまったのやも。


 今後一生、罪悪感に塗れて贖罪を続けるのかもしれない。しかし全て奴のせいだと決めこんで正当化できると思ったのかもしれない。

 代わりに、あの時セイラの提案を素直に呑んでいればこんなことにはならなかったのに、と後悔が募る。しかし悔やんでも悔やみきれず、もう何もかも遅い。



 まるで悪い夢を見ている気分だ。視界は白くぼやけていて白昼夢のような。

 逆に全てが夢であったらと思ったことか。叶うなら何度でも祈りを捧げ、真摯に願おう。


 しかし処刑への時間は残酷に、刻一刻と差し迫る。

 その最後までの時を顕著に表すかのように、通りを大きな荷馬車が遅い速度で進む。

 車の上には鉄格子が。これから処刑される女を乗せて闊歩していた。

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