変貌

 



 ――それは同日、天道が真っすぐ地面に落ちた直後の時刻。

 この日の空は禍々しく暗色の紫に染まり、道行く人は天に向かって気分を害する。


 その有象無象の中に帰路へ着くセイラの姿があった。彼のことを想いながら地面を俯く光景、胸に秘めるは欷歔ききょのみなれど、傍目から声を掛けるは穴賢。

 とうとう気持ちの出所は本人すらも分からず、ただただ孤独に勤しむ。いつもの紺色の制服は職場の床に潔く脱ぎ捨て、自身は外着に身を包み。

 といっても粧し込むわけでもなければ、比較的大人しい恰好だろう。しかしそれも昏くなり始めた空が不穏に覆い隠す。




「――はぁ、とんだ番狂わせね。あの女も怪しいけれど、それ以上にゼントもゼントよ」


 あの凛とした立ち振る舞いの彼女はどこへやら。その声には憤りよりも悲嘆が灯る。


 恋敵、と言えるかどうかは不明だが、初めセイラは少女のことを見てもいなかった。それは、あれほど自分勝手で迷惑を振りまく彼女にゼントが靡くわけがないと踏んでいたから。

 だが実際は違った。彼の心は長きにわたり時間を経て動き出している。しかもよりによってあの女に。



「気を見計らっていたのが裏目に出た? でもあいつの素性も分からないのに急ぐのは……」


 ゼントに近づいていた二人の女が片や消され、片や壊された。セイラは一人、それらを遠くから窺っている。

 直接見たわけではなくとも情報を精査して、いくつか不審な点を見出していた。

 となると怪しいのはあの最近現れた黒髪の少女。直接でなくとも二人の事件に関与しているのはほぼ確定だと思える。


 何度か尾行して確かめてみたが、いつも無作為な路地に消えそこから足取りが分からなくなった。

 彼女のことを調べようと思っても流れ者ということ以外は情報が落ちない。むしろ気味悪がっている者が大半だった。

 どう聞いても印象は悪く、だからこそ彼の気持ちも分からない。



 それと、ゼントの家に大量のお金を置かせたこと。持っている財産のほとんどを沽却して渡した金だが、特に具体的な策略を用意していたわけではなかった。

 ただ金関係で弱みに付け込んだり、後々何かに利用したりできると思っただけ。

 遠回しに手をまわしていたつもり……でも結局彼は一切手を付けてはくれなかったが。


 ……足取りは重くまた一つため息の回数が増える。敵手が一人消えて清かに喜んでいたあの時の自分を叱りつけたかった。

 深入りすれば自分も餌食になることは目に見えている。しかし先に目を付けていたにもかかわらず、そう簡単に諦めきれるものでもない。

 相反する感情が彼女を苦しめる。常人であれば生命の危機を回避する方が優先されるのだが、そうもいかないのがセイラという女。



 ある意味自分の欲望に忠実であり、同時に命知らずとも言えた。

 だが今回ばかりは危険が大きすぎる。どこで何が起こるか分からないのだから。

 現にゼントもここ数日でライラと急接近した。一寸先は闇、とはまさにこのことか。




 ……今日のところは一先ず家に帰ってゆっくりしてから、それからまた考えよう。

 ……いや、気分転換に遠回りして帰宅しよう。東の門の前あたりまでなら――


 セイラの疲れ切った思考は虚ろ気で、どうにもまとまった考えは出せないらしい。

 何となく、それが思いつく唯一の理由だ。でも彼女の足はそのなぞった道をゆく。


 そして漠然とした気持ちで進みつつ、とうとう門の前まで来たが何かが変わるはずもなく。

 ため息がまた…………これで最後にしようと思いつつも無意識に止め処なく出てくるのだから仕方ない。



「――帰ろう……」


 また朧げに暗い門の外を眺めていた。自分がやってきた町の方向を。同時に蟠りのない自由の象徴を。

 家を出たのが間違いだったのだろうか、と思ってもみないことを想像してみる。

 そしてやるせなくそう呟くと踵を返そうとした。



 ――だがその時、


 門のすぐ近く、道の脇に逸れた林の中に人影が見えた。

 日が沈んでもう時間も経っている。人相の判別は困難だろう。

 しかしセイラははっきりと認識した。あれはゼントに違いないと。そして呼吸を忘れるほどに驚愕していた。


 一片の人影は闇に消え失せる。どうやら奥に移動したようだ。

 いつも黒い服を着ていて夜に溶け込む彼だが、はっきりとセイラの目は捉える。まるで光の中に浮き上がっているかのように。

 なぜゼントがここに? そんな疑問は今の彼女の頭には浮かばない。ただ彼の消えた林の中に足が動いていた。



 ――ちょうどいい、このまま彼に告げ口してやろう。あの女は危険だと。

 理由なんて適当にでっち上げればいい。少なからず不穏な様子があるのは確実。自分の言うことならある程度は信頼もしてくれるはず。


 口元には思わず笑みが。そして迷わずに進んでいると月夜でもないのに段々と木々の中に明るさがやってくる。

 少し先の開けた場所、その中心の大木の裏に先程見た人影があった。



「ゼント!」


 躊躇いもなく声を掛けた。だがしかし――

 その姿は想像していた男のものではない。

 強いて挙げれば、白い彼女がそこには佇んでいる。



「……っ!? なんであなたがこんなところに!!?」


「ちょうど良かった。私と少しお話しない?」


 少女は気さくに語り掛けてくる。歪に釣りあがった唇、そして少し諧謔を弄した声色で。

 続けざま、状況が呑み込めてないセイラに向かって言い放つ。そして少女が居た場所には人間の姿はもうどこにも無い。



『――いや、取引ともいえるね。あいつをぶっ潰して更生させるための……』



 暗闇の中、赤い目が不気味に、暗闇に合わせて揺れる。

 瞳を差すその色が、微睡みの内にセイラの人生を狂わせた。

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