第236話『擦寄』

 



「――で、ここに来るまでに何があったのかを聞いてもいいかしら」


 数舜の静寂があった後、その静けさに耐えられなくなったのかセイラから切り崩してきた。

 尋常ではない状態、いつもならやや取り乱して執拗に尋ねてくるのに、今回はあまり興味なさそうだ。

 自分の髪をくるくると指で巻き取りながら、浅い溜息を吐きながらゼントを見つめている。



「外で赤い悪魔に襲われたんだ、それで……」


 本当は報告する気ではなかったのだが、聞かれたためにやむなく答えた。

 しかしそこまで勢いよく口から出てきて――だが“赤い悪魔の正体が実はあの黒い髪の少女だったんだ”、とまではいかなかった。

 その理由を挙げるなら三つ。一つ目は信じてもらえるかどうかわからなかったから。

 そしてもう一つは……


 あの化け物の正体がライラであったなどと、自身が一番信じきれなかったからだ。


 思い起こすは少女と初めて会って、そこからの日々。特に最後の数日は夢にも勝る日々だったと記憶している。

 それがほんの些細なきっかけで全てが崩れ去った。まるで脆く綺麗な宝石のように。


 そして三つめは――



「――それで? どうしたの?」


 セイラに思考がかき消されそこで終わってしまった。

 そこで一旦考えるのをやめてしまい……



「えっと、何でもない……」


 弱々しくそう言うしかなかった。少なくとも、今なお信じられていないことは確かだ。

 例えどんなに遅くなったとしても、夢であると言ってくれるのなら存分に受け入れられよう。しかしこれが黒く淀んだ現実だ。

 首にある物も含めて全ては幻覚ではないか、いくら現実を突きつけられたところでそう思わずにはいられない。



「正体不明の赤い魔獣、なんだかあなたの周りばかりに現れるわね。偶然かもしれないけど、何か心当たりがあったりはしないわよね?」


「そんなことは……」


 セイラは冗談交じりにあざとくにやついた表情を浮かべ、立った状態でゼントを見下ろす。

 明らかに戯れであると分かるのに、加えていつもの彼女なら決してこのようにおどけた態度をとるはずがないのだが、ゼントは核心を棘で突かれたように全身が竦む。


 まるでセイラが全てを知っていて、その上で聞かれているような……

 一人になりたいとゼントは思った。精神はもう立ち直れないほどに疲弊しきって、また自殺衝動のようなものが湧いてきそうだ。

 頭の中に虫が入り込んだように気持ち悪い。痛みこそないがただ最悪の気分。



「まあとにかく今は町からは出ない方がいいわね。もしかしたらそいつには人目が無い方が都合いいんじゃないかしら」


「え、どうしてだ?」



「だってゼントの言う化け物って、この町じゃあ誰も見たことが無いっていうのよ。なぜかは知らないけど、でもそれはつまりそういうことじゃない? 討伐の依頼はずっと張り出しているんだけどねぇ」


「そうか、人目……」


 寝台の上で俯きながら自身の衰えた思考を嘲り、同時にセイラの洞察に感銘を受ける。

 考えてみればそうだ。ライラ、いやあの化け物は人の多い場所を避けているような気がした。

 やはり自分は疲れていて頭が回らないのだ。視界に煌めく謎の光もきっとそのせいだと。



「じゃあ人目が必要ということでこのセイラ、あなたのことを家に誘っちゃおうかしら」


「いやでも、ユーラが襲われているのだから一人や二人で一緒に居ても意味がない。下手したらそな場に居る全員記憶を消されるだけだ」


 ゼントがおかしいことは今更述べるまでもなく。

 セイラの凛々しくも飄々とした言葉にも一切反応せず。

 ただただ真面目な顔で真面目に答えてしまう。



「もう、せっかく誘ってあげてるつれないわね……私ならあなたを護ってあげられるのに」


「セイラ……悪いけどいまはそういう冗談を言える状況じゃないんだ」



「冗談かどうか知りたいなら試してみる?」


「…………」


 流石の彼もセイラの言動に違和感を持ち始め俯いていた面を上げる。期待していた返答とはかけ離れていたから。

 だがそれはそれとして、彼女の笑みは恐ろしく狡猾にして純情たる可憐、ゼントの心には妖々と冴えわたる。

 加えて自信に満ち満ちた表情だった。まるで化け物を敵にも思ってない、なんと大胆な……


 何故そんな顔を作れるのだろうか。セイラは熟練の冒険者でもなければ訓練された兵士でもない。

 まさか酒にでも酔っているのではあるまいか。しかし呆けた様子はなくただ思考がつっかかるだけ。



「いや、やめておく。つまらないことに命なんか賭けたくないからな」


「そう、じゃあこれからどうするの。ここに朝までいる?」



「そうしたいが、できるのか?」


「本当は無理だけど私も一緒に居ればね」


 ジュリのことも心配だが今更戻ったところで何ができるわけでもなかった。むしろ場所が割れている分あそこにいるのは危険かもしれない。

 ジュリはジュリで周囲の気配を感じ取る能力は非常に優れている。よって可能であれば協会に残りたかった。



「カイロスに後で何か言われないか?」


「支部長は最近忙しいみたい。いつも自警団に連れまわされてる。だから少しくらいなら大丈夫」


 セイラは嬉々とした笑みで都合がいいとばかりに語り掛けるが……

 街の治安部隊と冒険者を束ねる長がいつも一緒に居るとは、

 その言葉だけで何やら不穏が蔓延っていることは言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る