第205話『景迹』

 



「――うおっ!? おい、驚かせるな!」


 ゼントは視界に映る黒い影と突然の薄い声に驚いた。白昼堂々、幽鬼でも出たのかのように。

 振り向いて勝手に驚いたのは自分だというのに、ついつい憤りの声を上げる。頓狂な姿を見られたのが恥ずかしかったのだ。

 場所は町の住人でも知らないような小さな路地。なぜこんなところにいるのか聞きたいのだが、彼女はそんな暇すら与えない。



「ねえ、いいから持っている物を早く渡してよ」


 ライラは子どもが甘味を見た時のように目を輝かせて言った。

 待ちきれないのか、今にも手を伸ばしそうに肩がゆっくりと動いている。

 どのようにしてこれが自分への贈り物だと知れたのだろう。


 楽しみにしている人を前にこれを言うのは申し訳ないと思いつつ。

 しかしゼントはせがむ彼女をあしらうつもりで冷たく言い放つ。



「悪いが……これは取り違えたやつだ。こんなにたくさんの装飾があるとかえって重くて邪魔に――」


「うん、すごく綺麗だね。きっと私のために時間をかけて考えてくれたんだよね、ね?」


 ライラはゼントの言葉など聞いていないらしく、自らの欲望に忠実だ。

 高ぶる感情が抑えきれないのか、それは同時に喜んでくれている証でもある。

 だがそれも須臾の間、聞こえた言葉を切り取って、かみ砕いて、反芻しながら聞き返す。



「ん、待って……取り違えた? じゃあこれよりもっといいやつを私にくれるってことっ? じゃあ早く買ったお店へ一緒に行こう」


「え、い、いや……その……」


 彼女は疑問を呈するどころか、ますます子どもじみて喜ぶばかり。しかも間違った解釈で期待を泡のように膨らませる。

 これには流石のゼントも気圧され困惑の表情を隠せない。なぜなら彼が交換しようとしているのは、飾りの一文字すら見えないつまらない品物なのだから。

 もし元々送ろうとしていた物を見せたら、一体彼女はどう思うか。厳しい非難が待ち構えていることはさらなり、互いの面子も丸つぶれではないだろうか。



「うん、どうしたの?」


 目は相変わらず無垢なようで、まるで人を疑うことを知らない純粋な煌めきがあった。

 ゼントは一間を置いて、深く呼吸を吸う。勢いよく流れる盤面に必要な空気が足りなくなったから。

 そして大きくやるせないため息を吐きながらも、努めて真摯にこう言った。



「…………取り違えたというのは真っ赤な嘘だ。……単に別のところでしっかりとした形で渡したくてだな……」


「ふーん、嘘なんだ……でもこれはいいか。それにしても、一度見られたなら今すぐ渡してもくれてもいいと思うけど。ゼントがそういうなら、後日楽しみにしておくね」


 その場凌ぎの繕いを見せると、ライラは湿り気を帯びた細い目で不満を垂れる。

 だが納得はせずとも意図を了承してくれたようで、狭い路地で軽やかな旋回を見せると歩きゆく先はどこへやら。

 どうやら本日の要件はこれだけだったらしい。随分と単調な内容で来たものだ。


 大きな通りに消えゆく彼女をゼントは呆けたように眺めながら。

 しかしなんとなくこれでよかったような気がする自分が居た。

 兎にも角にも、気に入ってくれるのならそれだけで嬉しかったのだ、彼は。



 ……その後、懐から消えていた金額に些かの驚きと落胆を隠せないゼントでもある。

 加えて、報酬未受領の件を問いただすことも後になって思い出した。





「――ただいま」


 その後町を一通り歩き回った彼は、本来の目的を大して果たせず。精々残ったお金でいつもより少し質のいい食材を買って帰っただけになる。

 それもこれも風のように現れては去っていたライラのせい。と責任転嫁することは簡単だが結局はそれだけに思考を乱されたゼント自身のせいだ。


 一先ずは家に戻ってユーラの反応を見てみる。するといつものように走って玄関まで出迎えてくれた。

 そしてその後ろからジュリが落ち着き払った様子でやって来る。最近はよく見ていた光景だ。


 後でこっそり留守中の様子を尋ねると、意外にもユーラが出ていく素振りは見せなかったとのこと。

 であれば昨日の行動は偶発的に起こったということか。そんな風には見えなかった気がするが。

 何はともあれ無事であったことに安心しながら、無意識に懐にしまった髪留めに手を翳す。



 同時にそれを見逃すジュリではない。全てを失い反逆の意思すら削がれかけている彼女だが一つ憤っていることがある。

 ジュリという存在に敵愾心が無くなったのは素晴らしいことだ。しかし、それ以上に許せない、サラのことが瞳の奥から薄れていることを。

 だからといって気づかせる術を持っているわけでもなく、泣き寝入りするしかなかった。




 その後、夕餉の時間にてゼントはとある話を切り出した。それはユーラに冒険者へ戻らないかという提案。

 無論今すぐにというわけではない。だが遠くても将来的には自立してほしいと心の底から濁りなく願っている。

 それができる予感はたった昨日にあった。不安も十分にある。しかしもし仮に悪い兆候でないのであればこれは希望だ。


 そう思い至ったのは、昨日見たフォモスがあまりに報われないと思った部分もあった。

 過去にパーティーを組んでいたことなど、どこまで話していいか慎重に様子を見ながらだ。

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