第215話『殊勝』

 



「――どうかしたの?」


 ……口をあんぐり開けて固まっていると、不思議そうにライラが様子を尋ねてきた。

 不意な呼びかけにゼントは現実に引き戻される。強制的に対応を取らされた。



「えーっと……」


 明後日の方向を見ながら頭を掻くゼント。早く言ってしまえばいいものを、渡した髪飾りをつけてみてください、と。

 しかしわざわざ声に出すのも気恥ずかしくて。そして、気恥ずかしくなっている自分が子どもみたい。悪循環で頭がおかしくなりそうだった。

 何事もなかったことのようにも振舞えるが、どうせなら下らない気持ちなんぞ割り切って早く見てみたい。



「その……道具には用途ってものがあってだな……」


「…………つまり何??」



「大切にしまっておくのも手だが、使ってこそ一番の有意義というものだ」


「???」


 自分の気持ちが漏れ出ないように遠回しに言ってはみたものの。

 案の定とするべきか、ライラは首を傾げるばかり。



「ああもう、だからだな。せっかく渡してやったんだから試しに付けてみろって言ってるんだ!」


 あまりの察しの悪さにゼントはもどかしくなる。もう感情のひた隠しなどどうでもよくなってついつい表情を険しくしてしまった。

 そして次の瞬間、強く言い過ぎたことで我に返っては、いかにも後悔した顔で相手の様子を窺う。



「……ねえ、ゼント」


 恐る恐る耳を傾けるとライラの返答は不気味な静けさを出した。まるで沸々とした怒りが込められているかのように。

 針の筵に座る気持ちだった。顔は青んで正面を見ることすらできず、目は泳ぎながら視線は下がっていく。

 しかし、彼女は先程しまった髪飾りを懐から手に戻して曰はく。



「ところで……これって何なの? 付けるって? どうすればいいの?」


 ゆっくり顔を上げるゼントの表情は、見事にまあるく口を開けていたことだろう。今回に限っては呆れるというより憂いが晴れて安心してはいるようだが。

 だがそれにしてもなぜこんなにも一般的な常識に無頓着なのだ、と彼は小さくため息をはいて言った。



「お前ってやつは……」


「じゃあそんなに言うなら使って見せてよ。あとそれは私の物だからね」


 顔を膨らませたライラは押し付けるように髪飾りを手渡す。銀色の大輪、そして念入りな言葉を付け加えて。



「今さら返せ、なんて言うわけないだろ。ほら、貸してみろ」


 失笑するゼントと不貞腐れるライラ、長閑な空気に触れながら少し弾んだ会話がつづられる。

 だが、髪留めを手に持ったところで彼は予想してなかった状況に出くわす。


 それは――ゼント自身も正しい髪留めの使い方を知らなかったことだ。


 いや、身の回りの女性が使っていたのはみていたからなんとなくは分かる。

 でも自分の髪に付けたことも、ましてや他人に対して付けてあげることなど……

 彼女ができないことは大抵ゼントができる。そう彼も自分の中で思い込んでいた結果がこの様だ。




「ライラは髪を切ったりは……しないのか」


 そして、どうしようかと頭も体も固まって場を和ませようとした結果、失言ともとれる言葉をかけてしまう。

 髪を伸ばしているところを見るに多少なりとも労わっているだろうに。



「特に何も考えてない。切ってもまた生えてくるんだからいいでしょ。必要性が出てきたら切るだけ」


 しかし不意の呟きに返ってきたのは杜撰かずぼらか、どちらにせよ予想はできる内容だった。

 それはそれで親しみやすいというべきか、自己管理すらなってないというべきか。

 うら若き乙女の命、なんて別名を聞いたことがあるゼントは少し驚く。


 だが彼女の言には少し気になる点があった。察するにライラはそこまで髪に気を使っているとは思えない。

 であればその毛先まで色艶整った黒髪は何なのだと、思うところがないでもないゼントであった。




 ……話が逸れたが、彼は髪飾りの使い方を実演しなければならない最中だ。

 逃げにもならない言葉を吐いたが、とうとう覚悟を決めて言い出した。



「えっと、これは髪留めだ。ライラの前髪が長くて邪魔じゃないかと思って贈った」


「そうなんだ、髪に付けるんだね。じゃあ早速、私に使い方を見せて」


 決死に近い覚悟を持って言ったのに、向こうは瞳を輝かせているがなんでもないように返答する。

 その通り、本来緊張するような場面ではない。使い方だって大まかにならわかる。前髪を挟んでそのまま横に流して固定すればいい。

 なのに、ゼントは緊張で立ち眩みすら起きそうになっている。なぜか心臓が激しく高鳴り暴れまわっている。


 髪に目が入るのを避けるためか、彼女は穏やかな顔で終始両目を閉じていた。心なしか淡い色の唇が突き出ているようにも見えるが。

 表情の輪郭がはっきりと分かる。間近で見る透明感のある肌は艶めかしさがあった。

 謎の緊張はそれらのせいだとゼントは誤認する。だから何も考えずに、呼吸を止めて――



 まるで死に急ぐ者のように血走った眼をして、しかし彼を邪魔しようとする輩がいたら間違いなく殴り飛ばされるだろう。

 篤く深く、昏くて情操的、奇妙な空間がそこにはあった。

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