第238話『闇雲』

 



 ――家に着いてジュリとは合流して、まずは家に放置されていた鏡の破片を片づけた。

 そして迷惑をかけたことを謝り、事情を説明して……



 おおよその心情は理解してくれたらしい、だが根本的な解決には全くなっていない。

 首に張り付いた肉の塊をジュリと協力して剥がそうとしてみたが、案の定簡単にはいかず。


 というのも赤い悪魔の一部はどこまでも性格が悪いらしく、爪で引っ掛けて取り外そうとすると首を絞めつけられるのだ。

 しかもギリギリ息ができるかできないかの中間で締め付けられ、延々と苦しみを味わわされる。

 堪らずジュリに中断を懇願して、その後一時間ほどは気持ち悪さで床に倒れていた。刃物を用いても結果は同様。


 町を脱出する前にこれをどうにかしないと、どんなことになるのか嫌な予感はいくらでも溢れ出てくる。

 あるいは無視していいのか? 殺す気であれば機会はいくらでもあったのに、それをしないのは無害であると想定して。



「――ゼント」


 頭痛に苛まれ、地面に伏せながらあれこれ考えているとふと横から声がかかる。だが不思議なことにユーラのものでもジュリのものでもない。

 それは先程協会の医務室で聞いた凛とした声、だが本来ここにいるべき人間でもない。


「「えっ……!!?」」


 驚き上がる二つの声、もう一匹は唖然としながらも毛を逆立てた。

 顔を上げるとそこに居たのはセイラ、人の家を堂々の中央に佇んで。



「な、なんでここに……!? いつから……?」


「ちょうど今着たところよ。はいこれ、医務室の床に落ちてたわ。状況からしてあなたのでしかないからわざわざ届けに来たのよ」


 平然と彼女は語る。それにしても入り口で声を掛けてくれればいいものを。

 当然ゼントも思っていたが口には出さず寝そべった体勢を直る。そして特に確認もせず為されるがまま物を受け取った。



「え? ああ、それはわざわざ……ありがと――っ!!?」


 だが彼はある物を受け取った瞬間に血相を変えて唖然と口と目を見開く。

 全身に悪寒が走り冷汗が湯水のように湧き出る。とうとう全身の筋肉が痙攣すら始めた。



「せ、セイラ!! これをどこで!!?」


「だから協会の医務室よ。ゼントが出て行ってすぐには気が付かなかったんだけど、後で部屋を使っているときに見つけてね」


 彼が受け取った物、それは一切れの布だった。俗に言うハンカチと呼ばれる物。

 どこにでもあるような、少々小奇麗だが何の変哲もない。少し前にライラに手渡した出来事を除けばだが。

 布のほつれや汚れからあの時渡したものだと確信できる。確信できてしまった。


 そういえばずっと返してもらえていない。返してもらおうとも考えていなかったが。

 今何故ここに在るのか。仮に落ちていただけだとしても異常。

 即ちそれは……あの医務室に化け物が来たという確定的な証拠になる。


 慄きゼントの体は再び震え始めた。頭の中であらゆる考えを模索して何とか辻褄を探しだそうとする。

 以前からハンカチが医務室に落ちていたのか。何らかの形で落としてしまったとか……

 そんなことはあり得なかった。ただ少しでも自分の都合がいいように現実を湾曲しているだけ。



「まあ、ここに来た要件はそれだけのはずだったんだけどねぇ」


 彼女はそっと息を吐くかのように言った。なめまわすような言葉遣いと視線。

 部屋の温度が少し下がった。暗くもなったのは窓から差し込む光が途絶えたからか。

 セイラは頭を抱え慌てふためくゼントなど見なかったかのように、そして次いでとばかりに言葉を続ける。



「その獣人を家に上げてるのを見ちゃったらねぇ。でもなるほど、ずっと真面目にやってる人だと思っていたのに……」


 あからさまに指し示す視線の先にはジュリが居た。見つめられた彼女は思い出したかのように身を家具に忍ばせるが、もう何もかも遅い。



「いや、これは……その、えっと、あれだ。たまたま外にいたからつい勢いで一時的に保護しているだけで……」


 ゼントの言い訳も切り抜けるためには難しい。というより自ら事実を語っているだけ。

 これでは罪を告白しているようなもの。敬虔な町人というのも考えものだ。



「もしこれを自警団にでも報告すれば貴方はどうするのかしら」


「……それこそどんなに危険だとしても、ユーラとこいつを連れて町から逃げざるを得ない」


 一気に空気が変わった。しかし変わらない軽妙洒脱な脅しにゼントは警戒感を露わに。どうしようもなく不利な対話を強いられる。

 言い逃れなどもうしようとも考えない。頭にあるのは町から出る段取りだけだった。

 それまでセイラの眼は鋭く虚ろのもの。が突然切り替わったかのように明るさと笑みを取り戻して曰く。



「ふふ、冗談よ冗談。そんなことしないわ。ただ、貸し一つにでもしてくれたらね……」


 そんなことはいうもののそれは別の脅しとそこまで変わらない。余計に無理難題を押し付けられる可能性もあるのに。

 加えて女の心は猫の眼とは言うがこれでは態度がころころと変わりすぎだ。まるでゼントを試して遊んでいるような。


 そう釘を刺すように言い放つと、雅な笑顔を浮かべつつセイラは去り際、ひらひらと手を振りながら部屋の中央から足早に立ち去る。

 気が付くと部屋には静寂が舞い戻り、唖然と立ち尽くす三名が残された。



 突発的な危機は去った。だが元来の真面目さが取り柄の彼女が、協会に報告しないことなど果たして本当にあるのだろうか。

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