第243話『転機』

 



「――おーい!」


 それはゼントが協会前を後にした直後の事だった。

 声に反応して振り返ると、どういう訳か先程別れたばかりのカイロスが追いかけて来ていたのだ。

 不思議そうに首を傾げると彼はやや息を切らしながら言った。



「ああ、振り回してしまって悪い。やっぱりお前のとこは事情を抱えているし、これだけは伝えておこうと思ってだな……」


 そうは言うものの声色は神妙か霊妙か、先程同様、言語化できない空気を漂わせていた。

 やはり言い難いことなのか、カイロスの表情には暫しの躊躇いが見える。


 長いこと一緒にいるのだから気など使わなくても良いのに。

 ゼントはそう思ったところでしかし、ただ息を飲むように黙って聞き入れることしかできない。

 カイロスは通りの中央から少し外れた路地に連れ込み、辺りを気にしながら耳打ちしてきた。



「実を言うと、この町では現在、深刻で不可解な事件が立て続けに起こっている」


「それは……」




「――人が殺されている……」


 ゼント呟いてから間を入れずにそう返す。


 んん? なんだ、なんて言ったんだ?

 その言葉はあまりにも衝撃的過ぎて、数瞬理解が遅れる。

 しかし言葉を嫌でも頭の中で反芻されては、自身の体から血液が薄れていくような感覚があった。


 カイロスは目を見据え顔は悔しさからか歯を食いしばり、手には固い握り拳を作り上げている。

 支部長としての責務故か、いずれにせよ二人の間に流れる空気は吐き気すら催すようになっていった。



「それもただ殺されてるわけじゃねぇ。元がどんな人だったかも分からないくらい無残に、なんなら骨までもが食い荒らされているんだ。一切の犯人の手掛かりすら掴めず、それがもう今朝までで三件も……」


「…………」


 一言だけでも常軌を逸ししているのに彼の説明は更に悪い方向へ続く。

 この町の治安は自警団の活躍もあり比較的良い方だった。にもかかわらず……


 それを聞いた時のゼントの顔はどのようなものであっただろうか。何者かに取り憑かれたように悲惨に、現実を直視せずに虚ろな目をしていた。

 この町で人が殺されているという一報は、ただでさえ打ちひしがれているゼントにさらなる追い打ちをかける。




「不思議なのは痕跡を見ると明らかに人が殺ったわけじゃねぇ、でも町中に魔獣が入ることなんてまずありえないし形跡も見られない……とにかく現場もあまりに凄惨で異常過ぎたし、混乱を招かないように箝口令もが敷かれた」


 不穏を覆い隠すこともできず、カイロスの口から語られるはかくも悍ましい内容。

 最近彼の姿が見えないのはそのためだった。おそらく事件を調査していたのだろう。


 つまらぬ戯言であろう、ゼントはそう信じたかったが今目の前にいる男はもはや剣呑そのもの。

 彼は誠実の塊のような男だ。しかもこの空気で嘘をつくはずがない。

 何よりゼント自身も何か思い当たる節があるのか、心臓すら止まったように体全体が静止していた。



「調べていく内に、もしかしたらゼントが会ったっていう赤い怪物と関わりがあるんじゃないかって個人的に思ってだな。そこでその、あの新人の子に秘密裡にでも調査をお願いしたく……って、あれ、ゼント?!」


 そしてカイロスがそこまで言い切った時、ゼントは既に追うのも億劫になるほどの距離を走っていた。

 たった今言われた要求も当たり前だが頭には入っていない。彼の頭の中は朧気ながら統一される。


 今すぐこの町から逃げなければ、と。


 理由など語るべくも非ず。その殺人事件の犯人が頭の中で思い当たってしまったからだ。

 死体を無惨に、そして骨まで喰らう? 奴以外の誰がそんな事をすき好むというのだろうか。

 目的は分からずとも今はどうでもいい。化け物が今町で悪さをしている事実だけが問題だ。


 そういえば、カイロスにも化け物の正体は伝えていない。しかしこの事を伝えたところで何かが変わるのだろうか。

 一瞬、来た道を尻目に振り返かけるがもう何もかも遅いと悟った。今は少しでも早くこの町を後にせねば。

 重く鈍る足を強引に動かしては家路を急ぐ。彼の頭には思考など無いに等しい。


 どんなに強い肉体と技術があったとしても、どんなに有用な武器や防具があったとしても、あのカイロスでさえも今のゼントにとってはその辺の石ころと変わりない。

 あの化け物を前にしたらどれも頼りなさすぎるのだ。傍に一番居たのは自分なのだから、誰よりも彼女の脅威は分かっているつもりだった。



「――ユーラ、ジュリ、悪いが予定変更だ。やっぱり今すぐ町を離れる」


 だから家に着くなり単に一言を放り投げて、自分は一人荷造りを始める。冷静に見えて少々苛立ってもいた。

 二人は呆気に取られて顔を見合わせながらも、予想はしていたのかそこまで驚きはせず手を動かし始める。




「――ここは襲われないわよ」


 だが、その直後だった。後ろからその声が聞こえてきたのは。

 耳に入って頭が認識した時、ゼントは即座に振り返る。

 この部屋の誰もが彼女の登場に驚いたことだろう。



 そこに居たのは――セイラ、 今では違法になったジュリなぞ見向きもせず、相変わらずいつもとは違う雰囲気を漂わせて。

 銀の髪は殊更に揺れ動き、顔は含みを持たせた笑みがあった。


 これにはゼントも構えた武器を手から零してしまう。

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