第207話『不答』

 



「――だから更に関係を良くするために今日は一日、一緒にお出かけしよう?」


 綻んだ光が差し込む協会建物内部、その壁際の机で向かい合って長椅子に座りこんだ二人。

 使い古された壁や床の木板は頻りに軋音を上げる中、随分呑気な会話が聞こえてきた。



 ライラの口から出てきた言葉にゼントの保っていた頬杖が崩れ落ちて俯く。しかも自信たっぷりに言うものだから余計に……

 これは……流石に文句を言った方がいいのか、あまりに馬鹿げていると。いや、その行動自体は分からなくもないが、ここまで引っ張ってこられたことを考えると割に合わない。


 その辺で拾った良くないものでも食べたのか。あるいは何かを見て感化されたか。

 どちらにせよ早朝から巻き込まれる身にもなってほしい。だから何も考えずに率直に要求を述べる。



「もう、帰っていいか……?」


「待って、これは大事な事なの。もしゼントが帰っちゃったことが原因で、仲が悪くなって解散とかしちゃったらどうするつもりなの?」


 なんだその呼び止め文句は………もう少し真面な理由を考えてもらいたい。呆れて反吐も出なかった。

 何かに焦っているのだろうか。ならばとゼントは冷静に自分の意見を述べる。



「……本来実力が均一ではない形のパーティーがあること自体おかしな話だ。お前が……いや、ライラがもっといい人を見つけて俺を見限るならそれは当然の摂理だ。実力差がある時点で後からどうこういう資格もないだろう」


 そう言うとライラの表情は……苦虫を噛み潰したような、深く考え込んで現実に戻ってこなさそうな。そんな掴みにくい表情をした。

 一言で彼女の心境を言い表すなら不満。まあ少なくとも望んでいた返答ではなかったらしい。

 まさか泣きついて懇ろに呼び止めてくれると思っていたのだろうか。しかし生憎、ゼントは己の立場をしっかりと弁えている。



 やがて数秒の地味な沈黙の後、ライラは何かを思い立ったかのように突然立ち上がり、机を回り込んで迫ってきた。

 それだけならまだよかったのだが今回ばかりは少し様子がおかしい。顔に凍り付くような無表情、いや眉を顰めた蔑みが張り付いていたのだ。


 ゼントは途端に異変に気付き、当然椅子伝いに後ずさる。

 しかしそこが壁際ということを忘れていたのかすぐ後ろの隔たりに追いつめられ、とうとう逃げ道を失った。

 不愉快になった腹いせに何をされるか分からない。こちらは一切悪くないだとか、そんなことを言う暇はなかった。


 相手の体の隙間を縫って逃げることも考えたがライラを前にそれをできるとは思えない。

 結果、成す術なく接近を許してしまう。窮鼠猫を嚙むとは言うが彼に限ってそんな奇跡が起こるはずもなく。

 挙句の果てに彼女は壁に両手を叩きつけ、ゼントの頭のすぐ横には腕が。


 完全に逃げ道を断たれてすぐ目の前にはライラの赤い目が見える。

 もうだめかと思ったその時――




「――ゼントは私のこと嫌いなの?」


 何を言うかと思えば、聞こえてきたのは夢想だにしない質問だった。

 しかし未だ全身から滴る冷や汗は己がいかに臆病かを思い起こさせる。

 それでも真っ直ぐな瞳を前にして、薫陶でもなければ寸陰を惜しんでは言い返す。



「……っ、知らん!」


 拍子抜けであまりにくだらない質問だったために、勢いに拍車をかけて適当に答えた。

 しかし実際は彼がそう思い込んでいるだけ。少し前の彼であればすぐにでも頷くことができたはずなのだが。



「……じゃあ少なくとも嫌いではないんだね」


「…………」


 腑に落ちないようなしかしひっそりと安心した様子を見せ、ゆっくりとゼントの眼前から引いていく。

 後ろに振り返り、その場で数秒立ち尽くした。最後に見えたのは軸が整った回転。僅かに広がるコートが美しく揺らめく。

 ゼントにできたのは壁に張り付いて、ただ黙って見つめることだけ。



「よし、それじゃあ早速行こうか。ゼントはどこ行きたい?」


 難を逃れたかに見えたがそうではなかった。懸念は全て呑み込んだかとばかりに、あっさり向き直り再び接近してくる。

 続け様、ゼントの否定の言葉が入る前に彼の手を引き強引に引き出す。


 黒ずくめの、彩のない二人が外へ駆け出した。





「――お、おい、ライラどこへ行く。俺は早く帰りたいんだが!?」


「だったら早く行こう? 今日一日くらいなら付き合ってくれてもいいでしょ?」


 語気を強めてもライラには通用しない。彼女はこの状態になると暴走状態といっても相違なく、望まない意見は聞いてくれなくなる。

 だからもうゼントは半分以上諦めて成すがままとなっていた。しかし言うべきことはしっかり伝える。



「それにくっつきすぎだ、早く離れてくれ。じゃないと……嫌いになるぞ」


 二人は町中を歩きながら、見るとライラはゼントの腕の大部分にしがみつく形で先導していた。

 それだけならまだしも不必要に体全身を腕に押し付けているようにも感じる。これは周囲の目から見て明らかにまずかった。



「なんで? ちゃんとした理由を教えて」


「それは……恋人みたいに見られるだろ」



「そういう風に見られたらなんでいけないの?」


「悪いが俺はだな、半年前からずっと――!」


 往生際悪く理由を尋ねてくる。それに対して気が立ってしまうのすら抑えられず、つい気持ちを曝け出そうとした。

 しかし――最後まで言葉は続かない。言う途中に色々な記憶が湧き出てきて、言わせてはくれなかったから。


 本当は、恋人を愛しているからだと言ってやりたかった。でも、サラに言われた内容や、その後に自分の中で丸め込めなかった感情を吐き出してしまい妨害される。

 故にその後のライラの質問に、どんなに悔しくても歯を食いしばって泣く泣くこう返すしかなかった。



「……? どうしたの?」




「――なんでもない」

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