第223話『厄介』

 



 ゼントとライラは今日も元気に指定された場所へ向かう。それはもういつもの、何の変哲もない日常と化して。

 誰からの目で見ても充実した日々だった。髪飾りも見事に映え、惚れているといっても過言ではない。


 ゼントにとっての以前のような生活が戻りつつあった。相方が変わっただけで他は何も変わらない。

 一般的に討伐系の仕事は冒険者の中でも誉れが高いもの。何せほとんどの者の依頼は町中の住民から依頼される雑事が主だからだ。


 協会内からは怪しむ声はあれど、その他多くからの羨望の眼差しの方が多い。

 職業に貴賎無し、とは言うけれどもやはり実力がある者が冒険者としては尊ばれる。



 しかし、果たしてこれはゼントが望んだものだっただろうか。以前と同じ一方的に与えられたものだが、今の彼を見ればもうどうでもよいことのよう。

 ただライラと一緒に居られるなら良かった。それ以外の面倒なことは何も考えたくない。


 だがそんな彼でも見える異変には思考が吸い寄せられる。それはセイラの違和感の他にカイロスの姿がずっと見えなかったこと。

 彼も忙しくしているのだろうか。とはここ数日ずっと姿を見ないのは少し気になった。

 でも、逆を言えば本当にこれだけとも言える。それ以外はただただ平穏に浸っていた。




「――さて、今日の午前中はどんな魔獣だ? まあ聞いたところで俺は対して役立てそうにないがな」


「そんなことない。それで確か名前は……蹌踉樹そうろうじゅって書いてあった。よく分からないけどもう成長しきっているとも書いてある」



「へっ? あ、そうなのか……」


 ゼントはそのあまりに珍しい名前を聞いて一瞬固まった。

 覚えのある名前を記憶から引っ張り出し、そしてまた固まっては目を丸くする。


 これはライラの悪い癖だが、いつも本人が全く知らない名前の討伐対象を選んでくる。

 大体は問題ないのだが、これが普通のパーティーだったのであれば喧嘩に発展してもおかしくない。

 そういう意味で控えてほしいのだが、実際に仕事をするのは自分ではないので強くも言えないゼントだった。



 そして説明しておくと、蹌踉樹とは厳密には魔“獣”ではない。魔獣はあくまで総称で、樹という言葉からも分かるように一本の木、それが今回の討伐目標だった。

 相手はその場から動くことができないたかが植物、しかし油断はできない。この世界では植物だって人間の命を簡単に刈り取る、それが常識だ。


 かくいう蹌踉樹も厄介極まりない。常に周囲へ胞子を飛ばし、近くで吸い込んだ者は軽度で幻覚そして昏睡、重度では体の臓器全てが麻痺して短時間で死に至る。

 近くを通った者が前後不覚で酔っ払ったように歩くことから冗談交じりに名付けられたが、実情は遊びにならないほど危険である。

 軽度であれば自然回復も見込めるが即効性の解毒薬が見つかっているわけでも無く。名前だけ聞く限りでも今までで最も難題だとはすぐ分かった。



 しかし蹌踉樹自体の対策は比較的簡単、胞子を吸わなければいいのだ。それよりも特に問題なのは燃やしたり切り倒そうとしたりでもすれば中からもう一体の危険生物が現れること。

 ここでの詳細な生態は省くが、養分や防御機構において共生を担っている不定形生物。これがまた厄介極まりなく討伐を困難なものにしている。

 今回の相手は流石のライラでも一筋縄ではいかないだろう。例え魔術具を持っていたとしても油断する理由にはならない。


 本来は滅多にいない魔獣でゼントも知識として知っているだけ。ほとんどの者も見たことすらないだろう。

 何故放置されていたのか、おそらく発見が遅れたのが原因。そもそも植物が育ち切る前に駆除すれば何も問題は無かったはずだが、まあ場所が場所だけに致し方がない部分もあった。

 手を出さないのが最善と言われてしまえばそれまでだが、このまま長期間放置しておくと更に巨大化してやがて周囲一帯に人が近寄れなくなる。




 ともかくやるしかない、地図を頼りに目標が鎮座する場所へ向かう。布で口元を覆って、さながら盗賊討伐のときのよう。

 渓谷のちょうど底、岩盤が露出した開けた場所に奴は居た。真っ黒といっても差し支えない古ぼけた幹。

 そして人一人は簡単に呑み込んでしまうほどのとても大きな青白い花を一つ、頂点に不気味に咲かせて。


 枝の先にそれはそれは甘い臭いを発する果実を付けるらしい。それで獲物を誘き寄せて殺し、土に還ったものを自らの養分とするのだ。

 加えて表面をちょっとでも傷つけると厄介が飛び出してくる。ゼントとライラは念のため胞子が届かない場所の茂みで対象を確認していた。

 対象まで距離は百メートル程度。胞子は周囲の植物までにも影響を及ぼして枯れたのか、円状の広場のようになっていた。



「これは私も見たことがない。それでゼント、どうすればいい?」


「とりあえずは魔術具の能力で木全体を氷漬けにしてみよう。それでだめならいったん離脱して考え直す」


 ライラの無責任に感心する様子に対し、ゼントもなんともまあ安直な作戦を立てたものだ。

 しかし彼とて完璧に敵を把握しているわけではない。全ては遠い記憶の彼方、使わない知識はどんどん廃れていく。



「じゃあゼントはそこでいつものように見てて」


「危なそうだったらすぐに離れろ。多分深追いはしてこないはずだから」


 ゼントを後ろに意気揚々と飛び出すライラに対しなるべく明るい声を掛ける。十分に言い聞かせてライラもゆっくり頷いた。

 彼女を一人で行かせるのは怖気づいているわけではない。装備が真面であったとしても流石に付いて行っては完全に足手纏い、これは両名が了承していることだ。



 ――しかし一抹の不安がぬぐい切れない要素もあった。

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